辺材部のみ使用した素材をベースに、作家は表皮の一部に彩色を施し、鑿で削っている。まず、気になるのは人物すべてが女性だということである。女性作家による女性像は今日珍しくはないが、女性作家にありがちな女性の虚飾や表層の美化は感じられない。中央手前の胸像の顔面が、黒い溝を中央に走らせていることだけをみても明らかである。さらに観察をすすめていくと、人物の大きさが極端に異なっていること、個々の女性が全身像であったり頭部だけであったりすることが重要な手がかりに思えてくる。 モノトーンで仕上げられた人物に注目すると、削り取られた部分から覗く木肌の色、あるいは薄く塗られた黒色層の下から木肌が透けて見えることで、これらは完全なモノトーンであることを示している。その黒色は、他の彩色をともなった女性像にもグランド層の一部で採用され、木の素材であることの共通項とともに、全体とのつながりが図られているようだ。さらに、厳格な秩序があるわけでないが、彩色を施された人物ほど小さいことで、それぞれの個体の密度は一定に保たれているようにも見える。あたかも亡霊と対峙しているような錯覚に襲われるこれら群像たちは、民族衣装をまとっている。この幻影のような全体の雰囲気と彼女らの着衣のみで、作家は同時代の女性をこの作品でとり上げたのではないことを断言はできないが、作家のさまざまな記憶や観念が素材へと焼き付けられている可能性は高い。 尹錫男(1937- )は、特に1980年代、フェミニズムを主題として注目された芸術家の1人で、子供を育て、妻そして嫁としての伝統的な役割を果たしたのちに芸術家となった。 女性作家が女性としての表現を重要視した"October Group"の仲間とともに、1985年ソウルのKwanhoon Art Galleryで作品を発表、この展覧会は多くの女性作家達に影響を与えたといわれる。尹の作品に登場する女性像のほとんどは、家父長制のなかで縛られ続けてきた韓国の母親の姿を象徴しているらしい。この作品もおそらくその系譜に位置づけられよう。 作品の中の女性たちは、動作をほとんど伴っていない。その穏やかな表情のなかに、それまで虐げられてきた女性の鬱積が、素材の干割と作家が削った鑿跡から感じとれる。だが、この作品にはそうした主題を超越した、リズミカルな要素が織り込まれているため、我々は一元的に観賞することを強要されていない。 (田中善明・学芸員) |