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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.61-70) > パブロ・ピカソ「ふたつの裸体」

館蔵品から

パブロ・ピカソ「ふたつの裸体」

 《ふたつの裸体》は、1909年の春までに制作されたと考えられている。1908年末から1909年にかけてのピカソは、ウィリアム・ルービン(ニューヨーク近代美術館の学芸員,「晩年のセザンヌ」展、「ピカソとブラック」展などを企画している)の説にしたがえば、その夏に制作されたブラックの「純粋にキュビスムと呼べるごく初期の作品」に影響を受けて大きく揺れ動いた時期で、この版画はそのまっただなかで制作された。とくに、黒と白と線に還元される版画のために、様式についての試行錯誤が前面に押し出されている。

 

 同時期に制作された油彩作品との比較から、この版画の特徴を以下にあげてみる(紙面の都合から考察の詳細は省略)。一、モチーフの構造的な描写からの離脱──《アヴィニョンの娘たち》(1907年)で写実を離れても、ピカソはモチーフの輪郭線と凸凹の稜線を重視し、その立体的な構造に忠実であった。しかし、ここではそのような意味合いでの人体としての連続的な統一が失われた。二、首や肩に顕著な、大胆に簡略化された関節の図式的な表現。三、浅浮き彫り的表現の展開──同時期の作品《三人の女》(1908-09年)では、人体を重ね合わせ、それらの異なる面と面とを筆触によって関係づけ、浅浮き彫り的な効果をあげている。これは結果的にモチーフ間の空間を閉め出すことにもなったが、ピカソは、おそらく空間の不在に不満を感じていたのだろう、版画の二人の間に空間を置いた。そして、それまでと同様の描き方で、こんどは人体と背景の空間を関係づけようとしたのである。空間という容積のはっきりしないものと人体との関係づけは、いわば両者の同質化への試みであるが、ピカソの奮闘あきらかである。三、逸話的な主題への回帰──空間を画面に取り戻すことで、ピカソ本来の逸話への指向が復活した。マンドリンのモチーフがコローの作品を想起させ、アトリエにおけるムーサの存在をただよわせる。

 

 関連作に、ギターを持つ女の油彩があるが、彼女が正面性を重視しているのに対し、版画の方は体のひねりが多く、そのために輪郭線の崩壊に至ったと考えられる。これを分析的キュビスムヘの展開として推察することも可能だろう。ちなみに、ギターを持つ女性は、その後大画面が試みられるが未完成に終わっている。一方、マンドリンは奏でられ、以後キュビスム時代に象徴的に何度もたちあらわれる。

 

[附記]

 日本語の文献を紹介すると、『版画藝術』32号(1981年冬の号)で、神原泰が「ピカソの立体版画の主要作品について」のなかで基本的な情報を紹介している。またもっと以前には、銀行家でアルピニスト、かつ西洋版画の大コレクターとして知られる小島烏水のコレクション(総数約400点余)にこの作品は含まれており、彼のコレクションを紹介した「泰西創作版画展」(1928年)にも出品された。のちに、烏水は西田武雄主催の『エッチング』誌第36号(1935年10月15日発行)で、《マンドリンを持つ女》として図版入りで紹介した。

 

 

[附記2]

 版画と同時期の作品のうち様式的に比較できるものを2点、および関連作を参考図版として以下に掲載した。

 

 

(桑名麻理・学芸員)

 

作家別記事一覧:ピカソ

パブロ・ピカソ「ふたつの裸体」

1909年はじめ ドライポイント・紙

 

右下に署名 13x11cm

 

第3ステート(Geiser, Bernhard, Picasso peintre-graveur, Bern, 1990, no.21Ⅲb

 

 

ガイザーのレゾネの註に年記についてのまとまった言及がある(Geiser,P.54)

 

本を読む女 1909年春 油彩・カンヴァス

 

ふたつの裸体 1909年春 油彩・カンヴァス

 

ギターを持つ女 1909年はじめ 油彩・カンヴァス

 
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