2008年6月29日[日]-8月17日[日] 画集を見るだけでも良さは伝わるけれど、実物のほうがずっと魅力的。――複製技術がずいぶん進歩したとはいえ、佐伯祐三の油絵は実物を見ずには語れません。独特の「透明感」や、下地の段階から計算された「絵肌(マチエール)」は写真図版では再現がむずかしいのはもちろんのこと、画面の隅々にまで神経をとがらせた「リズム感」は直接鑑賞しないと伝わりにくいものとなっています。佐伯が先輩画家の中山巍に語った「ガラスの器を石の上に叩きつけると、パーッとはじけて割れるでしょ、ガラスはいろいろな鋭角的な格好でしょ、そういうものを描きたい」という言葉のとおり、外へと拡散していくスピード感を、実物の筆の刷毛目の凹凸と一緒に追ってみると、なんともいえない充実感に包まれます。 1924年の1月、意気揚々とフランスの地に足を踏み入れ、その年にフォーヴィスムの画家ヴラマンクから「この、アカデミック!」と怒鳴られ根本から自己の表現を見つめなおした佐伯は、過労と結核で1928年30歳の夏、パリ郊外の病院でこの世を去りました。死の前の晩、彼はひとり病室で泣き通していたと看護婦が伝えていますが、このとき何に対して一番悔しい思いをしていたのでしょうか。ここで言えるのは、連日の壮絶な制作活動の果て、米子夫人にむかって「これでぼくの仕事は終わった、描くべきものは描いたよ・・・」と伝えたように、画家としての佐伯は完全に燃焼し尽くした感があります。 今回の展覧会では、佐伯祐三の鮮烈な生涯の足取りを、パリ時代以降の作品を中心にご紹介します。ゴッホやルノワールからセザンヌへ、そしてヴラマンクの一喝を経てシャガールやユトリロ、あるいは佐伯と交流のあった日本人画家など、短期間のうちにさまざまな芸術家のエッセンスとの融合をはかりながら彼は自己のスタイルを確立しました。特に、屋外制作で最後であったといわれる《扉》は、彼の終着点であり実物から受ける迫力は格別です。 (ty)
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