おわりに
以上記してきたきわめておおまかというもおろかな見取図は、多くの遺漏をふくまずにはいないだろうし、資料上の裏づけを得ているわけでもないとすれば、とまれそのための一つの道しるべとしてのみ、本稿は役立ちうればという以上ではない。 最後に掲げるのは、ある週末、ムルリア氏とともにたちよった郊外の廃村の眺めである(fig.59)。すでに、ロンドンからバレンシアにむかう飛行機の窓から見おろした、赤茶けて堅い大地のひろがりとそこに走る多くのくぼみやひびは強い印象を残さずにはいなかったが、バレンシアの市街地から車で走りだせば、緑によって覆いつくされることが決してない赤みを帯びた地面のつらなりを見やりつつ、文字どおりぬけるような空の下、時たま見出すことができるはずの、やはり赤みを帯びた不揃いな石を積みあげ、しばしば大きなアーチを擁する廃墟の中を歩きまわる機会もあるだろう。そこでは、石でできた家は大地の突端であり、大地は家の地下室なのだ。それはソラーノやマルコ、フアン・ムニョスやイグレシアス、あるいはルビオやビアプラナの作品がもたらす濃密な感覚に通じる点もなくはないかもしれない。 これまでのべてきた20世紀後半のスペインの美術が与える印象を、たとえばここで、そうした景観と、湿潤な日本の気候や風通しを優先した木造家屋と対比することでもっともらしくまとめることもできなくはあるまいが、もとより、乾燥した気候はスペインだけのものではなく、またその中でも北と南では風土はずいぶんことなるという。そもそも環境と文化の関係が単純に割りきれるはずもなく、そこを無理にまとめようとすればたやすく一種の植民地主義に走りかねないことはいうまでもない。 ただ、20世紀後半のスペインの美術の領域での活動がもたらすのと、少なくともおとることのない知覚そして記憶上の経験をあの廃村が与えてくれたことを記して、筆を擱こうと考えたまでだった。 |
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