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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 2000 > 常設展示2000年度第3期(2000.10-12)

常設展示2000年度【第3期展示】2000年10月4日-2000年12月24日

第1室 大正・昭和の洋画

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
藤田 嗣治 (1886-1968) 猫のいる自画像 1927頃 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈
藤田 嗣治 (1886-1968) ラマと四人の人物 1933 水彩・紙 伊藤研一氏寄贈
須田 國太郎 (1891-1961) 信楽 1935 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
須田 國太郎 (1891-1961) 風景(橋のたもと)   水彩・紙  
木村 正八 (1893-1958) 劇画ダンスホール 1930 油彩・キャンバス 中谷泰氏寄贈
木村 正八 (1893-1958) 日没 1949 油彩・キャンバス 中谷泰氏寄贈
中川 一政 (1893-1991) 目黒風景 1923 油彩・キャンバス  
古賀 春江 (1895-1933) 煙火 1927 油彩・キャンバス  
里見 勝蔵 (1895-1980) 裸婦 1927 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 風景 1924頃 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 赤い帽子の少女 1928 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 裸婦 1928 油彩・キャンバス  
福沢 一郎 (1898- ) 劇の一幕(コメディー・フランセーズ) 1924 油彩・キャンバス  
佐伯 祐三 (1898-1928) 自画像 1917 油彩・キャンバス  
佐伯 祐三 (1898-1928) 米子像 1927 油彩・キャンバス  
向井 潤吉 (1901- ) 衣を脱ぐ女 1933 油彩・キャンバス 作者寄贈
荻須 高徳 (1901-1986) 街角(グルネル) 1929-30 油彩・キャンバス 東畑建築事務所所蔵
荻須 高徳 (1901-1986) アンジュ河岸・パリ 1960 油彩・キャンバス  
三岸 好太郎 (1903-1934) 二人の道化 1931頃 油彩・紙  
海老原 喜之介 (1904-1970) 森と群鳥 1932 油彩・キャンバス  
松本 竣介 (1912-1948) 家族 1937 鉛筆・コンテ・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 婦人像 1941 水彩・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 建物 1945頃 油彩・板  
松本 竣介 (1912-1948) 1946 インク・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 風景 1948頃 墨・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 1947 ペン、インク・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 風景(三角屋根の家) 1948頃 墨・紙  
戸張 弧雁 (1882-1927) トルソ 1914 ブロンズ  
戸張 弧雁 (1882-1927) 虚無 1920 ブロンズ  
石井 鶴三 (1887-1973) 中原氏像 1916 ブロンズ  
石井 鶴三 (1887-1973) 1938 ブロンズ  
中原 悌二郎 (1888-1921) 石井鶴三氏像 1916 ブロンズ  
中原 悌二郎 (1888-1921) 若きカフカス人 1919 ブロンズ  

 1928年(昭和3)の第15回二科展に出品した長谷川利行の作品について、前田寛治は雑誌『アトリエ』でこんなことをいっている。「敢て欠点丈けを云ふならば長谷川利行氏のものは全部を白熱化させようとする彩色が白熱化される物質の存在を無視してゐる為に実在性を失つて外光派形体に傾いてゐる。あの画面中一尺四方でよいから物質そのものゝ触感をはめ込まなければならないと思ふ。」これは批評家のことばではなくて、造形の秘儀についてあたまを悩ませた経験をひとしくするひとの、しかしほとんど正反対の立場からみたらこうなるといった指摘であって、だからすこしばかり晦渋だけれど的確に親切に利行の絵の骨になるものをえぐりだすことができた。ようするに、これを裏がえせばそのまま前田自身が、どういう絵をよしとするかわかるところがおもしろいので、もちろん「物質の存在」とか「実在性」とか「物質そのものゝ触感」は前田にとっては正の評価で、はんたいに「外光派形体」は負の価値とみていいだろう。

 いったいいい絵の条件とは。『写実技法の要訣』のなかの前田によればそれは簡潔に、

一、質感を得ること

二、量感を得ること

三、実在感を得ること

 ということに煮つまるのだろうが、なかんずくその二の「量感を得る」ことがもっとも大切なポイントで、それがうまくゆけば質感と実在感はあとから自然にともなってくる、とみていたような気配である。だから、たとえば今回出品の『風景』をみるときはまづ「量は遠近法による距離感ではない」、また「画布上の一区画の色面が他の区画のそれと相抱き相反発しながら奥へ奥へとあるいは前へ前へと拡がって行く感覚を与える」といっているその独特の量感をみるのがいい。およそ芸術家らしい感性があるのかないのかわからないゴツゴツした頑丈なかたまりの印象から、ということである。そしてその量感とともに前田寛治の作品をつくりあげているもうひとつの鍵があるとしたら、それは『裸婦』におけるような明暗の処理なのであり、ようするに前田寛治が求めたレアリテに絵が達するためには、「光を反射する面を明とし、吸収する面を暗とすれば、一物体の量感はこの明暗がほぼ同量に分かたれる時、最も適当に表われ」なければならなかった。

 人間そのものよりもその人間をいれる容器としての社会の構造を解明しようとする理論家に似て、前田は感覚でさえ一種の構造としてとらえたかったともみえるが、けっして理論倒れになってないところがやっぱり凄い。骨がふとくて愛嬌がなくて、とっつきにくい外見のほんのすこししたに、噛めば噛むほどゆたかになる滋味がもうそこまでやってきている。『赤い帽子の少女』の画家はそんな画家なのだった。

(東俊郎・学芸員)

 

第2室 荻邨・小坡と京都の日本画

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋 1919 絹本著色 川合東皐氏寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋(下絵) 1919 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰 1922 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰(下絵) 1922 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 淀の水車 1926頃 紙本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 淀の水車(下絵) 1926 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 寒汀宿雁 1939 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 寒汀宿雁(下絵) 1939 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園の雨 1953 絹本著色 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園の雨(下絵) 1953 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 夜の一力(下絵) 1919 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 花畑(下絵) 1923 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) スケッチブック   鉛筆、淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 化粧 明治末期頃 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) 制作の前(下絵) 1915 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば 1918 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば(下絵) 1918 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 母子図(下絵) 大正中期頃 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) はじらい 不詳 絹本著色 川合東皐氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) スケッチブック   鉛筆、淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
菊池 芳文 (1862-1918) 白鷺図 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
竹内 栖鳳 (1864-1942) 雨霽図 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
山本 春挙 (1871-1933) 双鶴双狗之図 不詳 紙本墨画淡彩 寺岡富士氏寄贈
木島 櫻谷 (1877-1938) 秋野子鹿 不詳 紙本著色 寺岡富士氏寄贈
堂本 印象 (1891-1975) 薫風晴 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
川北 霞峰 (1875-1940) 松上の鶴 不詳 絹本墨画 寺岡富士氏寄贈

 「日本画」という響きには何かしら煙の立ちこめたような曖昧さが残る。それは故無きことでなく、言葉の歴史は思いの外早く、父の名さえ歴史的に折り紙付きである。名が先か実が先か。どうやらこの場合は名が先である可能性が濃厚で、親の過大な期待と愛情が透けて見える。肩に力を入れた明治の気風において、外国(もちろん西洋列強)と差異化することによって同列化を目指した一派にとって、「日本画」とはまさに目の中に入れても痛くないほどの溺愛ぶりであった。

 確固として江戸からの「伝統」を絶ち、体系的で合理的な、文字通りアカデミックな学問として成立した日本画は、ある時は指導者間の権力闘争の舞台に、ある時は国家イデオロギーの旗頭にと、水面に浮沈する木の葉のように翻弄されていく。幸か不幸か嵐は作品をかすめることなく、遙か沖合で波を荒立てることがほとんどであった。さりとて、やはり浜は無傷でいられない。打ち上げられる流木や塵にまみれ、日本画は折々に際して変節を強いられてきた。

 今日の我々にとっては、日本画は何より芸術の一つのジャンルとしてあり、皮肉にも外来の油絵よりもなじみ薄きものである。頼りない輪郭線は人工的で、作者の内的激情を表出させてはくれず、限定された色数と階調の乏しさは枯れた風情を醸しだし、控えめに見るものを拒絶している。どれもこれも同じ装いで、なんとも素っ気ない。

 さすがにこれでは旗色が悪いと、ものの本をひっくり返せば、その原因を日本画独自の制作過程に求める声が多い。曰く「日本画は画材の特性から、描き直しが許されないため、膨大な数の下絵を制作し、形や構図を徹底的に吟味する」。さらに「油絵と異なり、顔料を重ね塗りすることができないため、濃淡、明暗の幅が狭い」。

 着想、下絵、仕上げという一直線一方通行の道程を信じるならば、情熱の冷める曲線と、完成度の高まる曲線は見事に相似形をなしてくれることであろう。次の課程のために存在する数々の断片。しかしながら正解へ突き進む試行錯誤の道程として単純に片づけるには少々やっかいである。

 荻邨の《夜の一力》において、本画(個人蔵)と下絵の間にある決定的な差異は画面左隅にうつむきがちに新内を流す門付け芸人の挿入である。下絵にはただ通りの向こうのお茶屋の格子が端正にひかれるのみである。《祇園新橋》では、橋の上の二人の女が下絵では鏡のように同じ角度で首を傾げこちら側を見つめるのに対し、本画では向かって右の女は横顔を見せ着物の裾を気にしつつ右手を挙げている。

 春の夜に浮かぶなまめかしい祇園界隈。そこを一瞬よぎる女の後ろ姿。内緒の話に夢中の女達。それらは一瞬であり、不意の出来事であり、自らが絵となることを全く意識していない。そこから聞こえてくるのは路地を急ぐ下駄の響き、とぎれとぎれの三味線や小唄、静かに潤す川の流れ。街に生きる音である。

 ここで確認したいのは、だから本画は下絵よりより完成度が高いという議論ではない。論理的には不可能であるはずの、あのざわめきを耳にしたのは、二つを並べることによって表現の選択肢の可能性を鑑賞者側も手にすることが出来たからである。我々は知っている。何が残され、何が捨てられ、何が加えられたか。そしてそこから何が新たに立ち上がってくるのか。

 言うまでもないことであるが、下絵と本画をこのように「同列」に鑑賞できるのは、美術館という展示と評価が表裏一体に存する制度の確立なくしてはあり得ない。そして、それらも近代の眼差しの呪縛から自由でないことも忘れてはいけない。

(学芸員 生田ゆき)

 

第3室:20世紀西洋の美術より

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンヴァス  
ワシリー・カンディンスキー (1866-1944) 小さな世界 1922 木/銅/石版画・紙  
サルバドール・ダリ (1904-1989) パッラーディオのタリア柱廊 1937-38 油彩・キャンヴァス  
M.C.エッシャー (1898-1972) メタモルフォーシス II 1939-40 木版画・紙  
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 c.1949 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
マルク・シャガール (1889-1985) 1956-62 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
アンゼルム・キーファー (1945- ) フレーブニコフのために 1984-86 油彩、アクリル、乳剤・キャンヴァス+鉄線、鉛  
ジェラール・ティテュス=カルメル (1942- ) 四季・秋より V 1989 アクリル・紙  
アルフォンソ・サンチェス・ルビオ (1959- ) DC III 1990 ミクスドメディア・紙 大山一行氏寄贈
ジョアン・カルディス (1948- ) R-816 1991 グラファイト・紙  
ラモーン・デ・ソト (1942- ) 通行の階段 1997  
ホセ・マリア・シシリア (1954- ) 衝立・小さな花々 IV 1998 蝋、紙、油彩・板  
ホセ・マリア・シシリア (1954- ) 衝立・小さな花々 V 1998 蝋、紙、油彩・板  

 多分に単純化された語り口ではあるものの、十九世紀後半の印象派においては、黒を用いない、あるいは混ぜないとしばしば述べられる。その際指されているのは、明暗法の廃棄ということだろう。明暗法とは、主調となる単一の色の明るさを連続的に推移させることによって、描かれる対象の三次元的な立体感を表わす、ルネサンス以来自明のものと見なされてきた技法である。明るく光のあたったところは手前に出、暗い部分は奥へ引っこむというわけだ。色を明るくするには白を、暗くするには黒を混ぜる。それゆえ色は、つねに明暗に従属することになる。これに対し印象派の筆触分割は、絵具を混色せず併置していく。その結果画面は、あざやかさを減じることのない複数の色の織物と化するだろう。

 もっとも、歴史は一本線では進まない。印象派以降でも、キュビスムにおいて明暗法は欠かせない要素だったし、印象派の主導者の一人だったモネの作品自体、明暗の推移を用いないにせよ、しばしばモノクロームに接近する。『ラ・ロシュブロンドの村』における逆光となった丘では、暗めの緑と赤紫の筆致が、重ねあわされながらも溶けあうことなく、色をはらんだ暗がりを表わしている。

 とはいえ印象派以後の絵画において、黒がそれまでとはことなる役割をはたすようになったのも事実だろう。夜景ないし暗がりの描写を得手とした十七世紀の画家たち、カラヴァッジオやエルスハイマー、レンブラント、ラ・トゥールらにあって、黒、というより黒に近づいていく暗褐色やグレーは、あくまで暗さなり影なり闇を表わすものであり、明暗の系列のもう一方の極をなす光と相関していた。対するに二十世紀の絵画では、黒は黒自体として現われることが少なくない。この時黒は、絵具という物質のままに呈示される。ただそれが表現として成立するには、なまな物質からの何らかのずれをはらまなければなるまい。

 ダリは通例、明暗法による写実に基づきつつそれを幻想化してきたが、『パッラーディオのタリア柱廊』では、緑味を帯びた暗いグレーおよび黒の平らな面が大きな比重をしめている。それに応じて、人物だか彫像だか亡霊の列も、肉づけを欠いた色の線へと還元された。ただし黒とグレーの面は、斜めにたち切られるため、ルネサンス以来明暗法とともに空間設定の道具であった線遠近法を、加速された形で導入することになる。黒とグレーの面は、三次元的な奥行きの描写と平面性の露呈を同時にみたしつつ、しかしいずれにもおさまりきらず、双方を脱臼させていると見なすことができるかもしれない。

 デュフィの『黒い貨物船と虹』における黒のひろがりは、横方向への素早い筆致の下に、緑や青、赤茶の層が敷かれていることをうかがわせる。さらにその下には白地がのぞく。塗りの薄さは黒が、何も透さない不活性な壁ではなく、下層のさまざまな色が交渉しあった結果、それらを吸収して生じた分母のようなものであることを物語るだろう。光の充溢を黒によって表わすという、マティスの課題がひき継がれているのだ。

 カルデイスの『R-816』では、ベージュの薄いクラフト紙に、グラファイト(石墨、黒鉛)がびっしり塗りこめられる。斜めから見れば、塗り跡の反射するさまが確かめられよう。人物らしきイメージは塗り残された紙の地からなり、下方には、裏から強く押すことで凸状をなした線が認められる。グラファイトを塗りこめる作業は、物としての紙に働きかけることで、イメージを付け足すのではなく、紙の内部からイメージを引きだしたのだ。そのためには、できるかぎり寡黙な黒が必要だった。

 これら黒のさまざまなあり方は、色調に回収されることのない複数の色相の併置による画面づくりと、裏表をなすものと見なせよう。そしていずれもがおそらく、明暗法による現実の再現がリアリティを喪失したという事態に呼応しているのだ。

(石崎勝基)

 

ギャラリー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
浜口 陽三 (1909- ) 魚と果物 1954 メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) ぶどう 1965 メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) 毛糸 1978 メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) くるみ 1978 メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) 9つの貝殻 1980 メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) 突堤 1965 カラー・メゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909- ) 14のさくらんぼ 1966 カラー・メゾチント・紙  
豊福 知徳 (1925- ) 構造 1963  
新妻 實 (1930- )  眼の城 1988 ポルトガル産黒御影石  
江口 週 (1932- ) あるはじまりのかたち II 1984  
向井 良吉 (1918- ) 発掘した言葉 1958 ブロンズ  
小清水 漸 (1944- ) 作業台―水鏡― 1981 シナ合板、ウレタン塗装・水 (財)岡田文化財団寄贈
駒井 哲郎 (1926-76) 束の間の幻影 1951 エッチング、アクアチント・紙  
駒井 哲郎 (1926-76) コミックIII 1958 エッチング、カラーアクアチント・紙  
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