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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.51-60) > 動物をめぐるイマジネーション

動物をめぐるイマジネーション

毛利伊知郎

 現代の私たちが、動物など生き物を絵画や彫刻ほどに造形化するといった時、それは実在するものを対象として表現することが一般的と考えられよう。たとえば、子どもたちが犬や猫、兎、鶏など身近な動物の絵を好んで描く姿は、その最も卑近な例であろう。

 

 しかし、そうした動物を視覚的に表現する際の実証的な制作のあり様は、日本の美術の長い歴史を振り返って見れば、一部の例を除けば、それはむしろ比較的新しい時代に生まれたものであることが了解されるだろう。

 

 日本における動物表現の流れをたどれば、実在はするけれども、未だ実際に見たことがない動物や想像上の生き物を表現するために、画家たちが図像集などの参考図を前に、自分自身の想像力を働かせて造形化してきた例を数多く見い出すのは容易なことである。

 

 一方、動物をモチーフとして制作を行っている現代作家たちの中には、実在の生き物の姿をありのままに表現することに飽きたらず、この世に存在しない想像上の動物を作品の中に創造している人たちもいる。また、SF映画などにも、空想の動物たちが盛んに登場するし、日常的な例をあげれば、小さな子どもたちが思い思いに、実在しない動物を描いたり、粘土で作ったりすることも珍しくはないだろう。

 

 このように、時代や地域、世代を越えて、私たちに様々な想像力を働かせる動物とは、人間の造形行為にとってどのような存在なのだろうか。この間いに答えるのは容易なことではないが、以下ではこの問題を検討する第一歩として、動物をめぐる私たち人間のイマジネーションのあり方について、日本を例に考えてみることとしたい。

 

 実見した動物を主題としない動物表現には、実在はするけれども目にしたことのない動物を、いかにもそれらしくリアルに表現する行為、あるいは実在しない動物を造り手が創造する行為などがあろう。両者とも、造り手が造形化しようとする対象と向き合ったことがないという点は同じであるし、この二つの場合が混じりあったような状況も考えられる。

 

 日本の動物表現の流れの中で、おそらく造り手がその想像力を最も働かせねばならない状況に置かれたであろう典型的な作例は、古代から数多く制作されてきた仏教的主題の絵画や彫刻、あるいは工芸品などの中に容易に見出すことができるだろう。

 

 いうまでもなく、豊かな自然環境に恵まれたインドで生まれ発展した仏教は、その後中央アジアに伝わり、更に仏教渡来以前から高度で複雑な文化が育まれていた中国を経て、朝鮮半島経由でわが国へ伝来した。従って、6世紀以降日本へ将来された漢訳の仏教経典では、インドで発想され、そこに中央アジアや中国での解釈・改変が加えられた数多くの動物が登場して、仏教的宇宙の中で様々な役割を果たしているので、そうした経典に基づいて作られてきた各種の仏教美術作品というのは、見方によっては動物表現の宝庫であり、しかも空想上の動物が少なからず登場するという意味で、動物をめぐる造形上のイマジネーションのあり方を探る際に、興味深い例を提供してくれる。

 

 もちろん、そうしたわが国の仏教美術品に登場する動物たちの中には、例えば仏涅槃図-特に鎌倉時代以降の作品に見られるように、兎や犬、牛などわが国に実在する動物が描き込まれる場合もあるけれども、むしろ竜や鳳凰、迦陵頻伽、金翅鳥など想像上の鳥獣の他、象、孔雀、虎等の実在はしてもわが国には生息しない動物など、少なくとも古代・中世の人々が直接目にすることがなかった動物たちの姿の方が頻繁に登場する。

 

 ところで、仏画等の制作を補助するために、教義上の約束事を伝えることを主目的に一種の粉本である図像集が編集されている。図像集におさめられる各図像は、墨線による白描を基本とし、着色のための色名が書き込まれ、淡彩が施される場合もあるが、本制作のための細かな指示はそこにはない。 従って、図像集におさめられた比較的小さな図から、大画面の作品が制作される場合、図様構成や細部描写、仕上げ等の問題は、造り手が解決せねばならぬ問題であったにちがいない。図像集に基づいて図様が決定されても、本制作における着色や仕上げなどの作業においては、制作に当たる画師たちの技量や発注者の嗜好が大きな比重を占めることになる。

 

 着色に当たって、グラデーションや隈取りなどを用いたり、更に金箔を用いた截金や画絹の裏面に着彩や箔押しを行う裏彩色・裏箔など手の込んだ仕上げ技法が用いられたりするが、それは法会や儀式で用いられる際の尊像として効果をより高めることが最大の目的であったことはいうまでもない。 

 

 動物表現に関して言うと、実在・非実在を問わず、造り手が未だ実見したことがない動物を、ある種のリアリティーを伴っていかに表現するか、そこにこそ造り手の腕の見せ所があったにちがいない。

 

 無謀を承知で、このことと現在の映画に登場するゴジラなど怪獣の造形を比べてみよう。わたしたちは、誰もがゴジラが実在しないことを知っている。しかし、恐竜などに関する古生物学の研究成果を利用し、ワニやトカゲなど実在する動物の特徴をも取り入れながら創造されたゴジラが、東京都内で大暴れする場面を見る私たちは、空想と現実とが入り混じった不思議な迫真感を感じることになる。

 

 孔雀明王や普賢菩薩、文殊菩薩といった動物に乗って表された尊像の姿から、私たちの祖先は実際に孔雀、象、獅子を見たことがなく、あるいは鳳凰や竜が実在しないということを知っていたにしても、そうした動物たちが発する霊的な力を、身近なものとして強く感じていたに相違ない。

 

 当然のことかもしれないが、動物を主題とするすぐれた造形、あるいは造り手の自由なイマジネーションが発揮された動物の表現とは、その作品を見た人間に、空想の世界であっても、また宗教的な幻想の世界であっても、現実性を帯びた強い力を感じさせるものではないだろうか。

 

 一方、動物表現にはそうした造り手の想像力が強く関わる造形とは別に、実見した動物をテーマとし、写実描写と結びついた造形がある。

 

 わが国におけるこの種の作品は、鎌倉時代にさかのぼる「駿牛図」を初めとして、室町期に一時断絶はあるものの、特に近世以降盛んに制作され続けたという。

 

 なかでも、江戸時代の享保年間以降になると、蘭学の隆盛とともに洋風画家たちが博物学的な関心をもちながら、数多くの動物を描き出した。そうした写生図では、絵画の芸術性よりは科学的な遠近法や陰影法によって対象をありのままに描き出すことができる西洋画法の実用性がむしろ重視された。この西洋画法の実用性重視の傾向は明治時代以降にも引き継がれたが、そうした意識は、作家の想像力が強く盛り込まれた抽象的な作品よりは、対象を写実的に表現した作品が大衆的な人気を得やすく、また保守的ともいえる学校での美術教育の状況を見れば、現代の私たちにも潜在的に受け継がれてきている根の深いものである。

 

 さらに、私たち日本人の特性を考える上で興味深いのは、当時としては非常に進歩的であったと思われる江戸時代後半の洋風画家たちが、海外から輪入された動物図譜所収の図に基づいた作品を制作していることである。平賀源内所蔵の蛮獣譜の図をもとに描かれたと款記に記される宋紫石の「獅子図」は、そうした典型的な例だろう。この図では、確かにライオンの描写には西洋画風の表現も試みられているのだが、作品全体は伝統的な瀑布図の枠組みから一歩も出ることはない。

 

 日本に生息しない猛獣類では、虎や豹は19世紀前半までに将来されていたが、ライオンがわが国で初めて公開されたのは、江戸時代末の慶応二年(1866)のことであり、それまで日本人はライオンを眼前にすることはできなかっ た。

 

 従って、ここには西洋文化に対する強い好奇心は確かにあるのだが、それは本来の実証的に科学する心とは異なるものであろう。そこでは舶来の動物図譜は、仏教絵画制作における図像集と同趣の役割を果たしているのである。

 

 写生、写真ということをいいながら、対象と向き合った本当の写生ではない、先人の写生図を模写するという行為は、円山応挙や尾形光琳らにもみられるという。こうした写生における粉本利用は、あるいは現代においても諸外国から模倣の達人と揶揄されることもある日本人の特性と関係があるのかもしれない。

 

 近世における動物をめぐる豊かな想像力の世界ということならば、造形表現ということからは少し外れるかもしれないが、明治15年(1882)に上野動物園ができるまで、江戸や京の見世物小屋で行われた、河童や大蛇、あるいは奇形の牛や馬を使った、いかさまインチキの中に、より旺盛でたくましい想像力を見ることができるのかもしれない。そして、そうした荒唐無稽とさえいえる意識は先にもあげたゴジラに代表されるような現代のSF的な怪獣たちの姿へとつながるものかもしれない。

 

(もうりいちろう・学芸課長)

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