山口薫はさまざまな「はざま」に生きた画家かもしれません。抽象と具象、都市と田園、あるいは東洋と西洋。ふたつのものの間で揺れ動き、苦悩し、そして生み出された作品は、哀歓を共にした不思議な魅力を放ち、人々に共感を与えます。 少年時代に画家を志し、生まれ育った群馬から上京し東京美術学校に入学。卒業後はパリに渡り、足掛け3年の歳月をヨーロッパで過ごしました。帰国後は、パリ時代の仲間たちと自由美術家協会やモダンアート協会を立ち上げ、戦前から戦後にかけての新しい美術の創出を目指した画家たちの間で中心的な役割を果たします。また母校の東京藝術大学で教鞭をとり、後進の指導にあたりますが、山口薫はどこかそうした中央の世界からは一歩引いて、故郷の山々や豊かな自然のなかに自身の絵画の源を見出そうとしていたような、そんな印象を受けます。 たいせつなもの。この画家には大切にしていたものが数多くあったように思います。菱形に連なる田圃、山や木、水、牛や馬、家族や愛犬、そして月。どれも山口薫の作品の中に繰り返し登場するモチーフです。これらは山口薫の原風景ともいうべきものなのでしょう。 美術学校時代から留学中はフォーヴィスムに影響を受けた明るい色彩で描きますが、帰国後は朱や黒といった強い色の対比と簡略化されたモチーフによる、時には抽象絵画のような、時には夢幻の世界のような作風に移り変わります。戦後は再び明るい色彩を用いて色面を分割、独特の形を見せるようになり、やがて薄塗りの溶けゆくような絵肌へと変化します。 今回の「哀歓と詩情の画家 山口薫展」では、初期から最晩年に至るまでの油彩約90点と、水彩、素描、油彩小品、資料などを合わせて展示します。展覧会を通して、山口薫芸術の諸相をご覧いただければ幸いです。(Hm)
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