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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 心に残るこの1点(1) 東山魁夷《道》 田中善明 学芸室だより

学芸室だより リニューアル版

テーマ:心に残るこの1点

2007年7月31日 田中善明


7月からの学芸室だよりは、「心に残るこの1点を題目にせよ!」との指令が当館ホームページ管理担当の石崎学芸員から2ヶ月前に下(くだ)され、締め切りの日がやってきて、石崎学芸員がボソッと「今日がしめきりですから」と念押しされたときに、ようやく今月の当番だったことを思い出し、7月31日に書き出す僕をお許し下さい。

学芸員に、こんなお題が出されると、相当身構えて虚飾してしまうところなのですが、ここは素直に答えさせていただきますと、その1点は東山魁夷の、あの有名な《道》(東京国立近代美術館所蔵)ということになります。大阪府(市外)に住んでいた高校生時分、展覧会を見るといえば心斎橋の百貨店や、千里にあった国立国際美術館でした(残念ながら、まだ古美術などには目覚めていなかった)。大阪市内に出かけるときは、今思えば不思議なことに、「大阪に行ってくるわ。」と家族に一声かけて近鉄電車に乗り込んでいたことはさておき、とにかく1980年代前後は今ほど美術館もありませんでしたから、特別展などは人ごみの中をかきわけて鑑賞するのが当たりまえでした。そんな人ごみの中ではベルトコンベアー式に次に見る人のことを気にしながら少しずつ横歩きして1点ずつ鑑賞していたわけですが、ほんとうにたまたま東山魁夷の《道》のところで、自分ひとりだけがこの作品と向き合っていることに気づき、なんともいえない贅沢な気持ちになったわけです。国語の教科書にも掲載されていた、気になるこの作品が3秒間ぐらいだけれど自分のためだけに存在する! 思っていた以上に大きな作品だし、写真で見るよりもずっとモワーッとしている!なんてことを感じたのでした。なんとも、ささやかな体験です。

教科書に掲載されている作品。これは絶大な力があります。刺激の少ない授業であれば、黒板上方にある時計の針をひたすら目で追いつづけるか、近くの席の人間も同じ停滞状態を呈していていることが了解されれば暗号をやりとりするか、もしくは一人で空想にふけるか(目を開けた状態で仮眠状態を作る、ポピュラーな技)――ほとんど選択肢のない拘束時間のなかで、教科書の写真を眺めつづけるという行為は、休憩時間へと苦痛の軽減をはかりつつ移行させるための貴重な手段の一つであったわけです。そんな長時間を費やし、穴の開くほど写真で見つづけた本物が、目の前で独占状態になるなんて!

ということで、もし僕が、経済的才覚と運気の良い人間だったなら、大金持ちになって感動の美術品を自分で所有し、十分に喜びを吸収しつくしてから、転売したり公開したりすることもできたでしょうが、そんな才覚は望むべくもない僕が、この体験を心に引きずりながら目覚めてしまったのが作品修復の世界です。なんと、修復家になれば、5秒どころではなく、時としてお気に入り作品の独占状態がもっと長く続くのだ!・・・それからというもの、独占パラダイスに向かって必死に勉強しました。しかし、この邪(よこしま)な気持ちに天罰が下ったのでしょう。美術館では、仕事に忙殺されてじっくり鑑賞できないどころか、修復の勉強が祟(たた)って、作品を味わうよりも、その傷み具合が先ず気になってしまう始末。これは、せっかく《道》と出会えたのに、「道」を踏み外してしまった悪い例です。

今では、わざわざ修復家や学芸員にならなくたって、美術館の常設展示さえ見に行けば、いとも簡単に一級品独占状態が作れる、贅沢な世の中となりました。三重県立美術館でも、2階の常設展示室を訪れたなら、あの、村山槐多の《自画像》と、何時までも睨(にら)み合うことができますよ。

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