まず目をとらえるのは、幾束かになって弧を描く、左の黒い形だろう。インクをおしわけて地をのぞかせるほどの勢いをもったそれは、上にのびあがろうとするのか下にえぐりこもうとするのか、いずれにせよ、タイトルとあいまって、芽だか葉だか、植物が生長するカのようなものを感じさせずにいない。左下によどむ、影のような黒い部分は、このイメージのエネルギーを受けとめるために現われたかのようだ。左上と右下のドライポイントによる鋭い線は、ぶつかりあったエネルギーの発散を物語っている。 ただ、このイメージが何らかの生命力を感じとらせるとして、それは、勢いがあるからというだけではあるまい。イメージが下の黒に接する部分をよく見ると、でこぼことして稠密な黒の質感の方が、透けかけたイメージの根っこより訴える力は強い。のぞきこめばこの黒は、地の紙の上にもう一枚貼り足したものだ。このため、イメージは地に溶けこむことができず、宙吊りの状態におかれている。これがかえって、地に回収されない独自の存在感をもたらしているのだ。 地を透かすだけの筆だか刷毛の跡は、このイメージが地の紙にはりつくような形で描きだされたことをしめしているが、宙吊りの状態は、それを包む空間を要請するはずだ。ぴんとのばされ、目のつんだ地の紙は、ベージュの落ちついた色めもあって、その場に定着しようとする。この紙のひろがりに対し、透けかけたイメージがその手前で浮かぶのに加え、さらに、微妙なふくらみを形成するためのしかけが二点施されている。 まず、下方の黒のコラージュは、柿渋のひろがりの上にのせられており、とりわけ右下では、柿渋が薄く透明感を帯びているため、曖昧なひろがりをもたらす。さらに、イメージの右側には黒い影が浮かんでいる。この部分で、黒はかすれたような筆致をしめすのに対し、数カ所うがたれた白い穴は鋭い輪郭で縁どられており、そのため、左のイメージに対し黒は奥に退きながら、白い穴が向こうから手前へ垂直の通路を開くのだ。 右の影の周辺で、地のベージュに微かな緑が混ぜられていることも、イメージと影の距離感を補強するだろう。
このように、簡素であることでかえって微妙なひろがりを感じとらせる空間の中、イメージは宙吊りにされたからこそ、どこかに落ちついてしまうことのない生命のゆらぎをはらむのだ。 (石崎勝基・学芸員) |
鈴木道子 「PLANT-C」1995年 銅版・紙 154x121.2cm
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