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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.11-20) > アルプ展について

アルプ展について">

アルプ展について

中谷伸生

 

 その80年にわたる長い生涯の間に、ジャン・アルプが制作した、種々さまざまな彫刻を見渡しますと、それらの作品は、一言でいって、シュールレアリスムの精神に貫かれている、という印象を与えることでしょう。あたかも空の雲が風によって、少しづつ形を変えて行くように、アルプの彫刻は、人間、動物、その他さまざまな事物の形象を、わたしたちに想像させる作品です。なかでも、彼は、女性のトルソを変形させたようなモティーフをもっとも好んだ、と言われています。、丸みのある、すペすペした表面を示す彫刻は温和で優しい感情を引き起こしますが、そうした性格は、他ならぬアルプという芸術家の人柄にぴったりと当てはまるように思えます。最愛の妻であって、しかも彼の作品に数多くの霊感を与えたゾフイー・トイベルの事故死といった、痛ましい事件を乗り超えて、この芸術家は、亡くなる直前に至るまで、まったく旺盛な創造力を維持しました。晩年には、ドイツの神秘主義的神学老エックハルト,あるいは禅の大家、鈴木大拙らの「宗教的なるもの」に強い関心を示した、と伝えられています。

 

 アルプは1886年、ドイツの都市シュトラスブルグ(現在のフランスのストラスブール)に生まれました。今年はアルプ生誕100年にあたりますが、これを記念して、丸彫り彫刻が制作され始めた1930年から、最晩年の1965年までの彫刻75点を中心に、レリーフ、デッサン、版画、タペストリーなどを加えて、アルプの世界を紹介しますが、これだけの規模のアルプ展は、日本では初めてのものといえるでしょう。

 

 展覧会初日の6月28日に、パリにあるアルフ財団の事務局長、グレタ・シュトローさんが美術館に来館され、アルプについての興味深いエピソードを話されました。アルプは第一次世界大戦のさ中、スイスのチューリッヒで興った、前衛芸術運動であるダダの一員として、20世紀初頭の美術界に登場しました。以後、シュールレアリスムの芸術家たちと親交をもち、現代美術の創造開拓に大きな貢献を果たすことになりました。おおらかで、しかも繊細な形体把握を覗かせる彼の作品は、豊かなポエジーとエスプリに満ちた斬新さを表明しています。

 

 生前のアルプのことに詳しいシュトローさんにお聞きした作品にまつわる話の中で、印象に残った説明を二三紹介しますと、たとえば、1960年作の「タンスの華麗さ」というレリーフ彫刻は、1943年に事故死した妻の、ゾフィーについての懐かしい思い出を込めて制作されたものだ、ということでした。キャバレー・ヴォルテールで踊るゾフィーの華麗な姿を制作のヒントにしたこの彫刻は、心地よい律動感を見せると共に、人体の形姿が示す生さ生きとした優雅さを保持しています。、ゾフィーの死は、アルプにとって、いうまでもなく、深刻な打撃を与えたと見えて、その後の作品に大きな影響を及ぽしたといわれます。「陽気なトルソ」(1965)に指摘できる、挑戦するような鋭角的で硬質な形態は、妻の死と密接な関わりがあるということです。また、現代の代表的彫刻家、ブランクーシーの作品に酷似する、奇妙な形の「頭一兜」(1959年)は、アルプが地中海のキクラデス諸島に旅したときの印象を造形化したものであることが分かりました。ところで、今回展示された作品中で、もっともアルプらしい作品、ということであれば、それは、おそらく「真のついた実体」(1961年)ではないかと思います。シュトローさんにお聞きしたところ、アルプは、この作品について、空中高く飛翔するスフィンクス、あるいは魚の泳ぐ姿を想定していた、ということでした。いずれにしても、この流れるような曲線による形態は、アルプの芸術すべてに共通する性格を明示しています。

 

 フランス、ドイツ、スイスの各アルプ財団の所蔵品を中心にした、この展覧会では、視覚障害者のかたがたにも、作品鑑賞をしていただくように、三重県点字図書館の協力を得て、点字のキャプションをつくるなどの配慮をしました。これは、2度目の妻である、マルゲリーテ・アルプ夫人の好意によって実現しました。現在、ほとんど、視力を失ってしまった、アルプ未亡人は、視覚障害の人々に、手によって作品鑑賞をしてもらうという、日本側の依頼に対して、快く応じてくれたのみならず、そうした企画に感激した、と聞いています。

 

 アルプとその後の現代美術の流れを理解するために、また、アルプの芸術とその思想、さらにアルプという一人の興味深い人間の精神を理解するために、本展は、見逃すことのできない企画となっています。

 

(なかたに のぶお・学芸課長)

ジャン・アルプ 彫刻 

 

 

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