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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1999 > 常設展示1999年度第3期(1999.9-12)

常設展示1999年度【第3期展示】1999年9月29日-1999年12月26日

第1室:昭和の洋画-Ⅰ

作家名 作品名 制作年 材質 備考

佐分 真 (1898-1936) 緑蔭 1927 油彩・キャンバス

里見勝蔵 (1895-1981) 裸婦 1927 油彩・キャンバス

 

古賀春江 (1895-1933) 煙花 1927 油彩・キャンバス

 

佐伯祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンバス

 

前田寛治 (1896-1930) 裸婦 1928 油彩・キャンバス

 

山口 薫 (1907-1968) シュミーズの女 1931 油彩・キャンバス

 

鳥海青児 (1902-1972) 紀南風景 1936 油彩・キャンバス

 

海老原喜之助 (1904-1970) 森と群鳥 1932 油彩・キャンバス

 

梅原龍三郎 (1888-1986) 山荘夏日 1933 油彩・キャンバス

 

牛島憲之 (1900-1997) 貝焼場 1935 油彩・キャンバス

 

南条一夫 (1900-1986) 赤爺 1935 油彩・キャンバス 中谷泰氏寄贈

 

児島善三郎 (1893-1962) 箱根 1938 油彩・キャンバス

 

寺田政明 (1912-1989) 漁婦 1941 油彩・キャンバス

 

森芳雄 (1908-1997) 大根など 1942 油彩・キャンバス

 

北川民次 (1894-1989) 海への道 1942 油彩・キャンバス

 

松本竣介 (1912-1948) 建物 c.1945 油彩・板

 

金山康喜 (1926-1959) 静物 c.1951 油彩・キャンバス

 

鶴岡政男 (1907-1979) 黒い行列 1952 油彩・キャンバス

 

鳥海青児 (1902-1972) 彫刻(黒)をつくる 1953 油彩・キャンバス

 

麻生三郎 (1913- ) 母子のいる風景 1954 油彩・キャンバス

 

脇田 和 (1908- ) 鳥と横臥する裸婦 1955 油彩・キャンバス

 

村井正誠 (1905-1999) うしろ姿 1956 油彩・キャンバス

 

中谷 泰 (1909-1993) 陶土 1958 油彩・キャンバス

 

田中阿喜良 (1918-1982) 父子 1957 油彩・キャンバス

 

原 精一 (1908-1986) 立てる裸婦 1958 油彩・キャンバス 原理一郎氏寄贈

 

石井茂雄 (1933-1962) 暴力シリーズ-戒厳状態Ⅱ1956 油彩・キャンバス

 

元永定正 (1922- ) 作品 1956 油彩・キャンバス

 

イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945 ブロンズ

佐藤忠良 (1912- ) 群馬の人暗中模索 1952 ブロンズ

 

 1928(昭和3)年は、明治維新(1868)から数えてちょうど60年目にあたる。明治の洋画は、川上冬崖や高橋由一、五姓田芳柳ら幕末明治初めの先駆者たちの画塾における指導からはじまって、明治9~11年の間に工部美術学校でアントニオ・フォンタネージが行った本格的絵画教育、画学生たちの海外留学などの段階を経て、明治20年代に明治美術会、明治30年代に白馬会が主要な役割を果たし、明治40年に文部省展覧会が創設され、大正期には、二科会、日本美術院洋画部、春陽会、国展洋画部などの在野団体が結成されて多彩な展開をみせてきた。

 この間西洋のアカデミックな写実技法の受容からはじまり、印象派、後期印象派、フォービズム、キュービズム、未来派、表現主義、構成主義、ダダイズム、超現実主義、抽象絵画など19世紀末から20世紀初めにかけての西洋のさまざまな芸術思潮が流入し、洋画というものが大きく変貌していった。60年は人の一生でいえば還暦にあたる。上にのべたような日本の近代洋画史として記述される現象は、ひとりの人間のライフサイクルに相当する時間のなかでおこったことを思うと、その変転の激しさに感嘆せざるを得ない。

 日本の洋画家たちは、黒田清輝がもたらした印象派の色彩表現によって感覚解放のすべを知り、雑誌『白樺』が熱心に紹介したゴッホ、ゴーギャン、セザンヌらによって、対象から自由に画家の主観や感情を表現することを学んだ。フォービズムによって、絵具そのものの表現性や筆触のダイナミズムを知り、キュービズムによって重力から解放された自由な画面構成を、そして超現実主義からは不合理なものにこそ真実があることを学んだ。昭和の画家たちは、このような地点からそれぞれの制作を行ったのである。

 大ざっぱないい方だが昭和前期の洋画の特色といえるのは、画面における形体の単純化(省略やデフォルメ)とマチエールや質感、筆触の重視という傾向であろう。画家たちはそれぞれの感性や資質にしたがって、固有の様式を創出した。梅原龍三郎《山荘夏日》、木村荘八《戯画ダンスホール》、児島善三郎《箱根》のような日本の伝統や風土を強く反映した日本的洋画といわれるものもあれば、海老原喜之助《森と群鳥》や牛島憲之《貝焼場》のようなモダンな造形感覚の作品もあり、鳥海青児《南紀風景》や北川民次《海への道》は、梅原や児島らとちがったかたちでこの国の風土とあいわたった作品である。

 1945(昭和20)年 8月15日の敗戦とその後におこった諸事実によって、昭和という時代に大きな断層が横たわっていることは明らかである。戦後の画家たちは、戦前を批判的に継承し、戦中戦後の体験と価値転換を内面化しなければならなかった。麻生三郎《母子のいる風景》や田中阿喜良《父子》のような人間の存在状況を真正面から問いかける人物表現においても、鶴岡政男《黒い行列》のユーモアや脇田和《鳥と横臥する裸婦》のポエジーの背後にも、あるいはまた一種の社会的風景とでもいうべき中谷泰の《陶土》や石井茂雄《暴力シリーズー戒厳状態Ⅱ》の政治的寓意にも、それぞれの画家たちの厳しい人間認識が内在している。だが一方に、元永定正《作品》のような底抜けにおおらかなユーモアもまた存在するのは興味深い。

(酒井哲朗)

 

第2室:近現代の水彩・素描

作家名 作品名 制作年 材質(素材はすべて紙) 備考

浅井忠 (1856-1907) 大仏殿 1888 水彩 第三銀行寄贈

石川欽一郎 (1871-1945) 男の肖像 不詳 水彩

 

石川寅治 (1875-1964) 川岸 不詳 水彩

 

ジョルジュ・ビゴー (1860-1927) あんま 不詳 水彩

 

長原孝太郎 (1864-1930) 牛肉屋の二階 1892 水彩、インク 長原坦氏寄贈

 

長原孝太郎 (1864-1930) 焼芋屋 不詳 水彩、インク 長原坦氏寄贈

 

鹿子木孟郎 (1874-1932) 倶録喜(画帖) 鉛筆他

 

鹿子木孟郎 (1874-1932) 外国風景 不詳 パステル

 

E.L.キルヒナー (1880-1938) フェルトマインの灯台 c.1912 鉛筆

 

マックス・ペヒシュタイン (1881-1955) 船員 1919 水彩、コンテ

 

安井曾太郎 (1888-1955) 娘と犬 c.1907 鉛筆

 

安井曾太郎 (1888-1955) 男 c.1907 鉛筆

 

安井曾太郎 (1888-1955) 農家の女 c.1907 鉛筆

 

マルク・シャガール (1887-1985) 扇を持つ女 1908-25 鉛筆

 

マルク・シャガール (1887-1985) 男と女 1908-25 インク

 

マルク・シャガール (1887-1985) 水浴 1925-6 インク

 

中川八郎 (1877-1922) 北上川畔 1915 鉛筆、水彩

 

中川八郎 (1877-1922) 妙高山冬 不詳 鉛筆、水彩

 

岸田劉生 (1891-1929) 自画像 1917 クレヨン、コンテ

 

村山槐多 (1896-1919) 信州風景 1917 木炭

 

榊原一廣 (1883-1941) 教会のある風景 c.1921 水彩 榊原一彦氏寄贈

 

榊原一廣 (1883-1941) 運河風景 c.1921 水彩 榊原一彦氏寄贈

 

中村 彝 (1887-1924) 自画像 c.1922 木炭

 

萬鉄五郎 (1885-1927) 風景 c.1924 鉛筆

 

佐伯祐三 (1898-1928) 人物・動物スケッチ c.1926 インク

 

佐伯祐三 (1898-1928) 風景 1926 ペン、水彩

 

佐分 真 (1898-1936) 群像(習作) 不詳 鉛筆

 

原 精一 (1908-1986) 少女像 1927 コンテ 原理一郎氏寄贈

 

国吉康雄 (1889-1953) ストッキングをつけて横たわる裸婦 c.1930 鉛筆

 

野田英夫 (1908-1939) 風景 1932 水彩

 

三宅克己 (1874-1954) 箱根双子岳 1933 水彩

 

岡田三郎助 (1869-1939) 婦人半身像下図 1936 コンテ

 

靉光 (1907-1946) 鷺 1937 墨

 

松本竣介 (1912-1948) 婦人像 1941 水彩

 

松本竣介 (1912-1948) 男 1947 ペン、インク

 

オシップ・ザッキン (1890-1967) 雲への挨拶 1956 水彩

 

池田龍雄 (1928- ) 「ぬえ」禽獣記 1957 インク、コンテ

 

池田龍雄 (1928- ) 「夜の女王」禽獣記 1957 水彩、インク、コンテ

 

瑛九 (1911-1960) 作品 1958 インク

 

麻生三郎 (1913- ) 荒川B 1954 コンテ

 

麻生三郎 (1913- ) 目B 1967 水彩、パステル

 

飯田善國 (1923- ) 生の花 1964 鉛筆、マーカー、ペン 作者寄贈

 

 素描には、鉛筆、コンテ、木炭、パステル、クレヨン、ペンなどが使われる。毛先を弓のように弾く毛筆とは違い、これらの描画道具は、手の動きが直接画面に伝わる。もし毛筆のような弾力性を求めるならば、画家は手首や腕を柔軟に操らねばならない。

 これは、素描の欠点として捉えるよりは、むしろ画家の意志を忠実に再現することのできる最適の描画材料と考えるべきであろう。言い方を替えると、描画材料が単純なだけ表現にごまかしが利かないのが素描の特色でもある。さらに、素描の簡便さも注目に値する。鉛筆などの描画材をとらえるに十分な「歯がかり」のある紙(支持体)を用意すればいいだけである。画家が着想段階で素描を手がけるのはもっともなことであろう。

 技術的なことはさておき、素描は美術の表現の基本に関わる。素描の名手である岸田劉生は、次のように述べている。

「美術において、素描は色彩よりも骨子である。色彩は素描によらなくては美術的に生かされないけれど、素描はかならずしも色彩の力をかりずにも、充分美術の深底に到達し得る。かくて美術の精髄は素描にあるといい得る。」ここでは、鉛筆、木炭、ペンなど単色の描画材料が念頭に置かれているが、明快な線を積み重ねてかたちをつくり上げる点、パステルやクレヨンといった色材についても、このことはあてはまるだろう。

 素描は美術の基本といえども、それは学習段階の初歩という意味ではない。方眼の線が引かれたシャガール《男と女》など、油絵や日本画のための下絵として素描がおこなわれることも多々あるが、今日残っている素描のいくつかは、素描自体が十分なタブローとしての完成度を持ち合わせている。村山槐多《信州風景》、麻生三郎《荒川B》は言うに及ばず、キルヒナーの《フェルトマインの灯台》や松本竣介《男》などはごく限られた線だけを用いて独自の絵画を構成している。素描におけるこうした芸術的な価値は、近代以降ますます強まり、絵画の一分野とみなされるようになった。

 一方、水彩は文字通り水で溶く絵具を使用する。狭義には透明水彩絵具を指し、広義には不透明水彩絵具(グワッシュ)や、ラヴィ(墨や単色の絵具をうすく溶いた絵具でおこなう素描)、にかわで溶く日本画なども含まれる。透明水彩の表現方法は、明るい部分ほど薄めに塗り、下地の白を生かすので、16世紀までの板絵に描かれた油彩の技法に近い。

 日本では、明治のはじめにイギリス人ワーグマンが、自国で生まれた透明水彩を紹介し普及した。そして、明治30年代から40年代にかけ、水彩画はひときわ脚光を浴びることになった。ベストセラーとなった大下藤次郎『水彩画の栞』(明34)や三宅克己『水彩画手引』(明38)の刊行、水彩画専門雑誌「みずゑ」(明38)の創刊もこの時期で、水彩専門の画家が誕生したのである。こうした情勢に反論したのが帰国間もない鹿子木孟郎であった。鹿子木は油絵の技術大系からはずれて独立した水彩専門などというのはあるのがおかしいと非難し、これに三宅克己が対抗した。『美術新報』や『明星』などの誌上で展開されたこの一連の事件は水彩画論争と呼ばれている。

 不透明水彩は日本では1930年代に注目されだした。安井曾太郎や児島善三郎などの画家が、この時期日本独自の油絵を目指すため、とろみのあるマティエールを採択することが多かったが、不透明水彩絵具が同時に脚光を浴びたことと無関係ではないようである。

(田中善明)

 

第3室:20世紀西洋の美術

作家名 作品名 制作年 材質 備考

エミール・ノルデ(1867-1956) 自画像 1907 リトグラフ・紙

エミール・ノルデ(1867-1956) ハンブルク港 1910 エッチング、アクアチント・紙

 

オットー・ミュラー(1874-1930) 自画像 1921-22 リトグラフ・紙

 

藤田嗣治 (1886-1968) 猫のいる自画像 c.1927 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈

 

サルバドール・ダリ (1904-1989) パッラーディオのタリア柱廊 1937-38 油彩・キャンバス

 

ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 1939 油彩・紙 岡田文化財団寄贈

 

ラウル・デュフィ(1877-1953) 黒い貨物船と虹 c.1949 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈

 

モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 『辺境伯』挿絵本 1955 木版・紙

 

アリスティード・マイヨール (1861-1944) 『ダフニスとクロエ』挿絵本 1937 木版・紙

 

ベン・ニコルソン(1894-1982) 静物 1955 オイルウォッシュ、鉛筆・紙

 

ベン・ニコルソン(1894-1982) パロスの木 1968 エッチング、アクアチント・紙

 

マルク・シャガール (1887-1985) 枝 1956-62 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈

 

ジョアン・ミロ (1893-1983) 女と鳥 1968 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈

 

ジェームス・ローゼンクイスト(1933- ) 話中 1970 リトグラフ・紙

 

A・タピエス (1923- ) ひび割れた黒と白い十字 1976 ミクスドメディア・木

 

A・サンチェス・ルビオ (1959- ) 苦み 1989 ミクスドメディア・布

 

ルイーズ・ネヴィルスン (1899-1988) 無題 1980's 木、鏡

 

ロバート・カミング(1943- ) 測定メディア 1985 水彩・紙

 

ロイ・リキテンスタイン (1923-1997) 娘についての省察 1990 リトグラフ、シルクスクリーン、木版・紙

 

A・キーファー (1945- ) フレーブニコフのために 1984-86 ミクスドメディア・キャンバス

 

 アンゼルム・キーファー(1945- )は、ヨーゼフ・ボイス亡きあと現代ドイツのアート・シーンを代表する芸術家のひとりである。1993年の大規模な日本展では、シーツが鉛でできていて、くぼにみ水がたまった無人のベッドが不気味にならんだ『革命の女たち』という作品がその場の空気さえも息苦しいものに変え、二十世紀がたたかった戦争/悲劇をオーバーラップさせて「負の記念碑」のもつ無言の迫力をかもしだしていたが、どれもとりかえしのつかない歴史の傷跡をさらした廃墟を執拗にえがきつづけるかのような平面的な作品でいまも記憶にのこるのはたとえば『リリトの娘たち』の、光と闇のせめぎあいに泥とも蓮華ともみわけのつかぬ、ひとの脱ぎすてた小さな衣服なのだが、もっともこのリリトにしても又キーファーによって古代バビロニアからよびだされた魔女の眷属ではあったのだ。

 ところで当館所蔵の『フレーブニコフのために』もまたこの展覧会の出品作である。「いい絵はスカッとしていなくてはいけない」といった藤島武二とはまったく逆にチェルノブイリの事故のあとにひろがるタルコフスキー的ゾーンのような、荒れはてた暗い雰囲気をただよわせるのが常套のキーファーせかいの基本をくずさず、はれやかな気分には絶対になれそうもないメランコリーがただよっているといえるだろうか。かたちあるもののおぼろげな影をつなぎあわせてとりあえず風景とみてかまわないが、いっぽう、どんな想像もはねかえしてただそこに吊りさがった鉛/石のほうはその物質性を強調すればするほどかえって意味ありげにみえてくる気配である。もちろんその意味なら意味は多義的であるというか、この作品のまえにたつひとが、それをどんな風にみたかがそのままその作品になるといっていいくらい許容の自由度があるのだが、それでは不安でもうすこしキーファーにちかづきたいひとには『フレーブニコフのために』という題が手がかりになる。

 画面左上に für chiebniikov とドイツ語でかかれているそのフレーブニコフ(1885-1922)はロシア革命の激動を生きた詩人である。旧世界最後の予言者たらんとして、「ぼくは君たちに語ろう。ぼくが未来から感じとっている超人の夢を」とかくかれは数の魔術に魅入られて世界の運命を掌にしめす数式の発見に没頭したといわれている。マラルメが夢みたという「一冊の書物」も同様の全宇宙の秘密をときあかすものとしての数式。かれはまた日露戦争でバルチック艦隊が全滅した1905年をロシア再生の出発点とみなしながら、時間の法則を探求したあげく、ついにZ=(365±48Y)Xなる数式によって近代西欧を摸倣しつづけたロシアが1917年に滅亡すると予言した。もっともスラブ民族の滅亡という終末論的意識は二十世紀初頭のロシア・ルネサンスをになったかずおおくのひとにつきまとう脅迫観念であったのだ。そして終末論がほとんどつねに再生をともなうように、フレーブニコフはヨーロッパ的世界をひとのみにする破滅の大洪水がやがてひいてゆく彼方に、時空をこえたアジア・アフリカの神々の「意味を解体した」呪文のようなことばをききとることもわすれてはいなかった。「創造の故郷は未来である。そこから言葉の神々の風が吹いてくるのだ。」・・・

 いっけん誇大妄想ともとれる予言者詩人フレーブニコフの名をほのめかし、そこから連想にたすけられて、キーファーはみずからをかたらずにしかも自然につたえるべきはつたえるという難事をやってのけている、のかどうか。このテクスチュアには、またべつにキーファーの手でかきこまれた「小さな・・・ドイツ」「大きな・・・ドイツ」という言葉も織りこまれているわけで、そのDEUTSCHLANDのリフレインからはDEUT SCHLAND ÜBERALLES というまたべつの亡霊がきこえてきそうになるのはたんなる空耳か。

(東俊郎)

 

ギャラリー、ロビー

作家名 作品名 制作年 材質 備考

アンヘレス・マルコ (1947- ) 高速道路(連作『通行』) 1987 鉄、脂

八木一夫 (1918-1979) みんなさかさま 1968 陶磁器

 

堀内正和 (1911- ) 二つの円 1993 コラージュ・紙

 

堀内正和 (1911- ) しろとくろ まるとしかく1993 コラージュ・紙

 

堀内正和 (1911- ) 三つの立方体 1993 コラージュ・紙

 

堀内正和 (1911- ) 上昇矩形 1993 コラージュ・紙

 

堀内正和 (1911- ) おりんごっこ 1993 コラージュ・紙

 

堀内正和 (1911- ) へっこみましかく十二面体1993 ブロンズ

 

堀内正和 (1911- )  うらおもてのない帯 1963 ブロンズ

 

堀内正和 (1911- ) 水平の円筒 1959 鉄・御影石

 

江口 週 (1932- )ふたたび飛べるか?柱上の鳥 1988 木

 

江口 週 (1932- ) 漂流と原形 1981 木

 

オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈

 

飯田善國 (1923- ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ

 

多田美波 (1924- ) 曙 1982 テラコッタ、ステンレススティール

 

 

屋外彫刻

作家名 作品名 制作年 材質 備考

ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈

番浦 有爾 (1935- ) 風 1990 ブロンズ

 

多田 美波 (1924- ) 作品91 1991 ステンレススティール

 

松本  薫 (1952- ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール

 

湯原 和夫 (1930- ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈

 

井上 武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール

 

井上 武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985 鉄

 

田畑  進 (1944- ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石

 

八ツ木のぶ (1946- ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装

 

梶   滋 (1951- ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム

 

石原 秀雄 (1951- ) 暗室の王 1994 白御影石

 

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