美術館のコレクション(2004年度常設第2期展示) 作品一覧
2004.6.30~9.26
1室 近現代の絵画
作品は、画家がすべてを完結させているのではなく、鑑賞者にゆだねられる部分を多く残していると言われます。鑑賞者がその画家について思いをめぐらせるのと同様に、画家も鑑賞者の想像力に期待して制作し、相互に補完しあいながらその作品を成立させようとしているわけです。
たとえば中川一政《目黒風景》の、キャンバスの白地が露出している塗り残しは、鑑賞者が自由にその空白を脳裏で埋める楽しさを提供してくれます。吉原治良の《作品(赤丸)》の前に立ったときには、画面に吸い込まれるような感覚に襲われることがあるかもしれません。否応なく自分のすべてを投げ入れたとしても、さらに赤丸は何かを要求してくるようです。一方、ムリーリョ《アレクサンドリアの聖カタリナ》のような、その作品だけで完結しているかに見える緊密に描かれた絵画も例外ではありません。鑑賞者はその場面に立ち会うことを要求されているのです。
岡田三郎助 | 1869-1939 | 岡部次郎像 | 1898(明治31)年 | 油彩・キャンバス | 45.7×37.5 |
鹿子木孟郎 | 1874-1941 | 津の停車場(春子) | 1898(明治31)年 | 油彩・キャンバス | 57.1×39.0 |
北川民次 | 1894-1989 | 海への道 | 1942(昭和17)年 | 油彩・キャンバス | 91.3×117 |
久米桂一郎 | 1866-1934 | 秋景下図 | 1895(明治28)年 | 油彩・キャンバス | 45.5×61.0 |
黒田清輝 | 1866-1924 | 薔薇の花 | 大正期 | 油彩・板 | 34.7×26.1 |
斎藤義重 | 1904-2001 | 作品(プロペラ) | 1967(昭和42)年 | 油彩・合板 | 75.0×110×7.0 |
作者不詳 | 赤いボラと銅器のある静物 | 17世紀 | 油彩・キャンバス | 47.0×62.0 | |
作者不詳 | 聖ロクス(ロック) | 17世紀 | 油彩・キャンバス | 175×107 | |
島田章三 | 1933- | とりたのし | 1961(昭和36)年 | 油彩・カンヴァス | 130×89.4 |
ソト、ラモーン・デ | 1942- | 連絡階段 | 1997年 | 鋼 | H35.3×長径17.0 |
中川一政 | 1893-1991 | 目黒風景 | 1923(大正12)年 | 油彩・キャンバス | 45.5×53.0 |
中村不折 | 1866-1943 | 裸婦立像 | 1903(明治36)年 | 油彩・キャンバス | 78.0×44.5 |
朴栖甫 | 1931- | ECRITURE No.000212 | 2000年 | ミックスドメディア・韓紙 | 182×228 |
原田直次郎 | 1863-1899 | 老人像 | 1886(明治19)年頃 | 油彩・キャンバス | 57.6×42.6 |
バルセロ、ミケル | 1957- | 像 | 1982年 | ミックスドメディア、カルトン | 111×75.5 |
藤島武二 | 1867-1943 | 裸婦 | 1906(明治39)年頃 | 油彩・キャンバス | 79.6×75.4 |
前田寛治 | 1896-1930 | 赤い帽子の少女 | 1928(昭和3)年 | 油彩・キャンバス | 117×90.9 |
松谷武判 | 1937- | OBLIQUE-3-86 | 1986(昭和61)年 | アクリル絵具、木炭、鉛筆、和紙・キャンバス | 162×130 |
松本竣介 | 1912-1948 | 建物 | 1945(昭和20)年頃 | 油彩・紙 | 37.9×45.5 |
ムリーリョ、バルトロメ・エステバン | 1617-1682 | アレクサンドリアの聖カタリナ | 1645-50年頃 | 油彩・キャンバス | 165×110 |
元永定正 | 1922- | 作品 | 1956(昭和31)年 | 油彩・キャンバス | 159×112 |
吉原治良 | 1905-1972 | 作品(赤丸) | 1967(昭和42)年 | 油彩・キャンバス | 136×162 |
萬鐵五郎 | 1885-1927 | 木の間よりの風景 | 1918(大正7)年 | 油彩・キャンバス | 54.3×45.5 |
李康昭 | 1943- | UNTITLED-93009 | 1993年 | 油彩・キャンバス | 194×260 |
ルドン、オディロン | 1840-1916 | アレゴリー | 1905年 | 油彩・キャンバス | 46×35.5 |
2室 月僊とその時代
第2室には、僧侶であり画人でもあった月僊の作品を中心に展示しています。伊勢寂照寺の住職を長きにわたってつとめた月僊は三重とのかかわりの深い画人のひとり。名古屋に生まれ、7歳で得度、江戸の増上寺や京都の知恩院で修行にはげむ一方、江戸で櫻井雪館に師事、京都では円山応挙や与謝蕪村の画風を学ぶなどして画技を磨いたといわれています。その後、衰微をきわめていた寂照寺を再興するために34歳で同寺に遣わされた月僊は、画料を寂照寺の復興や貧民救済にあてるなど社会活動を積極的におこないました。
ところで、月僊は多作家として知られていますが、その画歴はいまだ明らかにされているとはいえません。そんな中、《西王母図》や《猫図》あるいは《蘭亭曲水図》など年紀のある作品は、月僊の画業を考えていく上で貴重な作品ということができるでしょう。また、様式化した作品を多く描いたがゆえに現在の月僊の評価はかならずしも高くはありませんが、多作を可能にしたともいえるその月僊独自の様式を高く評価する同時代の画家がいた、という点も月僊を考えていく上で見逃すことはできません。
月僊 | 1741-1809 | 西王母図 | 1770(明和7)年 | 絹本着色 | 73.9×30.1 |
月僊 | 1741-1809 | 猫図 | 1791(寛政3)年 | 絹本淡彩 | 111×41.6 |
月僊 | 1741-1809 | 蘭亭曲水図 | 1806(文化3)年 | 絹本着色 | 127×54.5 |
月僊 | 1741-1809 | 山水図 | 制作年不詳 | 紙本淡彩 | 161×350 |
月僊 | 1741-1809 | 山水帰牧図 | 制作年不詳 | 紙本墨画淡彩 | 97.2×33.2 |
月僊 | 1741-1809 | 赤壁図 | 制作年不詳 | 紙本淡彩 | 167×87.2 |
月僊 | 1741-1809 | 十六羅漢図 | 制作年不詳 | 紙本墨画 | 149×87.0 |
月僊 | 1741-1809 | 僧形立像(自画像) | 制作年不詳 | 絹本着色 | 95.6×34.5 |
曾我蕭白 | 1730-1781 | 塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風 | 17世紀中期 | 紙本墨画 | 各155×338 |
曾我蕭白 | 1730-1781 | 周茂叔愛蓮図 | 制作年不詳 | 紙本墨画 | 111×52.0 |
曾我蕭白 | 1730-1781 | 夏景山水図 | 制作年不詳 | 紙本墨画 | 134.8×41.8 |
増山雪斎 | 1754-1819 | 花鳥図 | 1794(寛政6)年 | 絹本淡彩 | 130×63.0 |
増山雪斎 | 1754-1819 | 孔雀図 | 1812(文化9)年 | 絹本着色 | 137×47.7 |
増山雪斎 | 1754-1819 | 百合に猫図 | 制作年不詳 | 絹本墨画着色 | 103×32.7 |
3室+ギャラリー 彫刻家の素描と作品
素描なり絵を、画家が描く場合と彫刻家が描く場合とでは、そこに何かちがいは生じるのでしょうか?
たとえば二次元性と三次元性、平面全体を埋める構図と求心的なかたまり、距離を置いた視覚性とじかに接触する触覚性、さらに、紙や布・板の上に画材を重ねる場合と、木や石を彫り刻む、あるいは粘土をこね上げるという場合での素材に対するアプローチなど、いくつかのちがいが影響すると考えることもできなくはありません。
しかし以上は、あくまで理屈の上でのことです。彫刻は、たとえば建築との関係でさまざまな変遷を経てきましたし、とりわけ二十世紀には彫刻も絵画も大きな変容を蒙りました。何より個々の作品・個々の作家によって手法はさまざまでしょう。ひとくくりにできる類型などありうべきもなかろうかぎりで、具体的な例をいくつか見ながら、あらためて最初の問いが成立しうるものかどうか、検討していただければと思います。
飯田善國 | 1923- | 何? | 1961(昭和36)年 | 鉛筆, マーカー・紙 | 29.8×38.9 |
飯田善國 | 1923- | ストレインジャー | 1961(昭和36)年 | 鉛筆, ペン・紙 | 30.0×42.8 |
飯田善國 | 1923- | 3個のAugen-mensche | 1964(昭和39)年 | 鉛筆, マーカー・紙 | 29.8×39.8 |
飯田善國 | 1923- | SONZAI | 1967(昭和42)年 | 真鍮 | H68.5×W58.0×D78.3 |
江口週 | 1932- | あるはじまりのかたち2 | 1984(昭和59)年 | 木 | 100×35.5×32.5 |
江口週 | 1932- | 神殿に立つ-2 | 1986(昭和61)年 | 水彩, 鉛筆・紙 | 65.9×49.5 |
江口週 | 1932- | ふたたび翔べるか | 1988(昭和63)年 | 鉛筆, 水彩・紙 | 66.5×50.2 |
清水九兵衞 | 1922- | 線上のイメージII | 1982-91(昭和57-平成3)年 | 超可塑性金属 | 20.0×40.0 |
清水九兵衞 | 1922- | 過程II | 1991(平成3)年 | 黒鉛,インク・紙 | 56.0×40.0 |
清水九兵衞 | 1922- | 過程IV | 1992(平成4)年 | 黒鉛,インク・紙 | 43.8×59.9 |
堀内正和 | 1911-2001 | うらおもてのない帯 | 1963(昭和38)年 | ブロンズ | W78.0×D21.0×H43.0 |
堀内正和 | 1911-2001 | しろとくろ まるとしかく | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 64.0×50.0 |
堀内正和 | 1911-2001 | 三つの立方体 | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 50.0×64.0 |
堀内正和 | 1911-2001 | 上昇矩形 | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 64.0×50.0 |
保田春彦 | 1930- | 素描 | 1970~80年代 | インク、鉛筆・紙 | 12.5×18.0他 |
保田春彦 | 1930- | 交叉する壁 2点組 | 1990(平成2)年 | 鉄 | 各44.0×42.0×42.0 |
山本正道 | 1941- | ウンブリアの野 | 1971(昭和46)年 | 鉛筆・紙 | 9.7×13.7 |
山本正道 | 1941- | エトルリアの壺 | 1985(昭和60)年 | ブロンズ | 20.0×160×30.0 |
山本正道 | 1941- | 庭越しの向かいの家 | 1986(昭和61)年 | 鉛筆・紙 | 12.0×17.3 |
山本正道 | 1941- | タオスの夕暮れ | 1993(平成5)年 | 鉛筆、コンテ・紙 | 17.0×25.5 |
湯原和夫 | 1930- | 無題 No.3-71 | 1971(昭和46)年 | 真鍮*クローム鍍金 | 18.0×7.0×17.5 |
湯原和夫 | 1930- | 無題 78-2 | 1978(昭和53)年 | 鉛筆、アルミ箔・紙 | 65.0×50.1 |
湯原和夫 | 1930- | 無題78-1 | 1978(昭和53)年 | 鉛筆、アルミ箔、ステンレス、アクリル塗料・紙 | 50.1×65.0 |
湯原和夫 | 1930- | 無題 78-4 | 1978(昭和53)年 | 鉛筆、ステンレス板・紙 | 65.0×50.1 |
若林奮 | 1936-2003 | 中に犬2 | 1968(昭和43)年 | 鉄 | 35.0×26.2×22.8 |
若林奮 | 1936-2003 | 大気中の緑色に属するもののためのデッサン | 1982(昭和57)年 | 鉛筆・紙 | 55.0×79.0 |
ギャラリー、ロビー
井上武吉 | 1930-1997 | my sky hole 86-道 (No.3,6,20) | 1986(昭和61)年 | ロットリング、鉛筆・紙 | 73.5×90.9 |
江口週 | 1932- | 作品 G-No.5 | 1962(昭和37)年 | クルミ | 20.0×31.0×20.0 |
清水九兵衞 | 1922- | 作品 A | 1968(昭和43)年 | 真鍮 | 46×74.5×74.5 |
新妻實 | 1930-1998 | 眼の城 | 1988(昭和63)年 | ポルトガル産黒御影石 | H145.0×W41.0×D48.0 |
マルコ、アンヘレス | 1947- | 高速道路(連作「通行」) | 1987年 | 鉄 、アスファルト、脂 | 96.0×44.0×500 |
マンズー、ジャコモ | 1908-1991 | ジャコモ・マンズー版画集 | 1970年 | エッチング, アクアチント・紙 | 63.8×49.5 |
マンズー、ジャコモ | 1908-1991 | ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 | 1972年 | 鉛筆・紙 | 22.3×33.5 |
保田春彦 | 1930- | 幕舎試作・鉄 | 1991(平成3)年 | 鉄 | 129×90.0×50.0 |
湯原和夫 | 1930- | 意味の自由区No.2-88 | 1988(昭和63)年 | コールテン鋼.鉄.亜鉛メッキ | 184×144×192 |