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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.71-74) > ラダーバックチェアの百年

ラダーバックチェアの百年

土田真紀

 十数年ぶりのグラスゴー再訪、2000年から2001年にかけてのロンドンと東京での大規模な「アール・ヌーヴォー展」、そして日本での「マッキントッシュ展」と、この2、3年、偶然のことながら、マッキントッシュの仕事を再認識する機会が重なってあった。そのたびに不思議でならなかったのは、マッキントッシュのデザインのあるもの、とりわけ椅子のデザインが全く古びて見えないことであった。「アール・ヌーヴォー展」では、同時代の建築家やデザイナーによる椅子と見比べることもできたが、この時展示されていた《楕円形の笠木をもつ椅子》は、他のどの椅子よりずっと「新しく」感じられた。

 

 そうした椅子の代表的なものは、1903年にマッキントッシュがヒルハウスの主寝室のためにデザインしたラダーバックチェアであるように思われる(fig.1)。彼の仕事のなかで際だって優れているとは思わないが、一般には最もよく知られた作であり、ヘリト・リートフェルトによるレッド・アンド・ブルー・チェアやミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・チェア、ル・コルビュジエのシェーズ・ロングなどと並んで、モダン・デザインの古典として複製が商品化され、世界中のインテリア・ショップでなじみの椅子となっている(fig.2)。彼のデザインが未だに古びていない何よりの証拠ともいえるが、かつてマッキントッシュがモダン・デザインの先駆者と位置づけられるにあたっても、この椅子は彼の建築以上に大きな役割を果たしたのではなかったろうか。

 

 ところで、現代のインテリア・ショップで初めてこの椅子を目にした人々は、果たしてそれが本来どのような空間に置かれていたかを言い当てることができるだろうか。白い空間に置かれていたことは想像できても、その白い壁全体がピンクとシルヴァーで薔薇の垣根をパターン化したステンシル装飾で飾られていたと想像することはむずかしいにちがいない。一方、マッキントッシュの側から言えば、この椅子は特定の空間の特定の位置のためにデザインしたものであり、量産されることなど彼自身は予想さえしなかっただろう。彼のデザイン画が示すように、ヒル・ハウスの主寝室においてこの椅子が置かれる位置は初めから厳密に計算されており、あるべき位置に置かれるべくデザインされている。その位置というのは、いずれもほとんど腰掛けることを想定されない壁際であり、ひとつは衣装箪笥の間、もうひとつはベッドの置かれたアルコーヴとそれ以外の空間の境界となる位置であった。「芸術作品としての部屋」を目指していたマッキントッシュにとって、こうした位置を含め、薔薇の装飾と黒い直線的な椅子の組み合わせが生み出す効果は、完璧な調和を生み出すべく意図されていたはずである。しかしそれにしては2脚の椅子は、全体に溶け込むというよりは、むしろ対立的な、空間全体にとって奇妙なほど異質な要素にも見える。

 

 本来異質な要素の混淆から成り立っているのは主寝室の空間のみではない。一見非常に単純な構成をもち、「モダン」そのものに見えるラダーバック・チェアは、別の意味で実は異質な要素が混じり合った一種の混成体である。ラダーバック・チェアという形式自体は、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念であるクラフツマンシップの尊重、土着の伝統的な要素の復興に由来している。椅子を形づくっている、抽象化された黒い線的な要素は、現実の椅子としてはあまりにも華奢であるが、彼のグラフィック作品において輪郭を象る均一な線を思わせる。背もたれのトップの格子模様は日本美術を思わせる一方、特徴的なハイバックの引き延ばされた形態は、グラスゴー・スタイルのケルト的な人物像のプロポーションを想起させる。それは、建築空間という現実の世界と観念と想像力の世界とが交差するところに産み落とされた非常に特異な椅子なのだといえる。そしてこれ以後のマッキントッシュの椅子デザインが示すように、彼のなかでも決して普遍化されることはなかったものなのである。

 

 同じように、その後世界中に広まり、我々がすでに見慣れた主寝室の真っ白の壁も、マッキントッシュにおいては独特の意味をもつものではなかろうか。そもそもマッキントッシュのインテリア、なかでも寝室や居間に多い白いインテリアの系統は、外部空間とは性格上鋭く対立するものであった。すでに指摘されているように、ヒルハウスの外観は、外敵からの守りを第一とした要塞としての性格が色濃いスコットランドの城郭を思わせるかのように「防御的」である。すでに「外敵」はいなかったかもしれないが、イングランドとは比べものにならない厳しい気候に加え、産業化による煤煙やスモッグがますます冬を陰鬱なものに変えていた世紀末の工業都市グラスゴーを背景としてこそ、光が射し込むと眩しいほどに輝く白いインテリアは理解されるように思われる。それは外部を取り巻く灰色の世界に対する内なる世界を包み込む白なのであって、そうでなければ少しの光にも輝くようなその白さはあまりにも眩しく感じられる。外界との対照によってようやく確保された内面世界。これらの白いインテリアのもつ意味がモダン・デザイン以降の白い空間とは本質的に異なるのはまちがいない。そこにおいてマッキントッシュは、ザ・フォーのメンバーやグラスゴー・スタイルのデザイナーたちと共有する象徴的世界を現実空間へと展開していった。急激な近代化に曝された外部空間と多かれ少なかれ住む者の私的な世界を反映する内部空間の対立はアール・ヌーヴォーの各都市に見られるものであろうが、グラスゴーにおいては特に尖鋭的であった。

 

 アール・ヌーヴォーの時代は様々な、ときには相反する要素さえ混じり合った実験場のようなものであった。最も身近なものからはるかに遠い世界まで、様々な時代、様々な地域に出自をもつあらゆるものがアール・ヌーヴォーの源泉となり、都市や個々のデサイナーのうちで混じり合って驚くほど多様性に富んだ造形が生み出された。その多様性の中からさらに複雑な過程を経て後に「モダン・デザイン」と呼ばれる、ある種の「普遍性」を主張する近代の様式が成立する。マッキントッシュが生み出したもののなかには確かに後の「モダン・デザイン」を先取りしているかに見える部分があった。かといってそれゆえにマッキントッシュが当時から正当な評価を受けたわけでもないことは周知のとおりである。アール・ヌーヴォーの担い手のなかでも決して成功組とは言えず、晩年は特に不遇であったマッキントッシュはその間にすっかり忘れ去られていた。ヒル・ハウスのラダーバックチェアは、一旦モダン・デザインが成立した後に、本来の在処から切り離される形で再発見されたのである。その時にはすでに、ラダーバック・チェアをアール・ヌーヴォーの時代とは違うやり方で捉える視点が成立していた。その意味では、現在もヒル・ハウスに置かれているオリジナルの2脚の椅子と、現在インテリア・ショップに並んでいるその複製品は、見た目は同じであっても、実は全く別個の椅子といえるのではなかろうか。しかしどのような形にせよ、ラダーバックチェアは、マッキントッシュの名と共にこの変化の激しい百年を見事に生き延びてきたのである。

 

(つちだまき・美術史家)

「ヒル・ハウス」主寝室

fig.1

「ヒル・ハウス」主寝室

 

 

fig.2 チャールズ・レニー・マッキントッシュ 『主寝室のための椅子、ヒル・ハウス』(再制作)、

fig.2

チャールズ・レニー・マッキントッシュ

 

『主寝室のための椅子、

 

ヒル・ハウス』(再制作)、

 

横山家具 1986年

 

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