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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > Hill Wind (vol.1~10) > 二つの展覧会から

二つの展覧会から

今年ひらかれた展覧会のなかでもっとも印象深かったのは、村上華岳展と小林古徑展である。どちらも二つの会場で、華岳展は京都国立近代美術館と富山県水墨美術館で、古徑展は東京国立近代美術館と京都国立近代美術館とでみたせいかもしれない。会場が変わると作品の雰囲気も想像以上にかわるもので、華岳展は富山県水墨美術館、古徑展は東京国立近代美術館のほうが断然引き立ってみえた。

 

ところで、小林古徑展に出品されていた大正6年作『竹取物語』のことについてかいてみたい。いま、もんだいにしたいのはその全六場面のうちのひとつ、「夜這図」である。実はこの絵はまえから不思議に思っていた。竹取の翁の家のまわりに、かぐや姫に魅せられて求婚しようとする男たちが三人描かれているのは別にそう調和を破っているわけではない。

 

いつみても、なぜなんだろうなと思うのは求婚者の一人が坐っているその横にさりげなく描かれている唐臼なのである。あまり注意をとめるひとはないのかもしれないが、王朝物語の風俗を描く道具立てとして、これはふさわしいのだろうか。いったんそこに注意がひかれると、妙に気になってくる。

 

ところで唐臼というのは「臼を地面に埋め、梃子を応用して足で杵の柄を踏みながら、杵を上下し、米などの穀類をつくもの」(日本国語大辞典)である。『源氏物語』に「おどろおどろしく踏みとどろかすからうすの音」(「夕顔」)とあるし、すでに万葉集にも出てくるそうだから、竹取にあってもおかしくはないのだが、しかし、かぐや姫の家に唐臼とはね。しかもその前に漆塗りの椀がひとつころがっていて、『竹取』とはまた別の物語がそこから紡ぎ出されてくる気配さえあるようでもある。

 

さてそれはそれとして、この唐臼なるもの、小林古徑の作品のなかでもう一回登場する場面がある。わが三重県立美術館の所蔵になる『麦秋』をみてみよう。 ここでは唐臼はまったく所を得ているというか、自然にそこにあって、閑村のゆたかな農家の初夏の印象をもりあげる効果を充分に発揮して、幼児や牛とともに主役をわりふられているといっていい。

 

これは大正4年作、すなわち『竹取物語』の2年前に描かれたものである。しかし、万葉集に「あまて天光るや 日の氣に干し さひづるや からうす辛碓に舂き」と呼ばれたこの唐臼はおそらく実用の役を現在すでに終えてしまったのではないか。ぼく自身実物をみたことはない。たとえば大西巨人の小説『神聖喜劇』にこの唐臼で旧暦正月を祝う餅をつくるはなしがでてくるが、それは第二次世界大戦中の対馬の寒村という舞台設定になっている。農家の軒先にひっそりと雨ざらしになっているのかもしれないが、昭和記念館のようなところで是非一度みてみたいものである。

 

(Hs)

 

作家別記事一覧:小林古徑

小林古徑《麦秋 》

小林古徑《麦秋 》

1915(大正4)年頃

 

絹本着色

 

130×51.0cm

 

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