ノートル・ダーム大聖堂は、パリのシテ島にある初期ゴシック建築であり、見るものを圧倒させるだけ壮大である。夜であっても堂々とした姿は変わらないはずであるが、この作品の場合、どことなく頼りない。強烈に迫る大聖堂の威圧感を、画家自身が超越することも一つの課題であったことと想像できる。 見逃してしまいそうなほど小品であり、輪郭線もなければ、陰影もない。彩度の低い茶系の色彩が厚く塗り重ねられて、すっと浮かび上がるような微妙な立体表現となっている。 「正面向きですからね、側面でも一寸見えると立体感が出やすいのですが、面の変化ををさけて、立体感、量感、質感、それからマチエールの勉強、ミニアチュールですからはんのささいなタッチもゆるがせに出来ない」(『何から何を学んだか』1962年)という鳥海の文章からそのあたりを読み取ることができる。この作品を制作した1932年といえば、鳥海青児はゴヤの晩年の作品に魅せられ、表面的な写実ではなく、深い内面性によって生じるリアリズムを思考し、厚塗りによる独自の造型理念を確立しようと腐心していた頃である。 1930年にヨーロッパに向けて出発、33年に帰国した鳥海青児が制作した作品といえば、「紀南風景」、「信州の畑(一)」、「信州の畑(二)」、「水田」など、1936年(昭和11)、第14回春陽会展に出品した作品群である。これらに対して、「汚いだけ」であるとか、「ただ厚く塗っているだけだ」、「日本的でない」といった多くの酷評と、熱狂的ともいえる賞賛が寄せられている。これは鳥海の作品に、忘却を許さない強い表現があることを認めることにつながっているように思う。 この「夜のノートル・ダーム」は、鳥海独特の表現のなかにあっても、非常に重要な位置を示す作品といえよう。 (森本孝・普及課長) |