このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.1-10) > その出発にあたって

三重県立美術館 その出発にあたって

陰里鉄郎

 

 津市の市街地の西方、丘のうえに建てられているこの新しい建物に通いはじめて70余日、いま、この新しい建物は、息づきはじめていることを私は感じています。三重県立美術館は、ようやく呼吸しはじめているのです。周囲の緑の色が濃さをましてくるにつれ、建物のなかでは、若い学芸員たちはこれまでに購入した作品についての研究、開館記念展のカタログの原稿作成、ポスターの校正、友の会結成の準備等々と忙しく動き回り、一方では、事務系の館員たちが館内の整備、機材を点検、不足を補うといった作業に忙殺されています。見学者も、建築関係の学生などをはじめとしてあとをたちません。こうして活発な息吹きが館内に充満してきていることを私はつよく感じながら、やがて間もなく動きはじめ、そして5年後、10年後、30年後にはこの美術館はどのような姿で飛翔しているであろうか、と思いめぐらしたりしています。

 

 戦後の日本における公立美術館の活動は、昭和26年(1951)こ設立開館した神奈川県立近代芙術館(鎌倉)にはじまったといってよいかもしれません。私も、1960年代前半の一時期にそこに勤務したことがあり、そのときは戦後日本美術が昂揚した時期でありましたが、その熱気のようなものを肌に感じたものでした。無我夢中で仕事をしていたように思いますが、しかし美術館に訪れてくれる観客はけっして多くはなく、いく度むなしさを味わったかしれません。だが、それでも焼きつくすような情熱を傾けるに充分な仕事であり充足感をおぼえていたことが忘れられません。

 

 その後に地方の公立美術館としては、兵庫・栃木などに活動的な美術館が出現し、そしてこの数年のあいだに、福岡市、大分、山口、富山、宮城といった各県に陸続として開館しました。そして今秋、私たちの三重県立美術館も開館するという訳です。

 

 こうしてみると、私たちの三重県立美術館は、今年の梅雨のように、おくれてやってきた感がないではありません。しかし、一方、中部・東海地区だけに限れば、この地区においては、本格的な、そして最初の美術館であることも間違いありません。このことは、誇りとしてよいことでしょうが、小さな誇りとしていうのではなく、日本全体の文化、美術を考えたとき、小さくない意義をもっており、私ども美術館の当事者としても大きな責任を感じ、抱負をいだいている点のひとつです。

 

 それでは、美術館運営の任にある私ども当事者は、どうすペきであり、どうしようと考えているか。そのことについて基本的な態度を明らかにしておかねばならないでしょう。

 

 おくれて出発する私どもには、さまぎまの困難があることは想像に難くないと思います。もっとも、早くにスタートしたとしても困難さの内容はさほど違うとは思われませんが、より難しさがあることは疑もいありません。しかも、県民の皆さんにとっても自分たちの美術館をもつのは初めての経験ですし、行政側も、館員の私どものほとんど多くもそうです。私自身も過去に多少の経験があったとしても責任ある立場で美術館に参画することは初めてのことです。こう書くと不安に思われるかたもあろうかと思いますが、実は、それゆえにこそ、この私たちの三重県立美術館は清新であり、豊かな可能性を秘めていると考えたいのです。

 

 建物の完工のあとに、ここに訪れたある県の美術館長さんは、この美術館が、美術館としてもっとも重要な部分の施設だけで構築されていること、そしてその点に関する限りは現在の最高水準にあることを指摘してくれました。このことは、この美術館が、最近の「開かれた美術館」のあり方として、ときに外部へのおもねりをあらわにしたり、または目新しさを付随的な施設に求めたりしてはいないことを語っています。これは、予算上の問題でそうなったのではなく、この美術館の構想そのものが出発点からもっていた基本的な性格のあらわれである、といってもよいかと思います。それは、この美術館の人的構成にも配慮されていると考えられます。もちろん、閉じた、独りよがりのあり方をとるべきでないことは言うまでもありません。ただ、絶対に欠くべからざるものを強化しての出発、ということです。これは、また当然、今後の活動を規定すると同時に自由さをも保証するだろうと思います。こうした地点にたっている私どもは、ときに先行のあとをたどりながらも、清新さをうしなわずに視覚による社会教育機関としての美術館の活動をすすめたいと考えています。

 

 私は、過去にはこの地とは何の関係もない人間でした。すこしまえに、ある場所で、自分がこの美術館の館員になった経緯にふれ、「これが運命であれば、あえて甘受したい」と述べたことがあります。いま、この美術館の丘のうえにたっても、その思いは変りません。

 

(三重県立美術館長)

三重県立美術館 エントランスホール

エントランスホール

三重県立美術館 エントランスホール2

エントランスホール

ページID:000055376