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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.1-10) > 「美術館と子供たち」ほか

「美術館と子供たち」ほか

美術館と子どもたち……伊勢市 石原淑

 これまでは、近い所で名古屋、更には大都市まで出かけて行かなければ、なかなか接することができなかったた数々の有名な芸術家の展覧会。それも興味があってこそである。ましてや子どもたちにとってそんな機会に接することは、余程の興味がない限り縁遠いものであった。

 

 しかし、身近かに芸術的環境の場が出来たということは、子どもたちを散歩がてら連れて行くことも出来るし、何となく素通りして作品を観るだけでも、いいことじゃないかと思われる。そういう環境の場を与えられるだけでも現代の生活に必要な色彩感覚なども自然に培われていくことだろう。もしかしたら将来、芸術的な芽が育つかもしれない。

 

 私が観終って、広いエントランスホールの寄木細工の様な椅子に深々と腰を下ろした時、大きな心のやすらぎを感じるように、子どもたちの精神面にも何かが反映しているに違いないと思う。

 

(主婦)

 

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新しい美術館ができて……津市 植村祥子

 開館記念展のサンパウロ美術展はすばらしかった。ゴッホ、セザンヌ、ピカソなどの名画がずらりと並ぶ中を、ゆっくり鑑賞して充分満足した。

 

 近代の洋画展もよかった。明治から昭和に亘る日本の洋画の歩みもよくわかって、興味深く見た。

 

 三重アート・フェステイバルは出品者全員参加で、どんな行事になるのかと期待したが、展示があまりに混みあって鑑賞の妨げになった感があり、その点残念であった。しかし、エントランスホールに数点飾られてあった彫塑の女人像などは、ゆったりとして、作品自体もすばらしく、前後左右から眺められて魅せられてしまったのだった。

 

 ヨンキント展は先日見たばかりで印象が鮮かである。明るい色彩と精緻な筆使いの親しみやすい絵である。小品の方はとても絵か細かいので顔を近づけて見ると、百年あまりも前の作品であるのに、画面から画家の息吹きが伝わって来るような気がした。

 

 美術や芸術の世界には強い憧れの念を持つている。倉敷や、京都や、遠い場所に出かけることもあるがそう度々は出来ない。

 

 これからは一走りすれば行けて、充分時間をかけて楽しめる立派な美術館があるので、本当に嬉しいことである。

 

(主婦)

 

親しまれる美術館……桑名市 小林研三

 三重県にも立派な美術館が静かないいところにでき、いつでもすきなときにいろいろな作家のよい作品を鑑賞できることはまずはよいことです。

 

 展覧会を見にいって「ああつかれた」というのが一番はじめによくきくことです。私自身あまり大きくない会場の真中に坐ってゆっくりながめられるところがいいなあと夢みていますが、大きな美術館では、しょせん無理なことでしょう。名画ばかりでなくたのしい企画展もときどきあってみんなに親しまれるところになったらとおもいます。

 

(画家)

 

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父と絵とわたし……久居市 花谷知

 「日本近代の洋画家たち展」を機会に92才の父を、新しく建った美術館へさそった。五姓田義松の描く祖母と孫たちの絵の前で「わたしは此の絵か好きじゃ。おばあさんの表情がなんともええのお……」と父は見入った。年をとって小さくなった父の背と絵を私はつくづく見なおして、今更の如くに明治の画家の写実に目を開いた。

 

 先におききした陰里館長のお話のなかで、高橋由一の「花魁図」について強い印象を受けていたのでなおの事だったかも知れない。自然の真理に迫ろうとする西洋の写実態度が明治初期の画家に伝えられていることに改めて驚いたのであった。

 

 写実と言えば先ずはクールベの絵を思い浮べていた私であったが、印象派の影響をやがてうけるようになる明治中期に至るまでの短かい時の流れの中にも、充実した写実の時代があったことを知って、私のなかで写実というものの意味が大さくふくらんだのである。

 

(主婦)

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