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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.11-20) > ひる・ういんど 第12号 巴里マニュアル「パリを描いた日本人画家」展ノート 荒屋鋪透

巴里マニュアル「パリを描いた日本人画家」展ノート

 第三回パリ万国博覧会が開催された1878年から、ドイツ軍がポーランドに侵入し、英・仏国が対独宣戦を布告した1939年までにパリを訪れパリに暮らした日本人美術家の創作上の課題というものは多種多様であったのだろうが彼らには一つだけ共通した問題があった。それは「美術家としての生活を如何に確立するか」という創作の前提条件である。明治30年代から昭和10年代に発行された美術雑誌には評論家の筆になる、その時時の美術の新潮流の紹介を尻目に、繰り返しパリでの下宿とアトリエ捜し、研究所の案内、写生地訪問といった類の記事が掲載されている。それらは、久米桂一郎がパリから送付し『大日本美術新報』第四十三号(明治20年5月)に発表された、アカデミー・コラロッシの日課や鹿子木孟郎が明治37年8月の『美術新報』に寄せた「巴里美術学校入学試験」等の明治期留学生の報告に始まり、昭和9年にはパリにおける美術学生の必携書ともいうべき『巴里画壇の全貌』(中村恒夫・著 崇文堂)が出版されている。なかには、昭和3年に雑誌『アトリエ』5巻12号に所載された「巴里初歩」(小寺謙吉・著)などのように、「ポット出の一日本人画家」A君を主人公にし物語風に仕立てた、パリ・マニュアルとして面白い読物になっているものもある。日本郵船の何々丸で長い印度洋の航海を経てマルセイユ港に到着したA君は、日本人の経営するホテル「あけぽの」でフランスでの第一夜を過ごす。留学生のお決まりの旅程、マルセイユ美術館への「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ詣」を済せたA君は、夜行列車でパリに向かい、セーヌ河が窓から見えるホテルに宿をとり、友人たちの案内で次第にパリでの生活に慣れてゆくのである。二、三ケ月後には、日本から知人が来るといって朝早くリヨン駅に出迎えに行くA君の姿があった、というものである。羊羹と日本茶を友人への手土産に持参したA君が、パリの自由奔放な美術家たちの生活に目覚める次のくだりは興味深い。「こうやって食後の一ときを毎日一時問も二時間もカッフェに集まって漫談をしているのだと聞かされると、もったいない暇つぶしだとA君も考えたことだが、これも巴里生活の一端で自分自身も、やがて自然とこういう生活に入るのかしらんと思ったりするのだ。人々の話していることは、どこそこにピカソの展覧会があるとか、日本人某の個展は面白いとか、マチスの絵が入札で何十万フランだったとか、かと思うと競馬で某君はもうけたとか、某君と某嬢は又仲直りしたとか、こんどの日曜には郊外の何とかいう処でボートに乗ろうとか、その外A君の知らない音楽家だの舞踊家だのの名も出る。寄席や芝居の話も出る。A君はそんな豊富な話題の中にポット出らしく大人しく控えている計りだった。そして矢っぱりこういう処へ出て来ただけあって世の中が広くなったように感じるのであった。」(前掲書115-116頁)昭和2年の『アトリエ』4巻3号には、「巴里附近の写生地」(加藤静児・著)という小旅行案内が掲載されている。これはパリからそう遠くない景勝地、例えばロアン河沿いのグレー、モレー、モンティニーといったフォンテーヌブロー附近、セーヌ河畔のヴェトゥイユまたセーブルの近くのヴィル・ダブレーといった写生に適した村を紹介したものである。アトリエ捜しに一役買っているのは、「巴里の貸アトリエ」(田中忠雄・著『アトリエ』10巻11号、昭和8年)である。しかし国内の美術雑誌から得られる情報で、最も生き生きと画家のパリでの生活の模様を伝え、これからパリに渡ろうとする美術家にとって最良の手引となったのは、矢張り留学生の回想記であろう。「昔の巴里留学生」(合田清・談『アトリエ』8巻7号、昭和6年)や、「巴里の下宿と日本の画家」(拉甸巷人・著『中央美術』第二巻第四号、五号、大正5年)などを読むと、日本の画学生や美術家たちが広いパリの狭い日本人社会の枠内で、特定の下宿、同じ研究所で絵の研鑽を積んでいた事が分かる。日本人の常宿では、研究所に近いオテル・スフローやマダム・ルロワの下宿が有名である。もっとも、この辺の事情は19世紀末から第二次大戦前に多くの美術家をパリに送り出していたアメリカやスカンジナビア諸国の場合も同じであったらしく、近年催されたアメリカ印象主義やスカンジナビア諸国の象徴主義等を扱った展覧合カタログ―例えば Northern Light: Realismand Symbolism in Scandinavian Painting 1880-1910, The Brooklyn Museum, NewYork, Nov.10, 1982-Jan.6, 1983―には、パリの芸術家村での彼らの活動が詳細に記録されている。

 

(あらやしき・とおる 学芸員)

 

パリを描いた日本人画家

   

1986年3月26日(土)~5月5日(日)

 

出品作家名
原 勝郎 山本 芳翠 平賀 亀祐 藤島 武二 岡田三郎助 中川 紀元
浅井 忠 中山 巍 彭城 貞徳 児島善三郎 三宅 克己 和田 英作
都島 英喜 五姓田義松 黒田 清輝 久米桂一郎 鹿子木孟郎 吉田 博
森田 恒友 山下新太郎 坂本繁二郎 石井 柏亭 有島 生馬 正宗得三郎
金山 平三 小山 周次 清水 登之 小出 楢重 梅原龍三郎 安井曽太郎
小野 竹喬 高畠達四郎 前田 寛治 林 武 東郷 青児 佐伯 祐三
田崎 広助 岡 鹿之助 横手 貞美 鬼頭鍋三郎 野口弥太郎 中西 俊雄
荻須 高徳 鳥海 青児 森田 元子 三岸 節子 佐藤  敬 山口  薫
津田 正周 野田 英夫 田中阿喜良 金山 康喜 藤田 嗣治(特別出品)
                               
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