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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.41-50) > ひる・ういんど 第45号「フレネこども美術展」

「フレネこども美術展」

森本孝

 1957年10月、人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げ成功は、ソ連の学校教育が、欧米より非常に高い水準にあることを物語る結果となり、子供の体験や感性を重視する従来の教育のあり方が経験主義として批判され、やがて排斥されていくことになる。ブルーナー著『教育の過程』の刊行以来、教育は科学である以上、その過程を明らかにすることができるという方向が一貫して追求されてきた。その結果、教育技術が何より重視され、綿密に計画された、より効果的な指導法が明確にされてきたが、子供を知識の受容器とみなす画一的な教育であるとする批評が広がってきたように思う。その背景には、近年日本でも注目を集めている、一人一人の心を尊重するフレネ教育やシュタイナー教育が深くかかわっているのであろう。

 

 これは医学が病気を治すのか、患者の生命力が病魔を克服するのかという議論と似ている。人間にとって最も頻度の高い病気の一つに風邪があるが、例え風邪であっても特効薬はない。医者は医薬品のデータ、そして自己の経験と感を頼りに、人間に本来備わっている生命力に働きかけ奮起させ、患者自身の体力が病気を克服する過程において、支援者として援助するのだ、という考えが間違っていると断言できまい。万能の神のように高度成長期には信奉する対象でさえあった科学も、時代の流れに伴い色あせたイメージが強くなってきた。「私が治したのだ」と豪語する医者の言葉が空虚に聞こえてくるのも時代の影響なのかもしれない。

 

 こうした状況のなかで、芸術的教育を主張し、人間の精神や魂に視点を当てるドイツのシュタイナー教育とともに、何時、何をどのように学ぶか、それは子ども自身が決めることであると主張し、何より子どもの自発性を重視するフランスのフレネ教育が注目を徐々に集めている。

 

 当館では、毎年、県内の3歳児から中学3年生が制作した描画、工作、彫刻など約2,500点を展示する「三重の子どもたち展」を開催してきた。この会場の一部に「外国の子どもの絵」を併陳しているが、3年前にはシュタイナー学校の子どもの絵を約50点を紹介している。また、県民ギャラリーでは、1985年6月、グリムの生誕200年を記念してドイツと日本の子どもの作品を展示した「わたしのグリム」展、1988年の夏休みには、国際ソロプチミスト三重と共催した「世界の子ども絵画展」を開催している。こうした企画の延長として、今年8月18日から22日までの間、三重フレネ研究会、「フレネこども美術展」実行委員会と共催して「フレネこども美術展(フランスの自由な教育と表現)」を開催した。この企画展はフランスのフレネ教育を実践する学校、学級で生まれた子どもの絵画約110点中心に、フレネ教育の理念に共感し、その精神を受け継ぐ教育者のもとで制作された日本の子どもたちの作品、そしてフレネ教育に関する資料を展示し、美しく調和した輝くような色彩による自由奔放で躍動感の溢れるフレネの子供の美術を紹介した。1935年、セレスタン・フレネが南フランスのヴァンスに開校した頃は異端視されたフレネ学校も、1991年にはフランスで唯一の国立学校となり、フレネ教育を実践する学校も、現在ではフランスはもとより世界20カ国に広がっている。

 

 フレネ教育はシュタイナー教育ほど知られてはいない。フレネ学校は、南フランスの観光地・ニースに近いヴアンスの郊外にあり、3歳から12歳までの子ども約60名が通う小さな学校である。校門もなければ、施設の整った校庭もない。しかし、パパフレネの木と称される樫の木をはじめ、緑豊かな自然に囲まれている。木登りが彼らの遊びのなかで大きな存在にさえなっている。

 

 2週間毎の計画表を自分でつくり、一日が終わる頃に自分自身でチェックする。どれだけ努力し達成できたか、2週間が終了すると級友の前で自己評価を発表、その評価をめぐり誰かが批評を加える場合もあり、その発言によって自己評価を検討し直し修正を加えなければならない場合もある。自発号性が尊重され、集団によって鍛えられている。自分の意志で絵を描き、作文を書く。彼らにとって自己表現は楽しいひとときである。そして作品が完成すると合評会が始まる。様々な批評が誰に遠慮することなく加えられるが、その批評がさらに創作意欲をかき立てるようである。個人と集団が相互作用し合って、やる気を起こす教育、それがフレネ教育の原点なのかも知れない。子どもの個性を尊重し、生活体験に基づく手仕事による創作的活動を重視することで、子どもの感性を伸ばそうとする点が、知識を分け与えるという発想がないことが、フレネ教育の特色であろう。

 

 個人の意見、意志、魂を尊重する集団の中で、自己の体験をそれぞれが大切にする姿勢が自然に生まれているのであろう。人に伝えたいそれぞれの思いを表現することに喜びを感じている姿を安易に想像することができる。人物や風景、あるいは静物を描けばそれで表現であるとはいえない。目の前にある物を概念的に描いた、表現があるとは言い難い絵を、特に日本の子どもの作品の中で発見することが多い。しかしフレネ学校の子どもの絵には、確かに表現があると私は思う。深いところでの対象と自己との関わり、そして表現したいという意志、熱い思いが存在しているように思える。画面の細かなところにまで気を配り、ときには抽象的な形態に鮮やかな色彩を与えて装飾的に空間を埋めている。

 また、フレネ学校では絵を描く場合、下描きをしないということをしばしば耳にしていたが、実際に展示された高学年の子どもの作品には、概略を描く薄い鉛筆による下描きの線を発見する。展覧会を開催して気づくことも少くなかったように思う。 

 

(もりもとたかし・普及課長)

 

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