前回20世紀ドイツの「青年運動」、ワンダーフォーゲルにふれた。社会構造にも人間精神にも黄金の均衡と成熟を求めるがゆえに、「青春」という概念には価値を与えたがらない隣国フランスに対し、そもそもドイツには〈青年〉Junglingの理想像があった(1)という事実も、ちょっとここで思いだしていい。 ベルリン・オリンピック映画「民族の祭典」にもみられるようなスポーツによって鍛練された肉体への讃美という思想もまた、これらのことと無関係ではない。 なおこの点でクルティウスは、ギリシャ:ローマ=ドイツ:フランスという比喩を試みて いる。ゲーテ、ウィンケルマンを頂点とするドイツ人のギリシャ傾倒が思いおこされる 。 * * * * * |
(1) E・Rクルティウス「フランス文化論」 大野俊一訳、創元社、1942年。 |
ところでここに(ぽくの独断では)青年運動、スポーツ思想と結んで奇妙な〈三角関係〉をつくる運動、しかも第一次大戦後急速に全ドイツにひろまった運動があったことを一冊の本によって知った。それはヌーディズムである(2)。全裸生活を主張するこのヌーディズムは病気治療のための日光浴としてスイスに発祥した〔トーマス・マン『魔の山』のサナトリウムにそういえば日光浴の記述があった〕というがそれをうけとった大戦後のドイツで理論化され(このへんがいかにもドイツらしい)、“自由肉体文化Freikorper Kultur”と称されて、最盛期には30団体を数えたというから、単なる流行をこえた〈精神史〉的な背景は当然考えられてよいはずだ。ただこのヌーディズムが1918年以降のドイツの文脈にどう関連するのか、整合的な反説をくみたてる余力はないが、伊藤の文に示唆されつつ、ぼくなりにあげるとすると、考えるヒントは次の二項ということになろうか。
* * * * * ブロンドの髪と青く澄んだ瞳をもつアーリア人のイメージが現実に肉づけされたのは、だからヌーディズムでなくてスポーツの思想とプロシアからナチスに継承された軍国思想の土壌のうえなのだ。いってみれば、健康なドイツという概念が分裂して、統合の象徴を「ドイツ」に求めるところに派生したのがこれらの思想である一方、ドイツという重い衣をすてて「健康」の幻想へ赴いたのが、追放される以前のアダムとイヴが住んだとされる楽園=原風景に憧れるところがなくもない裸体主義かもしれない。そしてそのドン・キホーテ的な性格は意外に表現主義に通じていそうでもある。地上に一度だって存在したはずがない「原始」に焦がれた表現主義画家の一人、マックス・ペヒシュタインは1914年ドイツ領のパラオ諸島へはるばるでかけている。第一次大戦がはじまり、日本軍がこの島へ進行するまでの束の間の原始生活だった。再びドイツヘもどった彼は召集され戦場へでてゆくことになる。それが、病気すらも純粋だった「魔の山」から下界へおりてゆくもう一人のハンス・カストルプのように、ぽくにはみえてしようがない。 (おわり)
(ひがし・しゅんろう 学芸員) |
(2)伊藤俊治「裸体の森へ」 筑摩書房、1985年 (3) 前掲『フランス文化論』によると、「文明とは、人間が社会的となり教化醇化されることであるが、これよりも高い所に、全く自主独立の創造的精神の王国が屹立している、これのみが文化の名に値する」という。それに対して、「フランス人にとって〈文明〉という言葉は、フランス国民観念の守護神であるとともに、また全人類的連帯性の保証でもある。この言葉を理解しないフランス人はひとりもいない。」 |