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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.21-30) > ひる・ういんど 第21号 サトゥルヌスの変容──「公開美術講座」研究ノート──  荒屋鋪 透

荒屋鋪 透

 

 コペンハーゲンの美術館ナイ・カールスベルグ・グリプトテクに、ミレーの『死と樵(きこり)』という絵が所蔵されている。1859年のサロン官展に落選したこの作品は、二月革命以降のフランス絵画に頻繁に登場する、尖鋭な農民画の系譜を辿る上で重要であるが、更に視野を広げて図像解釈学的にこの絵を解いた場合、ミレーが殆ど宗教的な感情を込めて、彼の作品で繰り返し描いた「人生の憂欝(無常)」という主題を伝統的な図像に則って表現した作品ともいえるのではないだろうか。昨年のアーツ・マガジン誌には、この『死と樵』を扱った二つの興味深い論文が掲載されている。(註1)『死と樵』は、ラ・フォンテーヌの寓話に基づいた主題である。貧しい樵が、我が身の不幸に堪え切れず、森のなかで背負った薪を降ろして死を思うと、そこに大鎌を持った「死」が現れて、「俺に何か用があるのか。」と尋ねる。この寓話は、打ち続く内乱に悩まされていた、1850年代のフランス市民に賞揚され、苦悩する市民の「死への願望」を表現した美術作品の主題ともなった。ただ、ミレーの作品がサロンに落選した理由は、審査当局が彼の絵の中に、寓話を越えた労働者の叫びを見たからであろう。K.H.パウエルが指摘する様に、「第二帝政の功績を美化することに躍起になっていた都市の審査員が、近代的な進歩によって生き方や生活そのものを脅かされていた、孤立した労働者階級の貧しさや不安定な状態を想起させる様な絵画を、好ましく思わなかったのは驚くにあたらない。ミレーの蔵書には、ジョルジュ・サンドの『魔の沼』があったというが、『魔の沼』が、ホルバインの『死の舞踏』に想を得て創作された事と重ねてみると、『死と樵』もまた、単に農民の苦悩を抗議しただけではなく、「人生の憂欝(無常)」を主題にした作品ではないかという気がする。もっともその問題を考察するためには、美術史における「死と憂欝」、「死と快楽」の図像を解析し、「死」が「憂欝」を意味する時は大鎌を持つ死骸として、そして「快楽」を表現する時には「時の翁」として登場する歴史を踏まえなくてはならないだろう。

 

 フイリップ・アリエスはその著書『死と歴史』(註2)において、「十六世紀から十人世紀にかけて、私たちの西洋文化の中で、死の本能と性の本能との間に新たな接近が生じた。」と述べ、反宗教改革期の美術を代表する作品のひとつ、ベルニーニの『聖女テレサの法悦』に漂うエロティコ・マカーブル(性愛・死骸趣味)をその好例として挙げている。美少年の姿をとった天使は、黄金の矢で聖女の心臓を射貫く。彼女は、苦痛の極限で信仰の狂喜を得るという彫刻である。アリエスは聖女の恍惚とした表情に、性愛の甘美な失神を見ている。確かに、トレント宗教会議以降の文芸・美術作品には、性の本能が、死の姿を採って登場するようになる。その難廃な図像学的内容と複雑な画面構成によって、まさにマニエリスムを代弁する絵面『愛のアレゴリー(寓意)』(1545年頃)は、そうした反宗教改革の精神を反映した初期の作例といってよい。「時の翁」の系譜を明快に分析した碩学パノフスキーは、この絵の主題を、時と真理にヴェールを剥ぎ取られた「逸楽」であると論定している。作者ブロンツィーノは、林檎を持つウェヌスにクピドの恋の矢を盗ませることで、古典的な母子の主題から離れ、性愛の図像を意図した。クピドは怠惰と好色のクッションに脆き、足元には愛撫を象徴する二匹の鳩を置く。彼の美しい背中は、ヘルマフロディートスを髣髴とさせ、クピドの左には「嫉妬」の老婆、ウェヌスの右、既ち老婆とは対象の位置には「戯れ」の子どもに薔薇を持たせる。子どもの下には「虚栄」の仮面が並べられ、更に彼の背後には、この絵の中で最も意味深長な緑の服の少女が隠れている。彼女は、一見右手に見える左手で蜜蜂の巣を、そして一見左手に見える右手で、毒のあるサソリかヘビを差し出す。右手を「善」、左手を「悪」と考える伝統的な図像を逆手に取り、ブロンツィーノは、この可愛らしい少女を、爬虫類の背とグリフォンの爪、そして竜の尾を持つ「欺瞞」に仕立てあげた。十六世紀のメディチ家を取り巻く宮廷の縮図とも言える、剥ぎ取られたヴェールの内幕はともかく、構図の上で、白い素肌のウェヌスとクピドとは対象的な人物、つまり赤銅色の極端に長い腕を見せる「時の翁」こそ、反宗教改革時代の絵画に度々登場する重要な役者なのである。パノフスキーが詳細に辿った様に、この「時の翁」はローマ袖話のサトゥルヌスが変容したものであり、同じく手に大鎌を持つ「死」に酷似しているという。サトゥルヌスのもとで生まれた人間は、憂鬱(メランコリー)に陥るというパノフスキーの指摘を受けると、確かに前述したミレーの『死と樵』の主題は、伝統的な図像を踏まえて「人生の憂欝(無常)」を描いた内容であるといえそうである。

 

(あらやしき・とおる 学芸員)

ジャン・フランソワ・ミレー 『死と樵』

ジャン・フランソワ・ミレー

『死と樵』

1858-59年

註1

K.H.Powell. "Jean-Francois Millet's Death and The Woodcutter", artsmagazine, december, 1986, pp 53-59. K.McComkey, "DEJECTION'S PORTRAIT: Naturalist Images of Woodcutters in late Nineteenth-Century Art", artsmagazine, april, 1986, pp.81-87.

 

註2

フィリップ・アリエス著 『死と歴史──西欧中世から現代へ』伊藤 晃・成瀬駒男訳、みすず書房 1983年、126頁

ブロンツィーノ 『愛のアレゴリー(寓意)』

ブロンツィーノ

『愛のアレゴリー(寓意)』

1545年頃

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