学芸室だより リニューアル版
テーマ:心に残るこの1点
2007年12月26日 生田ゆき
三重県立美術館HPの隠れた(?)名物コーナー「学芸室だより」のテーマを、「心に残るこの1点」にしようと学芸会議でけしかけたのは、私の記憶が確かならば、一月以上も締め切りを延ばし放題にしている不肖生田です。
なるほど、美術館を職場にすることを選択した以上、誰もがきっと「わが生涯の1点」を持っているに違いないと確信し、その時は我ながら名案なり、と誇らしかったのですが、いざ自分の番になるや一歩も筆が進まず、「持っている」こととそれを「言葉にする」とは月とすっぽん、雲泥の差。まさに作家に「無人島への1冊」を、料理人に「最後の晩餐のメニュー」を聞くに等しい、究極の質問であったと、今更ながらに後悔しているところなのです。
個人的に好きな画家、研究対象として興味を引かれる作品、はたまた人生の大事な思い出と結びついた絵画たち、それらは枚挙に遑がありません。そしてこれからもその数は増え続けるに違いないでしょう。
しかし、私の心の中にいつまでも変わらず輝き続ける星は、きっとこの1点をおいて他にないでしょう。
あれは忘れもしません。2月、冬のイタリア。3週間にわたって大学時代の恩師とゼミ仲間達とともに、ローマからミラノへと旅を重ねました。西洋美術を専攻していながらも、欧州主要都市をまるで観光旅行のように流した経験しかない私にとって、ルネサンスの本場イタリアを、それも電車を使って街々を歴訪するなどとは、まさしく冒険であり、夢のような瞬間の連続なのでした。
ローマやヴァチカン、フィレンツェ、ヴェネツイア。オルヴィエートにピサそしてルッカ。都市の規模の大小に関わらず、いずれも歴史の厚みの上に築かれた人々の営みの豊かさに圧倒され続けていたのでした。
「街そのものが美術館」。イタリアを形容する時によく使われる文句ですが、まことにむべなるかな。生活の中に自然に美術が息づく姿に、ただただ感激の連続でした。
旅の行程も終わりに近く、アドリア海の女王に別れを告げた私達は、学都パドヴァへと入りました。駅からまっすぐ歩いていくと、手前に少々古ぼけた教会が見えてきます。受付でチケットを求め、庭に巡らされた小径にそって歩けば、目的のスクロヴェーニ礼拝堂へはもうすぐです。10人足らずの我々一行は静かに扉を開けました。
イエス・キリストの生涯を四方の壁一面使って物語るこのフレスコ画は、劇的な画面構成、画期的な登場人物達の感情表現、そして何よりもそれらを包む、名状しがたいまさに天上の青ともいうべき色彩の美しさに、名作の名を欲しいままにしてきました。

私はただただ見上げるばかりでした。見上げて、一つ一つの場面を目で追って、ともにキリストの誕生を喜び、その死に涙しました。私はその時確かに物語の中の一人として、その歴史的な瞬間を目撃し、そして共有していたのです。



その時の胸の震えは、いまでも目を閉じれば思い出すことが出来るほどです。
何度見ても飽きません。いえ、見れば見るほど吸い込まれるようで終わりがないのです。まだ学生であった私はこう思いました。世界にこんなに素晴らしいものがあるなんて、それをこの身で知ることができるなんて。この感動を、この幸福を、一人でも多くの人に味わってもらえたらどんなにいいだろう、と。
今学芸員として美術館で働く私を支える力の一つが、このときの決意であるといったら、少々感傷的に聞こえるでしょうか。
しかし、例えば展覧会のギャラリートークや講演会などで作品について語るとき、私の言葉で絵を見る人の顔がみるみる明るくなる様子を間近で目撃したとき、私の心の中にはいつもジョットの絵が浮かんでいます。そして「あなたの話を聞いて、あなたがこの絵を好きだというのがよく分かった」と言われたとき、それは私にとって何よりの激励の言葉となっているのです。
この話には続きがあります。
三重県立美術館に勤務して4年あまり。私はクーリエとしてヴェネツィアに発つ機会を得ました。
サンマルコ広場近くの船着き場からヴァポレットに揺られ、電車で本土を目指し、パドヴァを再訪することにしました。
私の胸は高鳴っていました。
駅を降りてから礼拝堂までの道のり、忘れていた筈の記憶が泉のように沸き上がってきました。心はたやすく時計の針を戻し、気持ちは感動のスイッチが押されるのを待ちかまえています。
久方ぶりの再会を果たしたジョットを取り巻いていたのは、分単位まで詳細に指定された入場時間、控え室で流される手の込んだ解説ビデオ、何重にも張り巡らされたガラスの扉、そして高らかに歌い上げられた修復の成果。
かつて許された静けさと親密さの面影はどこにもなく、最新の技術という名のよそよそしさだけが壁に響きます。
私はこの時、深い失望を覚えると同時に、自分の中である種の真理のようなものに突き当たったのです。
この先、幾度ジョットに巡り会う機会があるやもしれぬが、私にとってのジョットは、1996年の冬に見たジョットだけであると。人の出会いにとって初めてが一度きりであるのと同じように、芸術作品にとっても「もう一度」はありえないのだと。そしてその不可能さを確認するために、何度も何度もその絵の前に立ってしまうのだと。
(学芸員 生田ゆき)