学芸室だより リニューアル版
お題:学芸員の仕事紹介① 調査・研究
2006年3月(第1回) 担当:生田ゆき
先月の当欄で華々しくも予告しました、「学芸員の仕事紹介」シリーズ、今回が実質の第1回にあたります。
今月のテーマは「調査・研究」です。美術館とはすなわち、「美術品を展示、保管している場所」と定義できるでしょう。それ故、学芸員の仕事もその核を中心に回っています。さらに言うならば、学芸員の仕事の基本とは「美術品に関する情報を集める」ことにあるといっても過言でもありません。
なんだ、簡単なことじゃないか、とがっかりされたかもしれません。が、これがなかなか骨の折れる仕事なのです。
驚かれるかもしれませんが、作品に関する最小限の情報(作者名、タイトル、制作年)でさえ、完全に揃った状態で美術館に収蔵されることは難しいことなのです。(制作する側は作品そのものには神経を注いでも、それ以外のことには無頓着な場合が多いのです)
作品について言及した文献、同じ作家の手による類似した作品、、画材や技法の特徴、一つ一つの手がかりをもとに、あるべき答えを模索する作業は、さながら真犯人を追いつめるのミステリー小説の探偵のごとし、です(学芸員の中に推理小説好きが多いのもそのせいかもしれません)。
こう説明すると「学芸員ってすごい。普通の人が分からないことや、見えないことまで見えるのか」と誤解されてしまいそうです。残念ながら、学芸員はそのような超人的な能力の持ち主ではありません。
いきなりひらめきが降りてくるはずもなく、大抵は非常に地味な作業の蓄積で、いつどこで終わるともしれません。それはまるで、ツルハシ一本で、巨大な鉱山を掘り進む、宝石採掘師のようなものなのです(もちろん、目指すものに到達しないこともまた多いのですが)。
壁一面に貼られた展覧会チラシ、捨ててしまえばただの紙切れ。保存すれば貴重な資料。 |
開館以来続けている新聞記事の切り抜き。常に情報にアンテナを張り、取り出しやすい形態で保存することは、調査・研究の基本です。
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例えば、美術館に送られてくる何十、何百という展覧会チラシやギャラリーの案内状、全国紙から地方紙にいたる新聞をくまなく目を通し、美術関係記事を切り抜いたスクラップ帳。意識しなければ、捨てられてしまうものたちでも今を読み解く大切な情報であり、未来のための資料となるのです。
そしてそれらはただ、積み上げられるだけでは紙の集まりに過ぎません。後に使うことを考えて、分類・整理してこその戦力になるのです。
作家別キャビネットの一部。とにかく保存。未来の仕事のための大事な蓄積です。今では貴重な資料も含まれています。 |
展覧会カタログを収めている書架。分野別、作家別、開催年度ごとなどに分類します。
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増改築で拡充された書庫。美術館の頭脳と言える場所です。
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ここまでの作業はいわば、机上の作業で、他の分野の「調査・研究」とさほど変わらない印象をお持ちになるかもしれません。
学芸員の「調査・研究」を特徴づけるのは、作品そのものが情報となり、資料となりうる、ということです。西にコレクターがいると聞けば会いに行き、東に展覧会があると知れば飛んでいく。
何度当てが外れようとも、「今度こそは」と信じてまた旅に出る。その目で、その耳で、その足で、体感してこそ、その情報は血となり肉となってくれます。
ようやく準備が整いました。
ばらばらであった情報が作品という核の周りにひとつになり、おぼろげであった作家や作品についてのイメージを確かなものにしていきます。
しかし、ここで出来上がった像はある一つの方向からみれば、意味をなすかもしれませんが、別の視点から眺めたときには、完全な姿をなしているとはかぎりません。
「この作品は作家の生涯において、どのような意味があるのだろうか?」「ここに描かれているモティーフにはどんな意味があるのだろうか?」「この技法は作家のオリジナルなのか?」
調査研究作業はいわば問いと答えの鎖をつなぐ作業だとも言えるでしょう。
一つの答えがさらなる謎を呼び、作品の理解もそれに応じて深まっていきます。それは終わりのない問いかけです。そのような問いかけを繰り返していくうちに、ある作家、作品の輪郭が見えてきます。それは借り物でない、自分が掘り当てた原石です。そこから展覧会という宝石へと磨きをかけていくのです。
「チャンスの神様には後ろ髪がない」、とよく言われます。学芸員の場合チャンスとはアイデアとも言い換えられるでしょう。その訪れは時と場所を我々の都合を考えてはくれません。大事な機会を逃さないように、むしろつかみ取るために、基礎体力をつけておくこと、すなわち調査・研究を怠らないことこそが、学芸員に求められていることでしょう。