常設展示1992年度【第2期展示】 1992年8月4日(火)~10月11日(日)
第1室:昭和の洋画家たち
今期の日本洋画は、昭和の戦前・戦後を通じて制作された具象系の作品を展示している。60年あまり続いた昭和という時代に、その間におこった不幸な15年戦争をはさんで、日本の社会は大きく変わったが、美術の世界も戦前と戦後とでは、全く異なる様相を示している。戦後はヨーロッパやアメリカから、美術に関する情報が戦前とは比較にならぬほど大量に伝えられて、特に抽象表現の作家たちを中心に多くの影響を与え、複雑で変化に富む戦後美術を生むこととなった。
とは言え、戦後早い時期に活動を再開し、戦後の日本美術をリードしていったのは、具象・抽象を問わず、その大部分が戦前・戦中に自己の造形スタイルを確立していた作家たちであり、彼らの戦前の活動を視野に入れずに、戦後の美術を語ることもできない。そうした意味で、戦前と戦後、各々の美術の連続関係も無視できないのである。
展示は、1926年(大正15)に1930年協会結成に参加した前田寛治、佐伯祐三、里見勝蔵らの作品と、およびその発展的団体ともいえる独立美術協会(1930年設立)に参加していた児島善三郎、須田国太郎らの作品から始められる。
1930年協会は、ミレー、コロー、ドーミエらの1830年派にならい、設立4年後の1930年を意義ある年にしようと、滞仏中に親しかった上記3名に木下孝則、小島善太郎を加えた5名によって結成され、5回の展覧会が開催された。そこには、林武、野口弥太郎、福沢一郎、靉光らも出品したが、二科会の規約改正による里見らの脱退、佐伯、前田らの死去によって、同会は1930年に解散し、この年二科会を退会した里見、児島らを中心とする13名の画家によって新たに独立美術協会が結成された。今回展示されている須田国太郎、三岸好太郎、海老原喜之助らも独立美術協会の中心作家で、同会は二科展や帝展をしのぐほどの隆盛を示した。
この2つの会は、基本的にはフォーヴィスム的傾向の強い画家たちのグループであったが、独立美術協会には日本におけるシュールレアリスムの旗手福沢一郎らも参加していたため、シュールレアリスム系あるいは抽象系画家たちの処遇をめぐって内紛が続出した。
その結果、独立展に出品した村井正誠らは、国画会の山口薫らと自由美術家協会(1937年<昭和12>)を結成し、福沢も脱退して美術文化協会(1939年<昭和14>)を結成するに至った。これら新しい会には、麻生三郎や森芳雄、山口薫ら戦後の洋画界でいち早く重要な役割を果たすことになる画家たちが参加したが、戦争拡大により活動もままならず、ついには展覧会も禁止されてしまうのである。こうした状況で、麻生や松本竣介、寺田政明ら8名の若い画家たちは、「自分たちの生存と意志表示の集まり」として1943年(昭和18)に新人画会を結成、計3回の展覧会を開催している。
今回の展示は、上述したような昭和前期の独立美術協会関係の画家たちの作品と、戦中・戦後の代表的な具象作家である松本や寺田、森、麻生らの作品とを核に、戦前から戦後に至る様々な具象表現をたどろうとするものである。
(毛利伊知郎)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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安井 曾太郎 | (1888-1955) | 静物 | 1950 | 油彩・キャンバス | |
須田 国太郎 | (1891-1961) | 禿鷹 | 1932頃 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
須田 国太郎 | (1891-1961) | 鷲 | 1942頃 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
高畠 達四郎 | (1895-1976) | オーヴェル古寺 | 1967 | 油彩・キャンバス | |
児島 善三郎 | (1893-1962) | 箱根 | 1938 | 油彩・キャンバス | |
岡 鹿之助 | (1898-1978) | 三色すみれ | 1959 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
岡 鹿之助 | (1898-1978) | 廃墟 | 1962 | 油彩・キャンバス | |
佐分 真 | (1898-1936) | 緑陰 | 1927 | 油彩・キャンバス | |
里見 勝蔵 | (1895-1981) | 裸婦 | 1927 | 油彩・キャンバス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 裸婦 | 1928 | 油彩・キャンバス | |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 新橋風景 | 1926 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
野口 弥太郎 | (1899-1928) | 長崎の情緒 | 1965 | 油彩・キャンバス | |
荻須 高徳 | (1901-1986) | 街角(グルネル) | 1929-30 | 油彩・キャンバス | 東畑建築事務所寄贈 |
三岸 好太郎 | (1903-1934) | 桃の静物 | 1927頃 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
三岸 好太郎 | (1903-1934) | 二人の道化 | 1931頃 | 油彩・紙 | |
海老原喜之助 | (1904-1970) | 森と郡鳥 | 1932 | 油彩・キャンバス | |
坂本 繁二郎 | (1882-1969) | ヴァンス風景 | 1953 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
坂本 繁二郎 | (1882-1969) | トマト馬鈴薯など | 1957 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
山口 薫 | (1907-1968) | シュミーズの女 | 1931 | 油彩・キャンバス | |
島崎 鶏二 | (1907-1944) | パリ郊外 | 1930頃 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
森 芳雄 | (1908- ) | 大根など | 1942 | 油彩・キャンバス | |
森 芳雄 | (1908- ) | 街角(カイロにて) | 1963 | 油彩・キャンバス | |
原 精一 | (1908-1986) | 女達 | 1963 | 油彩・キャンバス | |
脇田 和 | (1908- ) | 鳥と横臥する裸婦 | 1955 | 油彩・キャンバス | |
中谷 泰 | (1909- ) | 横向きの自画像 | 1939 | 油彩・キャンバス | 作者寄贈 |
中谷 泰 | (1909- ) | 陶工 | 1958 | 油彩・キャンバス | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 花 | 1944頃 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
松本 竣介 | (1912-1948) | 建物 | 1945頃 | 油彩・キャンバス | |
寺田 政明 | (1912-1989) | 男 | 1937 | 油彩・板 | |
寺田 政明 | (1912-1989) | 花 | 1937頃 | 油彩・板 | |
麻生 三郎 | (1913- ) | 母子のいる風景 | 1954 | 油彩・キャンバス | |
古茂田 守介 | (1918-1960) | 肘をつく女 | 1944 | 油彩・キャンバス | 寄託作品 |
三輪 勇之助 | (1920-1990) | パストラル | 1958 | 油彩・キャンバス | |
香月 泰男 | (1911-1974) | シベリアシリーズ -雪 雪(窓) 避難民 運ぶ人 |
1969 | リトグラフ・紙 | 寄託作品 |
松本 竣介 | (1912-1948) | 婦人像 | 1941 | 水彩・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 風景 | 1948頃 | 墨・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 街 | 1946 | インク・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 男 | 1947 | インク・墨 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 婦人像 | 制作年不詳 | 墨・紙 |
第2室:月僊と伊勢の近世画人たち
現代の日本では、戦前あるいは更に以前の時代に比べて、全国どこを見ても、その地固有の風土に根ざした文化や生活スタイルが失われ、都市化を目指して急速な均質化が進んでいる。そのことは、政治や経済、文化など多くの分野で東京への一極集中の裏返しでもある。その結果、特に文化的な面で、地方は中央でつくり出されたものを無批判に受け入れるだけで終わってしまう場合が多い。
江戸時代、京・大坂や江戸がそれぞれ豊かな経済や歴史的伝統を背景に洗練された文化を創造し、それが近世の日本を代表する文化になったことはいうまでもない。では、地方はそうした三都の文化を受動的に受け入れていだだけなのだろうか。もちろん、江戸時代とて、三都から地方へ伝わる情報や文化的創造物の量は圧倒的に多く、その逆の現象は非常に少なかったであろう。
しかし、絵画の世界では、当時の画家たち-特に南画系や円山派の画家たち-にとって、地方は自らの作品を売るための市場というにとどまらず、むしろ彼らに新しい創造の契機を提供する、いわばオアシスのような役割を果たす場合があったと思われる。
それは、今もなお各地の旧家や社寺にのこる近世絵画、あるいは名のある画家が滞在して作画したという類の様々なエピソードなどから想像することができる。こうした三都と地方との相互関係が、江戸時代の絵画世界に空間的な広がりを与えているのだが、伊勢地方でもその具体例に事欠かくことがない。
そうした意味でこの地方と最も関係深く、注目すべき画家が曾我蕭白であることはいうまでもない。しかし、蕭白の伊勢歴遊は以前から知られているけれども、その理由は今一つ明かにすることができない。
伊勢地方を訪れ滞在した画家たちのうち、その来遊の事情が明かなのが今回展示している月僊と、青木夙夜らに代表される南画家たちである。
月僊は、江戸時代の最も知られた画僧の一人。生まれは尾張国であるが、伊勢古市の寂照寺再建を命ぜられ、伊勢で没した。寂照寺復興の費用を得るため、月僊は生涯におびただしい数の作品を描き遺した。いきおい、略筆による粗雑な描法や同一図柄の作品も少なくない。そのことが画家月僊の評価を定める上で障害となっているが、京で学んだ円山派を基本に、当時国内で行われていた諸流派の描法や、新来の西洋や中国の画法をも取り込む貪欲ともいえる作画姿勢は当時の画家たちの中でも注目される。
また、今回は出品されないが、文人画家池大雅もこの地方をしばしば訪れてることになる。大雅が書家・韓天寿、篆刻家・高芙蓉と親しく交わりを結んでいたことはよく知られている。韓天寿は、京の青木氏の生まれで、大雅堂2世を称した青木夙夜の従兄に当り、後に松坂の商家中川氏の養子となった。こうした地縁・血縁が、大雅の伊勢松坂来遊の直接的理由の一つであるが、江戸時代中後期における当地の経済的繁栄、あるいは神宮信仰の盛行といった、社会情勢がその背後にあったことはいうまでもない。
(毛利伊知郎)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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月 僊 | (1741-1809) | 自画像 | 江戸時代後期 | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 山水図 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩 | |
月 僊 | (1741-1809) | 秋景色山水図 | 江戸時代後期 | 紙本淡彩 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 山水漁夫図 | 江戸時代後期 | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 山水人物花卉鳥蟲図巻 | 江戸時代後期 | 紙本著色他 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 西王母図 | 1770(明和7)年 | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 虎図 | 江戸時代後期 | 絹本淡彩 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1741-1809) | 猫図 | 江戸時代後期 | 絹本淡彩 | 旧小津茂右衛門コレクション |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 飲中八仙図 | 江戸時代中期 | 紙本墨画 | 寄託作品 |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 周茂叔愛蓮図 | 江戸時代中期 | 紙本墨画 | |
青木 夙夜 | ( ?-1802) | 琴棋書画図 | 江戸時代中期 | 紙本墨画淡彩 | |
韓 天寿 | (1727-1775) | 山水図 | 江戸時代中期 | 紙本墨画淡彩 | 寄託作品 |
増山 雪斎 | (1754-1775) | 花鳥図 | 1814(文化11)年 | 絹本著色 | |
増山 雪斎 | (1754-1775) | 雁図 | 1815(文化12)年 | 絹本著色 | |
増山 雪斎 | (1754-1775) | 百合に猫図 | 制作年不詳 | 絹本著色 | |
歌川 広重 | (1797-1858) | 隷書東海道 | 1847-51(弘化4-嘉永4)年 | 木版・紙 | 東海銀行寄贈 |
第3室:アメリカとヨーロッパの美術
ポップ・アートの中心的作家であるロイ・リクテンスタイン(Roy Lichtenstein)は、ポピュラーな連続漫画の一つのシーンを拡大したスタイルを採用している。大きな単純化された形を明確に区切る強く太い輪郭線、印刷物に生じる網点、そして赤、青、黄といった原色による鋭いコントラストによって誇張された色彩がリクテンスタインの作品の特徴となっている。
1952年から54年までの間、看板屋として生活を支えつつミネソタ大学で絵画と素描を学んだジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist)は、その時期に経験した視覚的体験を基礎に、何の変哲もないような身近な物、自動車、手、唇などの一見支離滅裂で無関係なイメージを、至近距離から見たように極端にクローズアップして画面に持ち込んだ作品を発表していたが、1980年頃には同時性を表現することへの探求を行っている。「水漏れする首」では、ビンの表面の質感を驚異的な正確さで描きつつ、無限に変化するイメージを求め、「話し中」では、右側に鉄条網と切断された電話線を、左側には網状に設置された複雑に交差する都市における電話線を描いたのであろうか。断片的なイメージによって視る者を混乱させる効果を狙ったローゼンクイストの意図が窺える。
コンセプチエアル・アートの画家といわれるブルース・ノーマン(Bruce Nauman)の作品は、一見したところ明解な一つのヴィジョンであるような印象を与えるが、凝視すればするだけ曖昧な気分に導かれる。
「一つの作品を見せることによって、私自身の一部を」鑑賞者に理解させようと試み、視るものと作品との距離を形成しようとしている。「HUMAN COMPANIONSHIP」(人間的な交わり)という文字を作品の上部に描き、素早く回転する渦の中に「HUMAN DRAIN」(人間的な排出)という相反するような言葉を記入して、描いた言語と渦の形が投げかける疑問によって距離と緊張感が生み出されている。
20世紀になると、人間をとりまく環境は自然から遊離して、次第に加速度を加えて人工化されていった。高くそびえる建築物、道路標識や看板、ネオン・サインなどが増加し、家庭内では大量生産によって生み出された電気製品や家具に囲まれ、そしてテレビや新聞、雑誌など、視覚的な情報が氾濫し、個人の要求に関わらずともマス・メディアが視覚メッセージを伝えてくる状況が生じている。
こうした大衆的なイメージを組み込んだ作品を発表したのが、リクテンスタイン、ローゼンクイスト、ウォーホルら、ポップ・アートの作家たちであった。
1943年のポロックの個展が、アメリカにおける新しい造形芸術の発火点であった。デ・クーニングやポロックらは、既成の絵画概念を乗り越え、制作課程において選択、計算、模倣を極端に排除しようと決意することによって純粋な創作活動を展開した。
しかし、ポロックらの表現が閉じられた画室のなかの私的な自己満足の世界であり、社会から遊離していく運命であると批判しつつ、ポップ・アートの作家たちは月並みな日常的なイメージや物を、洗練された高度な技術によって美術の領域に転写したのであった。彼らは社会が知りつくした物、馴染みの深い物を画面に引用したのであった。画面に描かれたイメージは具象であっでも、絵画思考はそうではない。
近代に入ってから画家の個性が特に重視されることになった。誰もがやっていない仕事をしないと画家ではないとさえいわれる時代となった。芸術の領域が確立されればその範疇に属さない理念や様式が提示されてやがて認められるという形で、あたかも風船をふくらませるように徐々に美術の領域は拡大されてきたのであった。
(森本孝)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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バルトロメ・エステバン・ムリリョ | (1617-1682) | アレクサンドリアの聖カタリナ | 1654-50 | 油彩・キャンバス | |
スルバラン派の画家 | 聖ロクス | 17世紀 | 油彩・キャンバス | 有川一三氏寄贈 | |
フランシスコ・デ・ゴヤ | (1746-1828) | 版画集『戦争の惨禍』 | 1810-20 | エッチング他・紙 | |
オディロン・ルドン | (1840-1916) | アレゴリー | 1905 | 油彩・キャンバス | |
クロード・モネ | (1840-1926) | ラ・ロシュブロンドの村 | 1889 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
オーギュスト・ルノワール | (1841-1919) | 青い服を着た若い女 | 1876頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
ジョルジュ・ルオー | (1871-1958) | キリスト磔刑 | 1939頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
ジョルジュ・ルオー | (1871-1958) | 受難(パッション) | 1939 | カラーオーフォルト・木版・紙 | |
ラウル・デュフィ | (1877-1953) | 黒い貨物船と虹 | 1949頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
ラウル・デュフィ | (1877-1953) | ヌード | 油彩・キャンバス | 寄託品 | |
藤田 嗣治 | (1886-1968) | 猫のいる自画像 | 1927頃 | 油彩・キャンバス | 東畑建築事務所寄贈 |
マルク・シャガール | (1887-1985) | 枝 | 1956-62 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
マルク・シャガール | (1887-1985) | 版画集『サーカス』 | 1967 | リトグラフ・紙 | |
ジョアン・ミロ | (1893-1983) | 女と鳥 | 1968 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | 雲への挨拶 | 1956 | 水彩・紙 | 第三銀行寄贈 |
R.リクテンスタイン | (1923- ) | 娘についての省察 | 1990 | リトグラフ・シルクスクリーン・木版・紙 | |
J.ローゼンクイスト | (1933- ) | 話し中 | 1970 | リトグラフ・紙 | |
J.ローゼンクイスト | (1933- ) | 水漏れする首 | 1981 | アクアチント・紙 | |
B.ノーマン | (1941- ) | 人間的な交わり、人間的な排出 | 1981 | リトグラフ・紙 | |
R.カミング | (1943- ) | 測定メディア | 1985 | 水彩・紙 |
ギャラリー、ロビー
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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菅井 汲 | (1919- ) | 版画集『愛人たち』 | 1988 | リトグラフ・紙 | |
元永 定正 | (1922- ) | 版画集『ほへと』 | 1986 | リトグラフ・紙 | |
中西 夏之 | (1935- ) | 版画集『白いクサビ-日射の中で』 | 1987 | 銅版画・紙 | |
佐藤 忠良 | (1912- ) | 賢島の娘 | 1973 | ブロンズ | |
佐藤 忠良 | (1912- ) | 円い椅子 | 1973 | ブロンズ | |
向井 良吉 | (1918- ) | パッキングのオベリスク | 1989 | アルミニウム | |
清水九兵衞 | (1922- ) | FIGURE-B | 1986 | アルミニウム | 預り作品 |
飯田 善國 | (1923- ) | SONZAI | 1967 | 真鍮 | |
飯田 善國 | (1923- ) | Xのコンストラクション | 1987 | 木・着色麻ロープ | |
多田 美波 | (1924- ) | 曙 | 1982 | テラコッタ・ステンレススティール | |
保田 春彦 | (1930- ) | 都市 試作(1)(2) | 1985 | 鉄 | |
新妻 實 | (1930- ) | 眼の城 | 1988 | 黒御影石 | |
関 敏 | (1930- ) | 襞 | 1989 | 黒御影石 | |
澄川 喜一 | (1931- ) | そぎとそり | 1975 | 木 | |
江口 週 | (1932- ) | 漂流と原形 | 1981 | 木 | |
江口 週 | (1932- ) | ふたたび翔べるか 柱上の鳥 | 1988 | 木 | |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | ヴィーナスの誕生 | 1930 | ブロンズ | 岡三証券寄贈 |
イサム・ノグチ | (1904-1988) | スレート | 1945 | 鉄 |
屋外彫刻
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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多田 美波 | (1924- ) | 作品91 | 1991 | ステンレススティール | 預かり品 |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | 井村屋製菓寄贈 |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 82 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 85-6 | 1985 | 鉄 | |
番浦 有爾 | (1935 | 風 | 1990 | ブロンズ | |
田畑 進 | (1944- ) | NOKOSARETA―KATACHI | 1982 | ステンレススティール | |
八ツ木のぶ | (1946- ) | 象と人(異邦の夢) | 1988 | ステンレススティール | |
梶 滋 | (1951- ) | 円柱とその周辺 | 1986 | アルミニウム | |
ジャコモ・マンズー | (1908-1991) | ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 | 1973 | ブロンズ | 百五銀行寄贈 |