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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・ういんど 第31号 萬鐵五郎「山」

館蔵品から

萬鐵五郎 「山」

1915年(大正4)油彩・キャンバス38x45.5㎝

 

YOROZU Tetsugoro(-) // Mountain // 1915 // Oil on canvas

 

 画面の右下にT.Yorozu1915と記されたこの「山」は、制作年がはっきりしない多くの萬の作品群の中にあって、重要な絵画である。萬がピカソやブラックらの西欧のキュビスムに魅力を感じはじめたのは、おそらく1915年頃だと思われる。この時期の静物画や風景画には、がっちりとした鋭い形態が、控え目ながらも確実に用いられるようになっており、それらはキュビスム風といってよい。

 

 この作品は、道の遥か向うに大きな山が見え、暗く見える空には雲が浮かんでいることから、よく晴れた晴天の日の風景であることが分かるであろう。力強い輪郭線をもつ山の描写などから、キュビスムの様式との類似点が指摘される。

 

 それにしても、濃い茶褐色で覆われた暗い画面は、小さな作品ながらも存在感溢れるものとなっている。こうした重々しい作風は、大正時代の絵画に共通の傾向であるが、それは明治末期に創刊された文芸誌『白樺』や『スバル』らの個性尊重の時代思潮と軌を一にする。これらの雑誌は、ゴッホ、ゴーギャンらの後期印象派の両家たちの紹介に力を入れた。そして、明治43年4月、『スバル』に発表された高村光太郎の評論「緑色の太陽」は、日本における印象派宣言といわれ、当時の青年画家たちに決定的な影響を与えることになった。人格、個性、内面の表出という立場がその基調を成しているが、そうした芸術観は、本来、キュビスムの様式とは相入れないものだと思われる。そのために、大正期の萬においては、激しい葛藤のドラマが展開することになったようである。

 

(中谷伸生・学芸課長)

 

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萬鐵五郎 「山」

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