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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.51-60) > お肌の手入れにご用心 「エルミタージュ美術館展 16-17世紀スペイン絵画」より

お肌の手入れにご用心

おお、絹の眼差しをしたタコよ!

ロートレアモン(渡辺広士訳)

 

 

 ベラスケスの『オリバーレス伯の肖像』(fig1~3、7)-描かれているのはへんてつもない壮年の男性の胸像で、美貌を誇るわけでもなければ異相においてきわだつということもない。これと読みとれるような感情が表現されるのでもなく、なるほど構図は安定を保っているとして、圧倒的な存在感を感じとらせるともいいがたい。作品に入りこむための手がかりに関しあまりサービスがよいとはいえず、そう思って見れば、灰緑色の背景が左右で明るさを変えている点をのぞけば、背景のみならず黒い服、さらに髪の毛も平坦に塗ってあるだけだ。ダイナミックな筆致も見あたらなければ仕掛けのある空間が構成されてもおらず、よくいえばきわめて簡素、悪くいえばそっけないというほかあるまい。ただ、先ほど圧倒的な存在感はないと記したが、圧倒的なとか強烈なとかいうのでは決してないかぎりで、ある種の柔らかさと軽み、沈静のいりまじったような、とりあえずこのことばを使うなら存在感をもって、この肖像画は見る者の前にたたずみはしないだろうか。それはたとえば、モデルが歴史の中でどのような人物であったかを知ったところで説明しきれるものではないだろう。

 

 これも先ほど、構図は安定を保っていると記した。男の両肩の線が、下向きの大きな弧を描くように配されているからだが、じっと見れば、服は黒のべた塗りでしかないので、その下にがっしりした骨と肉からなるからだが待機していると感じさせるよりは、視線をきちんと受けとめることなく、黒い表面にそってすぽんと滑りおちさせてしまう。別の点からながめると、男の両腕が画面左右の縁で切れているため、上半身を手前にせりださせるのだが、その上半身は黒という光を吸いこむ色で覆われており、からだが前に押しだされるとはあまり感じさせないのだ。逆に、黒のべた塗りのそうした不安定さを、両腕を縁で切ることが支えているともいえよう。そして、ほとんどなぐり描きに近く、服の飾りを表わすらしい、しかし細部を見分けることもできない黒の上の薄い白の筆跡、というか筆をたたきつけるかこすりつけた跡は、黒のひろがりが単調になるのを防ぐとともに、前後へのふくらみをきわめて微妙な形ではあれ補強している。

 

 黒のべた塗りが宿すこうした空間は、肩から上の背景の色の選択とも呼応する。ここでの灰緑色を、たとえば褐色系の色と比べるなら、温かみを帯びた大地の色である後者とちがい前者は、世界の何らかの時点におのが定められた居場所を確保するというような安定感を保証しないのだ。黒もまた、暗くはあれ、重力に結びつけられた重さをもってはいない。灰緑色と黒のこうした性格は、軽快との形容は強すぎるにしても、そこに確固として根をおろしているというより、何かが現われようとするといった感覚をもたらす。

 

 また、むかって左の肩のぐいと下がってゆく曲線は、見る者の視線を、左から右に走らせるべく誘導している。この視線は、右側に投げられた男の目のむきと交差して、右手前に投げかえされる。頭部の左で背景の灰緑色が暗いのは視線を吸いよせるため、右の明るさは視線をはじくためだろう。またこの明るい部分は、頭部をはさんで、むかって左肩の線をのばした位置にあたり、右に寄ったⅩ字状の骨組みを画面に与えている。

 

 もとよりこうして形成される空間は、線遠近法によって作られたもののように距離を計測できるわけではない。背景や服の、細部を切りすてた平坦さとの緊張によってそれははじめて、潜在的な可能性の内に成立するのだ。

 

 さて、このきわめて微妙なふくらみの中、男の頭部は位置している。それはとりあえず、顔の表面の凹凸、骨格、そして何らかの意志を宿らせた視線などからなる存在として現前するように見える。時代錯誤を承知でいえば、「あたかも写真で撮られたかのように」と形容できるかもしれない。写真による再現機能と絵や彫塑のそれが決して同じでないことはひとまずおくとして、ただ、この男のポートレートもまた、眺めれば眺めるほど、今度は「紗のかかったように」とでも形容できそうな、ある種の柔らかさを感じさせはしないだろうか。

 

 髪の毛は背景や黒服同様、ほとんど平坦に塗られており、ただ縁の部分がやや透明感を帯びて透けている点からして、薄く溶いた絵具を何度か塗り重ねたのだろう。これに付し、額の肉づけは肌色を基調に、額や鼻すじ、それに目もとなどは白を、下瞼、頬などは赤ないしピンク、口ひげの下の部分は青みを混ぜて凹凸の変化をつけてある。全体に口ひげより上は額を中心に張りをもたせ、口ひげから顎にかけては、ひしゃげたような形とあいまって、柔らかいながらも重みをもつ。このような調子と混色の変化は、分析しようという目で見ればそれと分類できるが、実際にはきわめて微妙な形で移行しあって、頭部全体を作りあげている。逆に頭部がぐにやぐにや溶けてしまわないのは、重力のはたらきとそれに対し垂直に頭をもたげようとする力とのバランスをとらええているからだろう。また、皮膚の肉づけに対しては、口ひげと顎ひげ、眉が、さらに柔らかくぼおっとしたタッチですりつけられる一方、画面内で唯一くっきりしたエッジで縁どられた襟が、これは不透明な白を厚めに塗って、柔らかさの度合いの両側からはさみこんでいる。襟とその右に隣あう背景の部分は、筆の動きを目に見える形で残す数少ない箇所でもある。襟には青を混ぜた黒ないし濃褐色による陰が落ちている。

 

 背景と黒服による画布の表面にそった、しかし微妙なふくらみを帯びた空間と、柔らかく、しかし骨格に支えられた頭部から、むかって右の目は黒目をぐいと右に、むかって左の目はそれよりはややゆるい角度で、視線を放つ。黒目にはそれぞれ、白で小さく点をいくつかずつ打ってある。わずかに開いた視線の角度は、画面全体の空間のふくらみに応じて、射すくめるようなものでは決してなく、だから見る者との間にある距離をかもしながら、しかし確実に存在するものとして、そこに現われている。

 

 ところで、額や目もとに白を、瞼や頬に赤を混ぜて肉づけする云々は、あくまで技法ないし様式のレヴェルの問題であって、本展に出品された他の人物画なり肖像画、たとえばクラウディオ・コエーリョの『自画像』(カタログno.37)でもまったく同じことばで記述することができるはずだ。ただそれらの作品ではしばしば、白によるハイライトなり赤によるくぼみがある程度区分けでき、そのため堅さの印象を与えるのに対し、ベラスケスの画面ではきわめて微妙に連続して移行するとは、作者の才にその理由を求めるほかないのだろうか。この意味で本展中、ベラスケスの作品との比較に耐えうるのは、ゴヤの『女優アントニア・サーラテの肖像』であろう(fig.4~6、8)。

 

 ベラスケスの画面に比べるとここでは全体に、絵具をあまり溶き油で薄めず、なすりつけるようにして描いている比重が大きいようだ。とりわけモデルがまとったスカーフ、ドレスの胸もと、コートの襟の部分と赤い部分はそれぞれ、筆をあやつる手の速度を感じさせる筆致で、材質の透明さと不透明さ、光の反射と包含、厚み、柔らかさなどを描きわけている。むかって左の頬ではやはり白を多めにして張りをもたせるとともに、むかって右は赤を混ぜ、陰の中にふくまれる光の反射と温度を感じとらせる。

 

 といって、厚塗りの絵具が画面を覆いつくしているわけではない。むしろ、顔の部分など見ても、たえず下地の暗褐色が筆致と、筆致のあいまからのぞいている。この暗褐色は背景にひろがっている色でもあり、きわめて薄く塗られ、麻布の織り目を認めることができる。この暗い地は、ベラスケスの灰線色とはことなるが、コエーリョの赤茶色の地のように温かみを帯びてはおらず、その薄さと暗さゆえ、何よりも足の落ちつけようのない闇として人物を包んでいる。また人物を描く絵具の薄さは、彼女がこの闇によって浸透されていることを物語る。

 

 実際、髪の毛やコートの赤い部分をのぞいて、肌やスカーフは、闇の暗さと落差のある明るい調子で描かれており、この落差が、彼女を闇の中で寄るべのない、孤絶したものとするのだ。この孤絶感はさらに、細面の顔立ちや上下の瞼のくぼみによって強調された目の大きさ、首の細長さ、画面横の縁によって支えられることなく闇のただなかに浮かぶ上半身と呼応する。

 

 暗色地と明部の落差はさらに、肌の明部と暗部、スカーフ、コートの毛皮の襟と赤い部分での厚塗りのハイライトと薄くこすりつけたような塗りなど、各部分ごとが不連続に区分できるという印象をもたらすだろう。これは、ベラスケスとコエーリョを比較した時のような技術的なレヴェルの問題をこえて、画面のあり方自体にまで及んでいるように思われる。それゆえ画面は闇の浸透によって支えられるほかなかったし、モデルは内省的な孤独感を伝えたのだ。

 

 そしてこれを、ベラスケスの作品が制作された十七世紀前半とゴヤの場合の十九世紀初頭にふりわけ、神権ないし王権を頂点とする秩序の体系がいまだリアリティを保っていた時期と、それらが崩壊し分裂していく近代とに対応させるのはいかにももっともらしいが、ここではただ、画面の表情のちがいを確認するにとどめておこう。

 

(学芸員)

 

作家別記事一覧:ゴヤ

fig,1~3.7 ベラスケス「オリバーレス伯の肖像」 1638年頃

fig,1~3.7 ベラスケス

「オリバーレス伯の肖像」 1638年頃

 

 

fig.2

 

fig.3

 

fig.4~6、8 ゴヤ「女優」

fig.4~6、8 ゴヤ「女優」

アントニア・サーラテの肖像

 

1810-11年

 

 

fig,5

fig,5

 

fig,6

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fig,7

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fig,8

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