前回田中学芸員は「マニアックな『おすすめの美術館』は石崎・生田両学芸員に期待していただくとして」などと記していましたが、「国内・海外を問わず、素敵な美術館はたくさんあって、しかもまだ訪ねていない美術館の数のほうが多いの」は誰もが同じだとして、生来の出不精が年を重ねるにつれますます加速するばかりとすれば、海外旅行に気楽に出かけることができるようになった昨今では、むしろ人より訪ねた美術館の数が少ないくらいではあるのでしょう。だから「マニアックな『おすすめの美術館』」は生田学芸員や井上館長に期待していただくとして、では何が思い浮かぶかといえば、オーソドックスなところでパリのルーヴル美術館やロンドンのナショナル・ギャラリー、ウィーンの美術史美術館にサンクト・ペテルブルグのエルミタージュ美術館、マドリードのプラド美術館といった大美術館を挙げておくのが順当かと思いもすれば、もともとの勉強テーマという点でパリのギュスターヴ・モロー美術館を推したくもなることでした。
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ヤン・ヴァン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》やピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト洗礼》、《降誕図》を蔵するロンドンのナショナル・ギャラリーでは、はじめて訪れた際たまたま、『カプリッチオ風の眺め 街景画展(THE CAPRICIOUS VIEW. An exhibition of townscape)』(1984)という、個人的にはとても興味深い特集展示が開かれており、コレクションの豊かさを痛感したものです。ウィーンの美術史美術館は昨今ではフェルメール《アトリエ》の所蔵先として知られているのかもしれませんが、何といっても大ブリューゲルのコレクションが圧倒的でした。またエルミタージュ美術館は出張で訪れたためあまり時間もなかったのですが、これも出張だったがゆえに案内してもらえた、宏壮な館内のあちこちに配された収蔵庫にいたるいりくんだ道筋が印象に残っています。
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ウィーンの美術史美術館のどこか
(1984年時点)
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他方モロー美術館といえば、ヴァレリーの伝えるところでは、若い頃モローをお兄様と慕っていたドガは、モローの没後設立されたモロー美術館を訪ねて、自分もアトリエを美術館にしようという考えを、こらあかん、「まるで墓穴の中にいるようだ」と断念したそうです(ヴァレリィ、『ドガ・ダンス・デッサン』(吉田健一訳)、新潮社、1955、p.47)。ちなみに瀬木慎一も「行ってみたが、胸が悪くなりましたね」と語っています(富永惣一・三雲祥之助・瀬木慎一、「松方コレクションを迎えて―その意味と国立西洋美術館への希望―」、『美術手帖』、no.159、1959.6月号増刊、p.169)。何でそこまで言われねなあかんねんとぐちりたくもなろうものですが、他方では夜中にこっそり忍びこんで蝋燭のあかりで絵を見たいと思っていたというアンドレ・ブルトンのような奇特な人もいました(アンドレ・ブルトン、「ギュスターヴ・モロー」(宮川淳訳)、『シュルレアリスムと絵画』、人文書院、1997、p.411)。これは少数派というべきなのでしょうか。もっとも見ようによっては無惨な未完成作・習作の山の中に、多くはないにせよ宝石のような作品が潜んでいるのも確かなのだと、この点は強調しておきたいところです。
話は変わりますが、当館でのアンケートに時々、館内のガイドがわかりにくいと記されていることがあります。これがけっこう不思議でした。もちろん時間の余裕がなかったりくたびれたりしていて、さっさと目当ての展示室なり作品の前に行きたいという場合もあるでしょうが、あくまで個人的な感触であるかぎりで、美術館などというものは迷うくらいにややこしい構造をしているべきだと思うのは、おかしなことなのでしょうか。そういえば田中学芸員は、ヨーロッパのどこだかの古い建物を再利用した美術館で、脇道にそれて人気はもとより明かりもない地下の廊下に迷いこんでしまい、外に出られなくなりかけたことがあるそうですが、これはまた何と美しい体験でしょう。
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ギュスターヴ・モロー美術館、
2階展示室(1984年時点)
同、3階展示室 |
この点三重県美など迷えるだけの構造も規模も備えてはいません。もっと複雑怪奇にうねくってほしいものです。最初に挙げたいくつかの大美術館ならそうした資格は充分ありますし、近場なら京都市美術館や大阪市立美術館、東京国立博物館などがもう二がんばりといったところでしょうか。今はまだ新しい兵庫県立美術館も半世紀くらいたてばいい雰囲気になるかもしれません。それで思いだしたのが、14年前スペインのバレンシアに研修に行った時、向こうの人に連れられて訪れたビリャファメース民衆現代美術館です。バレンシア州はバレンシア県の北、カステリョーン県にあるここは、もっとも、規模の大きな美術館ではなく、主に作家の寄贈で成りたったという所蔵品も、少なくとも1995年2月に訪れた際は、正直なところぱっとしたものとは感じられませんでした。バレンシアにはIVAMというりっぱな美術館もあるのですが、ただ、15世紀なかばに建造され、王室の行政官の公邸として用いられたというバイレ邸Palau del Bayle(Baile、Batle、Batlleとも表記されているようです)を再利用した展示室が、階段や小さな部屋がずらずら連なるという、やたらいりくんだ導線をなしており、その点だけで強い印象を残してくれたのでした。
それって美術館としての内容とは何の関係もないじゃん、てゆうか美術館でのうてもええやんと言われれば、まさにしかりと答えるほかありますまい。そんなん他にもいっぱいあるやんとおっしゃられるなら、それもそのとおりなのでしょう。たまたま訪れたことのある一例を挙げたにすぎないかぎりで、しかし、人を迷わせるだけの構造を擁しているという、この点こそが美術館であれ作品であれ、ひいては建物一般のあるべき要件だと感慨をかみしめる次第なのでした。
Museo Popular de Arte Contemporáneo de Villafamés
(バレンシア語では Museu Popular d’Art Contemporani de Vilafamés)
バレンシア州カステリョーン県ラ・プラーナ・アルタ地区ビリャファメース市
C/ Diputación, 20. 12192 Vilafamés(Castellón)
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ビリャファメース民衆現代美術館、
展示室(1995年時点)
同、テラス(たぶん)
同、窓からの眺め(たぶん) |