常設展示常設展示1998年度【第2期展示】 1998年7月1日(水)~9月6日(日)
第1室:大正・昭和の洋画
古賀春江の『煙火』-暖かく柔らかな暗がりが画面を浸し、その中から明るい戸口、赤い提灯、花咲く木やタイトルののろし、そして空中に二隻の船などが浮かびあがる。建物の形も、仄暗さによって角の鋭さをそがれたかのように丸みを帯びており、とすれば、全てはのろしが一瞬見せた幻なのだろうか、戸口から光が洩れるのと同じようにして、船が宙に浮いていても不思議ではないのかもしれない(それとも海が上に配されているだけなのだろうか?)。ただ、右端の斜め格子(前田寛治の『赤い帽子の少女』の椅子と比べられたい)および、濃褐色/赤茶/ピンクという系列が支配する中で随所に交えられた緑と黄が、全体の柔らかさをひきしめ、かつふくらみをもたらしている。
この作品は、古賀がクレーの影響を受けていた時期の典型的なもので、後にモンタージュを駆使したシュルレアリスム風の作風に移行するのだが、いずれにせよ、現実には存在しそうにないイメージを扱っている。その点では展示作中、谷中安規や瑛九、寺田政明と比較することもできるだろう。谷中と瑛九の画面がたたえる浮遊感が古賀のそれに通じる一方で、寺田においては対象の存在感が強調され、より突き放した雰囲気を感じさせる。
他方、古賀の画面を統一する褐色の調子は、西欧近世絵画の基底の一つをなす明暗法に由来するもので、萬鐵五郎、清水登之、須田国太郎、鳥海青児らにも共通している。ただその表情はさまざまで、鳥海の褐色と暗い緑そして強い筆致が、個物を呑みこんでしまう大地のひろがりを表象するのに対し、萬の『木の間よりの風景』や清水においては、モノトーンへの還元と同時に物の形態を単純化し、硬質さを感じさせる量感が生じる。
また鳥海と清水は、高いところから見おろした、その分視線がいっそう動きまわる俯瞰構図においても共通する。この点ではさらに、藤島武二や北川民次を類例としてあげることができよう。その際、鳥海・清水の褐色の調子と、藤島の『大王岬に打ち寄せる怒濤』や北川が、複数の明るい色を対比させて画面を組みたてている点は対照的だ。またそれぞれの作品は地/水平線の高低、つまり視点の角度、それが水平か斜めかによって、空間の表情を変化させている。
さて、古賀の『煙火』にもどると、そこでは、画面を構成するために縦横の格子を暗黙の前提としながら、色調の微妙な変化によって、形態ないしイメージがその上を漂うかのような浮遊感がたたえられていた。この点、具象抽象の区別をこえて、吉原治良の『作品』と比較することができるかもしれない。物質性をあまり感じさせない古賀の塗りに対し、吉原の画面は、白地を厚く塗り、平滑に整えた上で、その表面を生乾きの内に筆先で波立たせたり、削って線をえぐる、あるいは黒や褐色をやはりコテかローラーでならしたりと、絵肌を物質として処理する比重が大きい。にもかかわらず、日常から離脱しようとする白の性格と相まって、暗黙の格子の上で形態が浮遊するかのような空間に共通項を読みとるとしたら、いささかこじつけめいて聞こえてしまうだろうか。
ともあれ、古賀や谷中などはシュルレアリスム(第三室に展示されるミロやダリと比べられたい)、萬や清水などはキュビスム(同じくピカソの『ふたつの裸体』と比較)の影響下にあったとして(ついでに、上述の俯瞰構図を第二室の池大雅の『二十四橋図』等と比べてみよう)、西欧の前衛は日本近代との関係という文脈を抜きにして表面上の比較ができるのも、からっぽの白い箱からなる美術館の成立にのっとってのことで(および写真という複製技術の発展)、しかしその際、それが普遍性の名のもとに、個々の文脈の差異を隠蔽しがちなことは注意しておくべきだろう。ただその危険を認識するためにも、個々の表情一つ一つに丁寧につきあうことが、まずは前提となるのではないだろうか。
(石崎勝基)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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藤島 武二 | (1867-1943) | 朝鮮風景 | 1913 | 油彩・キャンヴァス | |
藤島 武二 | (1867-1943) | 大王岬に打ち寄せる怒濤 | 1932 | 油彩・キャンヴァス | (財)岡田文化財団寄贈 |
戸張 孤雁 | (1882-1927) | トルソ | 1914 | ブロンズ | |
榊原 一廣 | (1883-1941) | 教会のある風景 | 1921 | 水彩・紙 | 榊原一彦氏寄贈 |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 山 | 1915 | 油彩・キャンヴァス | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 木の間よりの風景 | 1918 | 油彩・キャンヴァス | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 茅ケ崎風景 | 1924頃 | コンテ・紙 | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | ほほづゑの人 | 1926頃 | 鉛筆・紙 | |
藤田 嗣治 | (1886-1968) | 猫のいる自画像 | 1927頃 | 油彩・キャンヴァス | 東畑建築事務所寄贈 |
小出 楢重 | (1887-1931) | パリ・ソンムラールの宿 | 1922 | 油彩・板 | |
清水 登之 | (1887-1945) | 風景 | 1921 | 油彩・キャンヴァス | |
中原悌二郎 | (1888-1921) | 石井鶴三氏像 | 1916 | ブロンズ | |
須田国太郎 | (1891-1961) | 信楽 | 1935 | 油彩・キャンヴァス | (財)岡田文化財団寄贈 |
北川 民次 | (1894-1989) | 海への道 | 1942 | 油彩・キャンヴァス | |
古賀 春江 | (1895-1933) | 煙火 | 1927 | 油彩・キャンヴァス | |
村山 槐多 | (1896-1919) | 信州風景 | 1917 | 木炭・紙 | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 風景 | 1924頃 | 油彩・キャンヴァス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 裸婦 | 1928 | 油彩・キャンヴァス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 赤い帽子の少女 | 1928 | 油彩・キャンヴァス | |
谷中 安規 | (1897-1946) | 虎ねむる | 1933 | 木版・紙 | |
谷中 安規 | (1897-1946) | 瞑想氏 | 1933 | 木版・紙 | |
鳥海 青児 | (1902-1972) | 紀南風景 | 1936 | 油彩・キャンヴァス | |
山口 長男 | (1902-1983) | 池 | 1936 | 油彩・キャンヴァス | |
吉原 治良 | (1905-1972) | 作品 | 1937 | 油彩・キャンヴァス | |
村井 正誠 | (1905- ) | 支那の町NO.1 | 1938 | 油彩・キャンヴァス | |
今西 中通 | (1908-1947) | 男二人 | 1941 | コンテ・紙 | |
瑛 九 | (1911-1960) | 人物 | 1935頃 | インク・紙 | |
瑛 九 | (1911-1960) | 作品 | 1935頃 | インク・紙 | |
寺田 政明 | (1912-1989) | 漁婦 | 1941 | 油彩・キャンヴァス | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 家族 | 1937 | 鉛筆・コンテ・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 婦人像 | 1941 | 水彩・紙 |
第2室:三重の近世絵画
近年ますます評価の高い曾我蕭白は、三重の近世絵画を考える際に欠くことのできない絵師であり、その蕭白が2度、3度と伊勢の地に滞在したことはよく知られている。しかし、江戸時代に三重を訪れたのは蕭白だけではない。伊勢街道をはじめとする多くの街道が伊勢と各地を結んでいたために、さまざまな文化人がこの地を訪れている。もちろんその背景には、伊勢神宮人気があった。また、文化人を迎え、そしてもたらされた文化を吸収しうる土壌がこの地にあったことも忘れてはならない。松坂商人により経済力が増し、一方では韓天寿や次に述べる増山雪斎など各地の文化人と交流のあった地元の文化人も存在し、経済・文化の両面で充実していた。
伊勢長島藩主であり、なおかつ絵画をはじめ書、詩、煎茶などをたしなんだ雪斎は、文字通りの文人画家であった。雪斎といえば、写実的に虫類を写生した『虫豸帖』(東京国立博物館)が有名であるが、今回展示している「百合に猫図」あるいは「花鳥図」なども写実的な描写がなされているといわれることがある。しかし、写真や克明に立体表現された西洋の静物画を見慣れたわれわれの目に、これらの絵は本当に「写実的な絵画」にうつるのだろうか。雪斎の絵を語る際に用いる「写実的」という語はどのような意味をもっているのか。雪斎が活躍した時代の様子を少し振り返ってみよう。
江戸時代の後期は、「写実的な絵画」が大流行した時代であった。「絵は、応挙の世に出て、写生といふことのはやり出て、京中の絵が皆一手になつた事じゃ」(上田秋成『胆大小心録』)といわれるほどにひとびとを魅了した円山応挙は、手本にならって制作する従来の絵画制作のあり方を脱し、対象を前にして、実際に観察しながら描く写生をもとに制作をおこなった。また、1731年に渡来した中国人画家の沈南蘋(生没年不詳)は、濃密な彩色でモティーフの質感や量感を克明に描き出した花鳥画を長崎にもたらし、人気を博した。さらに西洋画から学んだ透視遠近法、陰影法を用い、水平線を設定し空間の奥行きまで表現しようとする秋田蘭画もおこっている。代表的な秋田蘭画家のひとりである佐竹曙山は、日本で初の西洋画論『画法綱領』において、「画ノ用タルヤ似タルヲ貴フ」と述べ、モティーフを忠実に写すことの大切さを説いている。
ここで雪斎の描いた「百合に猫図」や「花鳥図」に話をもどそう。これらの絵を写実的と評するのは、粉本と呼ばれる手本をもとに絵画制作をおこなっていた従来の絵画制作のあり方とは違う、江戸時代後期の絵画制作の状況を考えてのことである。このように、「写実的」ということばは、写真のように、モティーフを厳密に再現した作品にのみ用いられる言葉ではない。雪斎の絵に描かれた猫や鳥、あるいは草花は、写真や西洋画を見慣れた現在のわれわれの目には、写実的な絵画にはみえないかもしれないが、江戸時代のひとびとの目には、写実的な絵にうつったことだろう。
作品を観るときには、その作品が制作された時代にはどのような制作方法が主流であったのか、そしてどのような方法が新たに生み出されたのか、それはなぜなのか…、というように制作された時代に思いを馳せることも重要であり、絵画の楽しみ方のひとつであるともいえるだろう。絵画制作のプロセスはかならずしも一通りではないのである。
(佐藤美貴)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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池 大 雅 | (1723-1776) | 山水図 | 紙本淡彩 | ||
池 大雅 | (1723-1776) | 二十四橋図 | 紙本淡彩 | ||
韓天寿 | (1727-1775) | 山水図 | 紙本墨画淡彩 | 寄託品 | |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 松に孔雀図襖 | 紙本墨画 | (財)岡田文化財団寄贈 | |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 周茂叔愛蓮図 | 紙本墨画 | ||
月 僊 | (1741-1809) | 西王母図 | 1770 | 絹本著色 | 小津家寄贈 |
月 僊 | (1741-1809) | 東方朔図 | 絹本著色 | 小津家寄贈 | |
月 僊 | (1741-1809) | 猫図 | 1791 | 絹本淡彩 | 小津家寄贈 |
月 僊 | (1741-1809) | 虎図 | 絹本淡彩 | 小津家寄贈 | |
月 僊 | (1741-1809) | 山水人物花卉鳥虫図巻 | 紙本淡彩他 | 小津家寄贈 | |
増山 雪斎 | (1754ー1819) | 百合に猫図 | 絹本墨画著色 | ||
増山 雪斎 | (1754ー1819) | 花鳥図 | 1794 | 絹本淡彩 | |
増山 雪斎 | (1754ー1819) | 花鳥図 | 1814 | 絹本著色 | |
増山 雪斎 | (1754ー1819) | 雁図 | 1815 | 絹本著色 | |
歌川 広重 | (1797-1858) | 隷書東海道五十三次 | 1847-51 | 大判錦絵 | 東海銀行寄贈 |
第3室:ゴヤとスペイン美術
1935年制作のフランス映画『女だけの都』はなんどみてもあきない傑作だが、ジャック・フェデー監督はその舞台を、北海にそそぐエスコー河をのぞむフランドルの架空都市ボームにとっている。ときは1616年のある日。三人の屈強な先触れがオリヴァレス公爵ドン・ペドロがスペイン国王の特使としてボームに宿営するという命令を市庁舎になげこむところからはじまるのだが、この物語に真実味をあたえているのは、かつて対馬で子供が手におえないと「そんなことをいっているとムクリ、コクリがくるぞ」と脅し文句につかわれたというそのジンギスカンの蒙古兵にまさるとも劣らないスペイン軍の、勇敢で圧倒的なつよさというか、血をながすことをおそれない非情な残酷さだった。
なんといっても16世紀はスペインにとって黄金の世紀である。フェリペ2世からフェリペ3世にかけて急速にせかいの桧舞台に登場して、「日の没することなき帝国」を出現させたからである。無敵のスペインの栄光。しかしこの繁栄はていのいい略奪が築いたものだったから、光を光とするための影はどんな時代のどこよりもふかく濃いものがあった。たとえば改宗ユダヤ人をたっぷり三百年ふるえあがらせつづけた異端審問の恐怖があった。審問官トルケマダにはじまる「神のより大きな栄光のために」過激であることをむしろ誇りとしたスペイン・カトリックのこの栄光と悲惨は、16・17世紀のスペイン美術をその暗部とともにせかいにおしだしたようにみえるが、それはそれとして映画にもどってオリヴァレス公がルイ・ジューヴェ扮するドミニコ会の司祭と猿をつれた小人とともに、フランソワーズ・ロゼー扮するところの市長夫人宅に一夜の宿をかりることになったその当の1616年にヴェラスケスは17歳、リベーラは25歳、スルバランは18歳で、エル・グレコは死後2年、ムリーリョは生まれる一年まえで、これだけの世界的な画家がいきた時代をスペインの歴史はほかにもっていないのである。
ムリーリョとエル・グレコはあらゆる点で対照的である。地上のできごとは神の国が到来するまでの化幻でしかなく、禁欲のはてに至高の存在を幻想するエル・グレコには異端審問官の情け容赦のない精神につうずる感受性があるとすると、逆にムリーリョのえがくのは法悦に陶酔して我をわすれた非日常の無時間ではなく、日々のくらしを時はながれ、ただそれを聖母マリアの慈悲がやさしく包んでいる。いつの時代もそうである常民の信心のありかによりそってえがきだされたせかいである。ためしに『アレクサンドリアの聖カタリナ』をみてもよいだろうか。4世紀のひと。わが国でいえば天神様にあたる学問の守護聖女であるが、マクシミアヌス帝があつめた異教の博士たちをことごとく論破してキリストのおしえに折伏したため、ついに帝によって斬首されたという伝説をもっている。また別に天使にえらばれてキリストの花嫁となったという「聖カタリナの神秘的結婚」のものがたりもつたえられている。けれどここでムリーリョは、劇的ないっさいの道具だてをおさえて、ただ神を信ずるこころだけは深いひとりの女性をとりあげただけのようにみえる。剣はただなげだされているだけだし、カタリナが王家の出であることをしめす冠もめただたなくて、どうやら手に指輪もしていないようだ。さりげない暗示に気づくものだけがムリーリョの深い感動をともにする。それはスペイン・カトリックでなくてもいっこうにかまわない、より普遍の、すべての信仰するこころにひらかれた感情である。ついでにもうひとつふれておこう。スルバラン派の画家の手による『聖ロクス』であるが、こちらはペストからの救済者として崇められた。じしんペストにかかり死ぬために森にはいりこむと犬が食糧をはこび天使が看護してついに回復したという伝説をのこしている。巡礼杖をもつロクスもその足のペストに膿んだ傷口をしめす天使もパンをくわえる犬も手がたいが、ムリーリョの『聖カタリナ』とくらべれば力量のちがいはあきらかである。
(東 俊郎)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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バルトロメー・エステバーン・ムリーリョ | (1617-1682) | アレクサンドリアの聖カタリナ | 1945-50 | 油彩・キャンヴァス | |
スルバラン派の画家 | 聖クロス | 17世紀 | 油彩・キャンヴァス | 有川一三氏寄贈 | |
フランシスコ・デ・ゴヤ | (1746-1828) | 騎兵アルベルト・フォラステール | 1804 | 油彩・キャンヴァス | (財)岡田文化財団寄贈 |
フランシスコ・デ・ゴヤ | (1746-1828) | 戦争の惨禍 | c.1810-20 | 銅版画・紙 | |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | ロマの女 | 1900 | パステル、油彩・紙 | 三重県企業庁寄託 |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | ふたつの裸体 | 1909 | 銅版画・紙 | |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | 女の顔 | 不詳 | 陶板画 | 寄託品 |
ジョアン・ミロ | (1893-1985) | アルバム13 | 1948 | 石版画・紙 | |
ジョアン・ミロ | (1893-1985) | 岩壁の軌跡 | 1967 | 銅版画・紙 | |
ジョアン・ミロ | (1893-1985) | 女と鳥 | 1968 | 油彩・キャンヴァス | (財)岡田文化財団寄贈 |
サルバドール・ダリ | (1904-1989) | パッラーディオのタリア柱廊 | 1937-38 | 油彩・キャンヴァス | |
アントニ・タピエス | (1923- ) | ひび割れた黒と白い十字 | 1976 | ミクストメディア・木 | |
エドゥアルド・チリーダ | (1924- ) | ビカイナXVI | 1988 | 銅版画・紙 | |
エドゥアルド・チリーダ | (1924- ) | エルツ | 1988 | 銅版画・紙 | |
ホセ・ルイス・アレクサンコ | (1942- ) | ソルダイヴァー | 1990 | 油彩他・キャンヴァス | |
アルフォンソ・アルバセテ | (1950- ) | 幻影1 | 1990 | 油彩・キャンヴァス |
ギャラリー・ロビー
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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ジョジュジュ・ビゴー | (1860-1927) | 日本素描集
(クロッキ・ジャポネ) |
1886 | エッチング・紙 | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1971 | 鉄・ステンレス | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 真鍮、クローム鍍金 | ||
浅野 弥衛 | (1914-1996) | 作品 | 1986 | 木、オイルスティック | |
浅野 弥衛 | (1914-1996) | 作品 | 1986 | 木、オイルスティック | |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | ヴィーナスの誕生 | 1930 | ブロンズ | 岡三証券寄贈 |
飯田 善國 | (1923- ) | Xのコンストラクション | 1987 | 木、着色麻ロープ | |
多田 美波 | (1924- ) | 曙 | 1982 | テラコッタ、ステンレススティール | |
江口 週 | (1932- ) | ふたたび翔べるか?
柱上の鳥 |
1988 | 木 | |
江口 週 | (1932- ) | 漂流と原形 | 1981 | 木 |
屋外彫刻
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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ジャコモ・マンズー | (1908-1991) | ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 | 1973 | ブロンズ | 百五銀行寄贈 |
多田 美波 | (1924- ) | 作品91 | 1991 | ステンレススティール | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | 井村屋製菓寄贈 |
井上 武吉 | (1930-1997) | my sky hole 82 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | |
井上 武吉 | (1930-1997) | my sky hole 85-6 | 1985 | 鉄 | |
番浦 有爾 | (1935- ) | 風 | 1990 | ブロンズ | |
田畑 進 | (1944- ) | NOKOSARETA-KATACHI | 1982 | ステンレススティール・黒御影石 | |
八ツ木 のぶ | (1946- ) | 象と人(異邦の夢) | 1988 | ステンレススティール・ウレタン塗装 | |
梶 滋 | (1951- ) | 円柱とその周辺 | 1986 | アルミニウム | |
石原 秀雄 | (1951- ) | 暗室の王 | 1994 | 白御影石 | |
松本 薫 | (1952- ) | Cycle-90° | 1992 | ステンレススティール |