三重県立美術館には、現在、油彩画2点、素描1点、計3点の中村彝の作品が収蔵されている。ここでは、紙数の許す限り、これら3点につき紹介することとしたい。 1.「婦人像」1922年頃作 油彩・麻布 45.5×33.5cm この作品は、画面右下に3行にわたって、「192 2(ママ)/T.Nakamura/par photo-graphie」との記述があり、大正11年(1922)、彝35歳頃の筆による作品と考えられる。記述を信ずれば、写真を見ながら描いた作品ということになるが、その描写には、彝の他の人物画と比較した場合、確かにある種の生硬さが感じられる。表現方法の基調は、いわゆるルノワール風であるが、モデルの表情からは、冷たい能面のような印象が伝ってくる。モデルが誰であるのか不明であるが、病床にあった彝の、制作の有様を知る上で、興味深い作品ではある。 2.「髑髏のある静物」1923年作 油彩・板 35.0×25.0cm この作品には署名も年紀も無いが、彝没後の1925年(大正14)3月に画廊九段で開かれた中村彝遺作展に出品され、その翌年に刊行された『中村彝作品集』にも収録されている。全く同じ題名で、構図も酷似した、やや小型の作品が、他に一点残っている(中村彝展 No.90)。 本図は、大正12年9日1日の関東大震災の直前に描いたもので、画中の髑髏は、多潮実輝の好意により一高の生物学教室から借り出したものであるという。古来、死および死すべき運命のシンボルであった髑髏が、なぜこの時期に病身の彝によって静物画のモチーフとして用いられたのか、その真相は明らかでない。しかし、翌年暮に迫った彼の死を考えると、本図は、ある種の憶測をさそう作品ではある。 この作品以後、彼の関心は静物画へと向い、「カルピスの包み紙のある静物」、「向日葵」、「花」などの秀作が制作きれることになる。 3.「自画像」1922年頃作 木炭・紙 29.0×24,4cm 中村彝は、岸田劉生と並んで、最も多く自画像を遺した洋画家の一人であり、「帽子を被る自画像」(1910年作)、「自画像」(1916年頃作)、「髑髏を持てる自画像」(1923-24年作)など、初期から時期を追って優れた作品がある。素描にも1915年作の2点を初めとして、髭をはやした、眼の大きい、いかにも個性豊かな芸術家を髣髴させる、生き生さとした筆致の作品が残っており、本囲もそうした作例の一つである。 (もうり・いちろう 学芸員) |
![]() 髑髏のある静物 1923年 ![]() 自画像 1922年頃作 |