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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1997 > 常設展示1997年度第3期(1997.10-12)

常設展示1997年度【第3期展示】 1997年10月1日(水)~12月21日(日)

第1-2室:紙と線の宇宙

 線描は私たち日本人にとってなじみ深いものである。しかし今回は、西欧美術を受け入れた近代以降の日本の線描を、少し西洋に気持ちを傾けながら味わってみたい。それには、こんなお話が幕開けとしてふさわしいかもしれない。

 むかしむかしのある恋人たちの物語。-ある日、男が戦場におもむくことになった。女は、別れを悲しんで、恋人の面影を忘れないようにと、ろうそくの炎で壁に映しだされた男の顔の輪郭を線でなぞり、思い出としたという-

 この神話は、絵画の始まりを伝えるエピソードのひとつとしてしばしば引用される。「絵画は線から始まった」とか、「肖像から始まったのだ」とかのそもそもの物語である。

 神話の効用からしてみれば、このお話が西洋美術における線、つまりデッサンの重要性を語っていることに私たちは気付かされる。実際、美術アカデミーでの授業は遠近法、肉付け、顔の表情の研究、石膏デッサン、裸体モデルのデッサンなどというように、終始、線にまつわる授業内容だったし、今世紀を代表する画家の一人である色彩の魔術師アンリ・マチスでさえ、生涯を通じて毎日大量のデッサンをトレーニングと称して行っていた。

 ところで、デッサンと同義で使われるドローイングという言葉があるが、語源をたどればドローイングは文字通り、drawという動詞を現在進行形にしたもの、つまり線を引く行為を示す。また、ラテン語に由来するデッサンは、描写という意味のほかに、構成という意味が含まれていた。これは、デザインとデッサンが同じ言葉から派生したことを考えれば理解しやすい。このように、ドローイングとデッサン、二つの言葉は厳密には少し意味が異なるのだが、今回の主旨は、むしろドローイングとしての線を鑑賞する方にある。

 身近なところで線といえば、筆跡があげられる。文字を書くこと自体がすでに線の芸術を暗示しているし、自分の書体が嫌で、他人のそれを真似た経験を持つ人は多いだろう。文字はすでに美の感覚をともなっていて、悪筆もまた、独特な雰囲気を持つ線として味わい深いのである。筆跡は、文字という記号的機能だけでなく、線の妙技としてみることもできるのだ。カリグラフィ(日本でいうところの書)などは、まさにそこに重点を置いている。また、19世紀末の象徴派詩人ステファヌ・マラルメが詩の表記に余白を取り入れて、文字の羅列にリズムを取り入れたことも、文学と美術の境界を越えたドローイングの芸術として視角的に楽しめる。

 さて、こんなことを考えながら美術に話を戻せば、要するに、線を引く行為は、描く対象や観念との直接的な対話を可能にしてくれるもっともシンプルな手段なのである。線は、油絵の具などの重厚なマティエールに縛られない。その軽快さがあるために、やり直しのきかない一回だけのセッションが紙との間で可能になるのである。まるで即興で演奏されるジャズのように。

 鑑賞者は、たとえその場に居合わせなくても、作家の手のスピードを記憶した線をたどりながら、それを追体験し、彼らの体のリズムを自分の中に瞬間的に取り込むことができる。

 常設展示に選んだ作家たちのドローイングはどれも味わい深い。一般的に、画家の線がどちらかといえば装飾的な趣きを感じさせるのに対し、彫刻家の線は自ずと立体感を含んでいたりもする。しかし、そうした典型を越えて、彼らの線はときに生々しくなにものかをこちらに投げかけてくる。私たちはそれをしっかりと受けとめることができるのだろうか、それとも、こらえきらずに避けてしまったり、ぶくかって倒されてしまったりするのだろうか。

 言葉にならないものを無理するのは居心地が悪いものだが、敢えて2,3の例を見るとするならば、たとえば、大正期、青春の魂を焦がした夭折の画家、関根正二と村山槐多のドローイング。そして、瑛九のドローイング、最後に浅野弥衛の線。まず、関根と村山の小さな紙片に書き留められた2人のスケッチは、絵画に昇華してゆく以前の溢れる創意を逃すまいとする懸命さとスピード感が紙面に充満している。対して、瑛九はシュールレアリスムの自動筆記を思わせるような夢想的な緩やかな線を残した。グラフィック的な要素を持ち、外に向かってほとばしる感性と言うよりも、閉ざされたひとつの宇宙を作り出している。そして浅野弥衛。彼は、他の誰よりも線の可能性を冒険し、遊戯の域にまで達した。特に、カンヴァスを支持体として引っかきによってつくりだされた線は、絵の具の削除という、普通とは違う逆方向によってこしらえられたものである。さらに、浅野は引っかき傷に絵の具を埋め込み、線を育む。彼の線の遊戯は美術を越え、音楽、文学の世界にまで浸透している。

 最後に、こうした線の冒険が、紙という素材に支えられていることも忘れてはならない。黒に対する白の色として、またはイメージに対する背景として、紙は線に合わせて軽快に役割を変えるのである。そして、今度は紙自体に注目してその可能性を引き出そうとしている玉置のような作家がいることも興味深い。

 伝統的に紙と線をよく知っている私たちは、彼らの作品を通して、自分なりのセッションを行えるかもしれない。という希望を持って…

(桑名麻理)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
関根 正二 (1899-1919) 自画像 1918 インク・紙  
関根 正二 (1899-1919) 野娘 1917 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 三人(野原)   インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 寝ている男 1918 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 顔(2つ) 1919 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 『文章世界』表紙下絵 1918 墨、鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 裸体   インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 登っている男   鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 関根正二小品画会 案内草稿   墨、鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 少女立像   インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 手(2つ)「スケッチブック」より 1919頃 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 絵の具「スケッチブック」より 1919頃 油彩、インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 手「スケッチブック」より 1919頃 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 着物の女と女の顔 1915 水彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 左向きの女の顔 1915 水彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) しゃがんだ男 1915 水彩、インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 両手を開いた裸婦立像 1915頃 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 立っているピエロ 1918 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 踊るピエロ 1918 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 座る裸婦 1915頃 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 交接 1915頃 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 船の人 1918 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 人物(3人)   鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 詩原稿   鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 人物のいる農村風景 1914-15頃 鉛筆・紙  
村山 槐多 (1896-1919) 信州風景(山) 1917 木炭・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 涼湖の柵 1954 木版画・紙  
棟方 志功 (1903-1975)   1955 木版画・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 〈棟方志功版画〉挿絵(1) 1958頃 木版画・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 〈棟方志功版画〉挿絵(2) 1958頃 木版画・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 四季韻の柵 1958頃 木版画・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 安川加礼無題頌の柵 1958頃 木版画・紙  
萬 鉄五郎 (1885-1927) 茅ケ崎風景 1924頃 コンテ・紙  
萬 鉄五郎 (1885-1927) 風景 1924頃 鉛筆・紙  
萬 鉄五郎 (1885-1927) ほおづゑの人 1926頃 鉛筆・紙  
瑛 九 (1911-1960) 裸婦 1935頃 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 人物 1935頃 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 作品 1935頃 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 作品 1958 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 渡り鳥 1957 リトグラフ・紙  
瑛 九 (1911-1960) シルク(サーカス) 1957 リトグラフ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 荒川B 1954 コンテ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 目B 1967 水彩、パステル・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 1979 鉛筆・紙  
菅井  汲 (1919-1996) 無題 1959 水彩、墨・紙  
菅井  汲 (1919-1996) 無題(全6点) 1958-60 リトグラフ・紙  
菅井  汲 (1919-1996) 青のインキ 1962 リトグラフ・紙  
菅井  汲 (1919-1996) ブロンズ 1963 リトグラフ・紙  
高松 次郎 (1936-   ) 版画集 水仙月の四日(4点組) 1984 シルクスクリーン・紙  
難波田龍起 (1905-   ) 創生A 1961 油彩・キャンバス  
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1964 油彩・キャンバス  
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1970 油彩・キャンバス  
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1970 油彩・キャンバス 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1977 油彩・キャンバス 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1978 油彩・キャンバス 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1987 油彩・キャンバス 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1976頃 鉛筆・紙 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1976頃 鉛筆・紙 預かり品
浅野 弥衛 (1914-1996) 銅版画 1973-94 銅版・紙  
木下 富雄 (1923-   ) 習作(黒B) 1962 木版・紙  
木下 富雄 (1923-   ) 習作(B) 1962 木版・紙  
木下 富雄 (1923-   ) 無題 1962 木版・紙  
木下 富雄 (1923-   ) Face(白い勲章) 1979 木版・紙 作者寄贈
木下 富雄 (1923-   ) 顔(面)1 1967 木版・紙  
木下 富雄 (1923-   ) 顔(哀) 1970 木版・紙  
鈴木 道子 (1954-   ) PLANT-C 1995 銅版・紙  
玉置 光恵 (1943-   ) 風・扉 #2 1996 楮・雁皮・植物染料  
 

第3室:西洋の場合

 常設第三期のもうひとつのテーマは20世紀の西洋美術なのだが、ここでは前半を受けて作品を選んでみた。

 3室に及ぶ作品の全体を見渡してみると、アルベルト・ジャコメッティとヘンリー・ムーアのドローイングが彫刻家の線という点でひときわ異彩を放つ。彼らの作品、それも特にムーアの作品の前に立つと、「ものを把握する」ということを無言のうちに教えてくれる。

 当美術館が所蔵するムーアの『ストーンヘンジ』版画集は、巨石の量感を特徴とする。時折描き込まれた豆粒大の人物によっても、その大きさは強調されているが、そのような存在がなくても十分すぎるほどの石の重みである。

 ムーアは、ひらめきのままに手を動かすというよりも、むしろ丹念に黒い線を積み重ねていったようだ。線が集積すれば黒い部分に、疎になれば白くなった。若い頃ジョルジュ・スーラの素描を手本としていたらしいが、黒の密度の使い分けはまさにスーラから受け継いだものである。ただし、決定的な2人の違いは、スーラが光と闇のシルエットの天才だったことに対し、ムーアは光と闇の間で、なおも存在する石の重力に敏感だったことだろう。ムーアの白と黒はもはや光とは別のものを表現し始めている。白は人智を超える巨石のパワーを、黒はその重みを。ムーアは、人間の体よりも逢かに大きい巨石の量感を描写しようと、線も、白と黒もそれのみに捧げた。

 ムーアが石の量感を線の世界のなかに再現し得た理由を、彫刻家としての資質に問うてしまえばそれまでだが、もう少し想像に身を遊ばせるなら、おそらく彼と対象との距離感が関係してくる。『ストーンへンジ』版画集の強烈な印象は、驚くほどクローズ・アップした視点によっても支えられているからだ。実際に彼が石にしがみつくようにしてスケッチをしていたという確証はないが、その極端な目の近さは、石の量感と一体化しようとするムーアの姿勢を思わせる。対象との一体化が、創造にとって必要だったに違いない。それがあながちでたらめな推測ではないことは、私の脳裏に浮かぶある画家のエピソードによっても示される。

 ある画家とは、またもやマチスだが、彼は膨大なデッサンを残したことでも知られ、その線を真似ることはほとんど不可能に近いと言われている。たった一本の線でさえ、あるべき場所にぴたりと引かれていて、一ミリたりとも動かせはしない。しかもその線は、ものの形態だけでなく、量感をも捕らえていた。そして、このマチスの神技は対象への極端な接近が生み出したものだった。

 モデルを前にしたセッションで、マチスはほとんど触れてしまうほどに相手に近づいていたらしい。彼はモデルの肉体の起伏や量感を把握するために、こうした手段を選んでいたのである。目と手による単純な描写ではない。モデルとの一体化を目指した五感による感覚的な描写である。セッションを終えると、今度はその線が自分のものになるまで繰り返して描き続けたという。そして、最終的には目を閉じても手が自然に動いて再現できるようになっていた。これが、マチスのものの把握の仕方だった。

 ムーアとマチスが同じ方法でものを見ていたと結論づけるのは早計だが、対象を把握するときのエゴイスティックな線は、ぼうぼうとした日々を送る私のようなふつう人の一介の執着心となんとかけ離れていることだろう。

(桑名麻理)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
マルク・シャガール (1887-1985) 1908 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 男と女 1908-25 インク・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 扇を持つ女 1908-25 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 働く男 1908-25 インク・鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 荷車を引くロバ 1914 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 水浴 1925-26 インク・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 水夫と女   インク・紙  
E.Lキルヒナー (1880-1938) フェルトマインの灯台 1912頃 鉛筆・紙  
E.Lキルヒナー (1880-1938) ダヴォス近郊の小屋   クレヨン・紙  
エミール・ノルデ (1867-1956) ハンブルク港 1910 エッチング、アクアチント・紙  
エミール・ノルデ (1867-1956) 自画像 1907 リトグラフ・紙  
エミール・ノルデ (1867-1956) 引き舟 1910 エッチング・紙  
マックス・ペヒシュタイン (1881-1955) 船員 1919 水彩、コンテ・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 正面向きの裸婦 1955 エッチング・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 2枚の肖像画のある花束 1955 エッチング・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 壜のあるアトリエ 1957 リトグラフ・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 1965 エッチング・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 室内の人物 1965 リトグラフ・紙  
ヘンリー・ムーア (1898-1986) 版画集『ストーンヘンジ』 1971-73 リトグラフ、エッチング・紙  
ベン・ニコルソン (1894-1982) 静物 1955 オイルウォッシュ、鉛筆・紙  
ベン・ニコルソン (1894-1982) パロスの木 1968 エッチング、アクアチント・紙  
アントニ・タピエス (1923-   ) ひび割れた黒と白い十字 1976 ミクストメディア・木  
Gティテュス=カルメル (1942-   ) 四季・秋よりⅣ 1989 アクリル・紙  
Gティテュス=カルメル (1942-   ) 四季・秋よりⅤ 1989 アクリル・紙  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
湯原 和夫 (1930-   ) 無題84-7 1984 鉛筆・アクリル・経木・セロテープ・紙 作者寄贈
湯原 和夫 (1930-   ) 無題85-7 1985 アクリル・和紙・紙  
若林  奮 (1936-   ) 大気中の緑色に属するもののためのデッサン 1982 鉛筆・紙  
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1996 木・オイルスティック  
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1986 木・オイルスティック  
向井 良吉 (1918-   ) 発掘した言葉 1958 ブロンズ 作者寄贈
向井 良吉 (1918-   ) パッキングのオベリスク 1989 アルミニウム  
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角Ⅲ 1961 ブロンズ  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・著色麻ロープ  
江口  週 (1932-   ) ふたたび翔べるか-柱上の鳥 1988  
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレス  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶 滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原  秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
松本  薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
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