このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > HILL WIND > Hill Wind (vol.11~24) > 浅野弥衛(第1室・第2室) 美術館ニュース Hill Wind 14(2007年2月)

 

浅野弥衛(第1室・第2室)

 
浅野弥衛(第1室・第2室)
 

浅野は1914(大正3)年10月1日、鈴鹿に生まれました。1934(昭和9)年から44(昭和19)年にかけ三たび軍の招集で中国およびフィリピンに派遣された期間を除けば、1996(平成8)年2月22日に歿するまで生涯を鈴鹿で暮らしました。作品の発表は1939(昭和14)年の美術創作協会への出品にさかのぼりますが、現在確認できるもっとも古い作品は1952(昭和27)年のものです。浅野固有の作風が確立するのは50年代後半と思われ、以後微妙な変化をはらみつつ、一貫した軌跡をたどることになりました。

 

浅野はしばしば、白と黒だけの画面で、線による抽象を一貫して追及した画家と形容されます。もっとも典型的な、いわゆる白の〈引っかき〉を例にとると、まず、寝かせたキャンヴァスに白を厚く塗り、その表面を平滑にならす。次いでキャンヴァスを画架に立て、鉄筆や釘など尖ったもので線を刻む。最後に黒を塗った上で、それを拭きとれば刻まれた線の底に黒が残るという段どりです。必要に応じ絵具を乾かす期間をはさみつつ完成した画面で、線は、ある時はまばらに散らばり、ある時は画面いっぱいを覆いつくし、ある時は記号のようなイメージを浮かばせると、さまざまな姿に変幻します。

 

もっとも、色彩や具象的なイメージがまったく用いられなかったわけではありませんし、線ならぬ面を主にした作品も欠けてはいません。1950年代後半から62~63年にかけての画面が後の作品には見られない切迫した表情をたたえる一方、1975(昭和50)年の黒の〈引っかき〉は、拡張感のある躍動に富んでいます。一見無作為に見える画面でも、スケッチブックに下絵を見出すことのできるものがあり、決していきあたりばったりではなさそうなのです。また今回第2室に展示する紙の作品では、やはりさまざまな相をしめしつつ、紙と鉛筆の柔らかい質感が、紙の厚みと密度との内奥から鈍い光を発しているかのように感じさせはしないでしょうか。

※この記事は2007年2月15日発行「Hill Wind 14」に掲載されたものです。
ページID:000055767