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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1997 > 常設展示1997年度第2期(1997.6-9)

常設展示1997年度【第2期展示】 1997年6月25日(水)~9月28日(日)

第1室:宇田荻邨、伊藤小坡の本画と下絵

 私たちが普段目にする造形作品の多くは、これ以上手を入れる必要がないと作者が考え、落款や印章が加えられた完成作品である。こうした完成作によって作家のことが語られ、また一つの美術の流れがつくられていくことになるのだが、作品が完成するまでの間に余人では窺い知れない様々な営みがあること、そして、そうした創造のプロセスが私たちにとって非常に興味深いものであることはいうまでもないだろう。

 そうした作家たちの創作の営みの有様を伝えてくれるものとして、作家自身の言葉ももちろん重要ではあるが、素描や、習作、下絵類も、言葉にできない作家の心の動きや制作の過程を伝えてくれる資料として大きな意味を持っている。

 制作の過程でつくられた素描や下絵は、本来第三者に見せることを目的としない、いわば舞台裏の存在である。したがって、古今東西を問わず、そうした素描類を公開することに否定的な立場をとる作家は決して少なくない。しかし、私たちにとって一つの作品の意味を解明する上で、素描や下絵は何より有用であるし、また作家の生き生きとしたありのままの姿を見ることができるところに、素描類の大きな魅力がある。

 今回、第一室には三重出身の二人の日本画家-宇田荻邨伊藤小坡の本画と下絵類を展示した。この二人に共通するのは、三重出身ということだけでなく、本格的な絵画研究を京都で、しかも円山四条派系統の絵画を学んで画家としての活動を開始したということである。

 宇田荻邨は、菊池芳文、契月に、伊藤小坡は森川曾文、谷口香喬に師事して、大正前期から活動を始めた。この時期、京都では青年画家を中心に新しい日本画創造の気運が高まり、西洋絵画の表現を意識した日本画が試みられていたが、荻邨、小坡もその例外ではなく、荻邨はアール・ヌーヴォー調のデカダンな雰囲気の作品を、また小坡は日常生活の一こまを新鮮な視覚でとらえた作品をそれぞれ発表していた。

 ところで、現代作家の場合には例外もあるが、日本の伝統的な絵画には一定の制作方法が踏襲されてきた。それは、完成作に至る前段階において、画家は草稿、小下絵、大下絵と称される複数の下絵類を通じて構想を決定していくことである。荻邨、小坡を含む大正期京都の青年画家たちは、新しい表現を目指していたけれども、制作方法はこの伝統的な方式に従っていたことが現存する下絵類から知ることができる。

 下絵の最終段階である大下絵は、完成作と同じ大きさで描かれ、彩色が淡彩で施されたりする。最終稿である大下絵では、図柄や着色が変更されることは少ないが、それでも紙を貼り重ねて改変が行われる場合もある。小下絵や草稿の段階では、画家は画面構成やモチーフを変更して様々な模索を繰り返すことになる。

 完成作での描き直し、塗り直しは、岩絵具の性質や線描重視の日本絵画の特性からほとんど不可能に近いといってもよい。つまり、大下絵では、完成作に盛り込まれる全てのものが決定されている必要がある。そして、それらが本画の画絹や料紙に移されるということである。大下絵と本画とを比較して、完成作から時に感じられるある種のよそよそしさは、そうした画材の性質や制作の過程が一因でもある。

 表舞台の存在として本画が尊重されるべきことはいうまでもないが、黒衣的存在であった下絵も、今日の私たちから見ると、完成作とは別種の新鮮な魅力を持っていることは間違いない。

(毛利伊知郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
宇田 荻邨 (1896-1980) 夜の一力(下絵) 1919(大正8) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋 1919(大正8) 絹本著色 川合東皐氏寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋(下絵) 1919(大正8) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 港(下絵) 1921(大正10) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰 1922(大正11) 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰(下絵) 1922(大正11) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 淀の水車(下絵) 1926(大正15) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 溪谷(下絵) 1927(昭和2) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 高雄の女(下絵) 1928(昭和3) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) えり(下絵) 1931(昭和6) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 流江清夜(下絵) 1930(大正7) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 春の池 1931(昭和6) 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 春の池(下絵) 1931(昭和6) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 梁(下絵) 1933(昭和8) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 田植(下絵) 1937(昭和12) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 寒汀宿雁 1939(昭和14) 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 寒汀宿雁(下絵) 1939(昭和14) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 御塩殿(下絵) 1944(昭和19) 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園の雨 1953(昭和28) 絹本著色 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園の雨(下絵) 1953(昭和28) 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) スケッチブック   鉛筆、淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 化粧 明治末期頃 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) 制作の前(下絵) 1915(大正4) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 祇園町の春(下絵) 1916(大正5) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) つづきもの(下絵) 1916(大正5) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば 1918(大正7) 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば(下絵) 1918(大正7) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) はじらい 不詳 絹本著色 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 夏(下絵) 1920(大正9) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 山羊の乳(下絵) 1922(大正11) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 秋草と宮仕へせる女たち(下絵) 1928(昭和3) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 伊賀のつぼね(下絵) 1930(大正7) 淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 元禄頃美人教示之図 1951(昭和26) 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) スケッチブック   鉛筆、淡彩・紙 伊藤正子氏寄贈
 

第2室:三重の近世絵画

 第2室には、韓天寿・池大雅・曾我蕭白・月僊そして増山雪斎といった近世画人の作品を展示している。ヴァラエティーに富んだこれらの画人を結ぶキーワードは、《三重》。まず、はじめに各々の画人たちが、いかにこの地とかかわったのかを概観しておこう。

 まずはじめは、画家としてよりもむしろ書家としての評価の高い韓天寿である。天寿は、松坂の中川家の養子となり、松坂中町に住していたとされる。天寿は、次に述べる池大雅と親交を結んでいたことが知られており、大雅・高芙蓉とともに、白山、立山、富士を旅している。また、大雅筆「二十四橋図」は、天寿の旧蔵である。

 大雅は、現在でも高く評価されている文人画家のひとりである。京都生まれの大雅が、《三重》とかかわる画人として取りあげられる理由は、大雅が旅をよくしたことにある。他の多くの文人あるいは画家がそうであったように、大雅も伊勢の地を訪れている。むろん、親しかった天寿がいたことも、大雅の伊勢来訪に大きく影響している。

 つづいては、伊勢で活躍した画家としては欠く事のできない月僊である。月僊が、伊勢にある寂照寺に住持として遣わされたのは、34歳の年である。名古屋の商家に生まれ、7歳で得度、後に江戸の芝増上寺、京都の知恩院を経て寂照寺の僧となっている。画技は、桜井雪館(1715-90)、円山応挙(1733-95)に師事しており、さらには、与謝蕪村(1716-84)にも私淑していたといわれている。

 月僊とも親しくしていた増山雪斎は、伊勢長島藩主の長子として、江戸で生まれている。23歳のときに父のあとを継ぎ、48歳で隠棲。書、絵画、詩、煎茶などをよくたしなみ、文化人との交流も盛んであった。

 さて、曾我蕭白もしばしば伊勢を訪れ、この地にすぐれた作品を残している。最後に、近年とみに評価の高い蕭白についてみてゆこう。“奇想”の画家として語られる蕭白の奇行を伝える記述は数多い。天才的芸術家は、常軌を逸した行動をとると考えられがちであることから、これらの伝記が作品以上に前面に押し出されることも少なくない。ここでは、これらの逸話をしばし忘れて、蕭白筆「林和靖図」をみてゆこう。

 林和靖は、中国宋時代の高士であり、梅を愛し、鶴を飼い、詩を吟じて、西湖の孤山で悠々自適に過ごしたとされる。このように、世俗と一線を画し、交わらない生活は、文人たちの憧れであった。林和靖愛梅図は、周茂叔愛蓮図、黄山谷愛蘭図、陶淵明愛菊図とあわせて、四愛図と呼ばれる画題である。

 六曲一双の「林和靖図」は、右左隻を通して、梅の巨木が描かれる。腰を下ろした林和靖の背後には、画面狭しと、上へ、そして左へと伸びる梅が、力強い筆致で捉えられる。左隻には、月夜に二羽の鶴が描かれている。梅の巨木が一度画面を突き抜け、再び枝が描かれる例は、狩野山雪筆(1589/90-1651)の「老梅図襖」(メトロポリタン美術館所蔵)にもみられる。山雪は、伝統をふまえつつも個性的構成をおこなう絵師として評価が高い。もちろんこの2作品は、画題も筆致もまったく異なっており、山雪作品と蕭白作品の類似を述べようとしているのではない。類似点があるとすれば、それは、勢いにまかせて描いたようにみえる蕭白の梅も、知的であるといわれる山雪同様、計算し尽くした構成であるという点であろう。

(佐藤美章)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
曾我 蕭白 (1730-1781) 松に孔雀図・許由巣父図   紙本墨画 (財)岡田文化財団寄贈
曾我 蕭白 (1730-1781) 松鷹図 旧永島家襖絵 1764年頃 紙本墨画淡彩  
曾我 蕭白 (1730-1781) 林和靖図 1760年 紙本墨画  
曾我 蕭白 (1730-1781) 周茂叔愛蓮図   紙本墨画  
月僊 (1741-1809) 西王母図 1770年 絹本著色 小津家寄贈
月僊 (1741-1809) 東方朔図   絹本著色 小津家寄贈
月僊 (1741-1809) 人物と牛   絹本淡彩 小津家寄贈
池大雅 (1723-1776) 二十四橋図   絖本淡彩  
韓天寿 (1727-1775) 山水図   紙本墨画淡彩  
増山 雪斎 (1754ー1819) 百合に猫図   絹本墨画著色  
歌川 広重 (1797-1858) 隷書東海道五十三次 1847-51年 木版画 東海銀行寄贈
 

第3室:ゴヤとスペイン美術

 ダリの『パッラーディオのタリア柱廊』でまず目をひくのは、マニエリスム期の建築家パッラーディオ(1508-80)が設計したテアトロ・オリンピコ(1578-80、ヴィチェンツァ)の舞台装置や、目だまし的に遠近感を誇張した回廊に触発されたという、急激に奥へ退いていく回廊状の空間と、その両わきにならぶ、彫像とも亡霊ともつかない人物たちだろう。色とりどりの、痙攣するような線で描かれ、誇張された身ぶりをしめす彼らの内幾人かは髑髏を手にしている。その点からすると、この回廊は現世と死の世界をつなぐ通路で、彫像だか亡霊は通路上で死者を随所に待ちうける門番かもしれない。イナンナやイシュタルなど、古代メソポタミアの、恋人を追って他界に赴く女神の神話や、『死者の書』など冥界を記述した古代エジプトの文書、古代末のユダヤ・メルカーバー神秘主義やグノーシス諸派にそうしたイメージは現われていた。近いところでは、アポリネールの小説『一万一千本の鞭』(1906)やクリント・イーストウッドの映画『ガントレット』(1977)も、彼岸への通過儀礼という、同じ主題のヴァリエーションであろう。

 とすると、回廊の向こうにひろがる荒野と、縄跳びをする少女が誘うのは、彼岸の世界、近代風にいうなら記憶か夢、あるいは無意識の世界だろうか。縄跳びをする少女とその長くのびた影のイメージはおそらくキリコの『街の秘密と憂愁』(1914)に想をえたもので、ダリは別の作品(1936)でもとりあげているが、背を向けることでさらに彼方へいざなおうとする、他界の使者としての少女のイメージは、フェデリコ・フェリーニの映画「悪魔の首飾り」(『世にも怪奇な物語』、1968)を連想させる。

 しかしこうした絵解き以上に興味深いのは、画面の非常に大きな面積を占めている、黒、および緑の混じった暗いグレーのひろがりがはたす役割だ。それはとりあえず陰を表わすとして、いっさいのニュアンスが廃されているため、平らさを強調されることになる。にもかかわらず、一方で上細りで斜めの配置が奥行きへの後退を感じさせるとすれば、平らさと奥行きという本来矛盾するはずの二つの要素の共存は、画面に空間の不安定さをもたらさずにいまい。ベルギーの象徴主義者スピリアールト、あるいはマレーヴィチの斜めに滑空するような空間を想起させるこうした構成ゆえ、彫像だか亡霊の列は、肉づけを施されない線のみによるかぎりで、色の多彩さや、十八世紀イタリアの画家マニャスコを思わせる身ぶりの過剰なまでの誇張を許容されるのだ。さらに背景の荒野も、空間全体の不安定さゆえ、いっそう彼方へと追いやられてしまう。

 ダリの通例の作品は、画集などひもとけばわかるように、きわめて緻密な描写からなりたっている。ただこれは、現実の再現がそれだけではリアリティをもちえなくなった時点で、現実をこえた何かを表現するために選びとられた方法だった。この作品でも、背景の荒野にそうした手法を認めることができる。

 他方ここでは、ダリとしては異例な、きわめて単純化された平面による構成が導入されている。これはしかし、抽象などモダニズム的な要素を単にとりいれたというのではなく、いったんとりいれたそれを矛盾の内に脱臼させることで、造形的な構成にも幻想の描写にもとどまらない、空間そのものの地滑りをひきおこそうとしたのではないだろうか。

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメー・エステバーン・ムリーリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1945-50 油彩・キャンヴァス  
スルバラン派の画家   聖クロス 17世紀 油彩・キャンヴァス 有川一三氏寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 騎兵アルベルト・フォラステール 1804 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 戦争の惨禍 c.1810-20 銅版画・紙  
パブロ・ピカソ (1881-1973) ふたつの裸体 1909 銅版画・紙  
パブロ・ピカソ (1881-1973) 女の顔 不詳 陶板画 寄託品
ジョアン・ミロ (1893-1985) アルバム13 1948 石版画・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1985) 女と鳥 1968 油彩・キャンヴァス (財)岡田文化財団寄贈
サルバドール・ダリ (1904-1989) パッラーディオのタリア柱廊 1937-38 油彩・キャンヴァス  
アントニ・タピエス (1923-   ) ひび割れた黒と白い十字 1976 ミクストメディア・木  
エドゥアルド・チリーダ (1924-   ) ビカイナXVI 1988 銅版画・紙  
エドゥアルド・チリーダ (1924-   ) エルツ 1988 銅版画・紙  
ホセ・ルイス・アレクサンコ (1942-   ) ソルダイヴァー 1990 油彩他・キャンヴァス  
アルフォンソ・アルバセテ (1950-   ) 幻影1 1990 油彩・キャンヴァス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ヘンリー・ムーア (1898-1986) 版画集『ストーンヘンジ』 1971-73 リトグラフ・エッチング・紙  
元永  定正 (1922-   ) ふたつしずく 1987 アクリル・キャンバス  
佐藤  忠良 (1912-   ) 円い椅子 1973 ブロンズ  
堀内  正和 (1911-   ) 水平の円筒 1959 鉄・御影石  
堀内  正和 (1911-   ) うらおもてのない帯 1963 ブロンズ  
向井  良吉 (1918-   ) パッキングのオベリスク 1989 アルミニウム  
イサム・ノグチ (1902-1988) スレート 1945 ブロンズ  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1・2 1985  
飯田  善國 (1923-   ) SONZAI 1967 真鍮  
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ  
江口   週 (1932-   ) ふたたび翔べるか? 柱上の鳥 1988  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田 美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上 武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上 武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
番浦 有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
田畑 進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶 滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原 秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
松本 薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
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