マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない
4-3.セザンヌからモローへ マティスが「デッサンと色彩を分けることは不可能です」と語ったのと同様、セザンヌはエミール・ベルナールに以下のように語ったという; 「デッサンと色彩は少しも別物ではない。色彩で描くに従ってだんだんとデッサンができる。色彩が調和すればするほどデッサンは正確になる。色彩が豊かさをもてば、形態は充実する。対照(コントラスト)と色調(トン)の関係、そこにデッサンと肉付け(モドゥレ)の秘密がある」(198)。 「線というものはない。肉付け(モドゥレ)もない。ただ対照(コントラスト)があるだけだ。この対照は、対照を生み出す黒と白ではなく、彩られた感覚(サンサシオン)なのだ」(199)。 ことばの上で「ない」とされた線が、即物的な意味での線であるとはかぎるまいが、実際セザンヌの画面には輪郭、それもしばしば途切れ途切れの、あるいはくりかえされる輪郭線が登場する(200)。輪郭と色面が一致しないことも少なくない。それに関係するのかどうか、ベルナールへの手紙では次のように語られる; 「ところで、七十歳に近いほどの高齢になると、光明をもたらすはずの彩られた感覚が逆に茫然自失の状態をひき起こし、画布を絵具で覆うことを許さず、物の接触点が細かくて見定めがたい時には物の境界線をたどることもできません。私の絵が完成されない原因はここにあるのです。 「他方、各プランは互いに重なりあっている。そこで新印象主義は輪郭を一本の黒い線で決めてしまおうとするのだが、これは全力をあげて排除すべき欠陥です」(1905年10月23日づけ)(201)。 「すなわち、オレンジでもリンゴでも球でも顔でも、そこには一つの頂点がある。そしてこの頂点は、光や影や彩られた感覚がおよぼす恐るべき影響にもかかわらず、われわれの眼に最も近い。物の周縁部は水平線上に置かれた一中心に向かって逃げていく」(1904年7月25日づけ)(202)。 ベルナールへの前者の手紙で新印象主義とされるのは、実はクロワゾニスムを指すとのことだが(203)、ともあれ「一本の黒い線」による輪郭に対する批判は、マティスの《生きる喜び》に対する「親指ほどの幅がある線」との、先にふれたシニャックの非難を連想させる。モローの《オイディプスとスフィンクス》に対する批評がその黒い輪郭線を問題にしたことや、レオナルドのいう「黒いプロフィル」も思いだされるところだが、後二者の場合が明暗法への抵触に関わるとして、前二者いずれの場合も、明暗法による再現描写がもはや問題ではなく、また明暗法およびそれと相即する世界の連続性の認識が失効したにせよ、非連続な空間を表象するための手段として、線による分割を容認することはできないというわけだ。あるいは少なくとも、非連続性のあり方が異なっているというべきなのだろうか。 セザンヌの場合、輪郭の反復については、一つに、制作の前提となる局面に重点を置くなら、ベルナール宛ての手紙での発言に則って、対象を把握しようとする視覚の動的なプロセスに応じるという解釈が得られる(204)。もう一つは、成立した画面を焦点にして、輪郭を、形態を閉ざすためのものではなく、むしろ空間を開くもの、あるいは振動させるものと見なす解釈である(205)。この問題を集中的に扱ったのはマシュー・トーマス・シムズの博士論文だが、ここではその序文によって大筋のみ眺めておこう(206); シムズによれば、印象主義における事物の空間への溶解に対処するためセザンヌが採用した立場は、古代の原子論にも通じるような、事物を不連続な基礎単位の組みあわせと見なすものだったという。絵の制作においてそれは、デッサンと色彩ととらえられ、そこから、一八八〇年から九五年にかけての時期、デッサンと色彩を統合したものとして、シオドア・レフのいう<構築的ストローク>が成立する。 しかし原子化されたストロークは同時に、その副産物として未完成の状態を惹起することになった。他方水彩においては、下描きとなる素描と、その上にかけられる彩色という二つの層が分離される。 これら二様の経過を踏まえ、また一八九〇年代における装飾的な平面性へと向かう動向への抵抗として、晩年の油彩においては、水彩同様、デッサンと色彩が不連続に分離されるのだが、それは絵の表面自体に、場としての奥行きを生成させようとするためなのだ。「その結果見る者のまなざしは、描かれたモティーフから作者の視覚的経験をつかみあげるのではなく、そのかわりに、一致することのない、彩られたエッジと線描されたエッジとの間で、解消されることのない振動の内に落ちこむことになる。これは、イメージの一貫性を、表面というものの錯綜した現象学に置き換えることにほかならない」(207)。 他方、視覚の動的なプロセスという解釈にせよ、開と閉が振動する空間なり奥行きの生成という解釈にせよ、裏返せば、主体による対象の把握なり表象が自明なものとしては成立しえない不安定さを物語っているのだろう(208)。アルベルティができるかぎり細くするよう要請した輪郭線にせよ、セザンヌが難じた「一本の黒い線」にせよ、線は、線遠近法/明暗法によって再現される三次元的な奥行きに対しても、「重なりあう」プランによって生成する空間に対しても、再びアルベルティのことばを借りれば「裂け目」として機能しかねない。断続し、反復されるセザンヌの輪郭線は、この裂け目を緩和し、二次元と三次元を調停しようとしているのかもしれない。にもかかわらず、それらが線である以上、いったん開いた裂け目を完全に閉じることはすでにできないのだろう。 さて、マティスがセザンヌから受けた影響の大きさについては自他ともに認めるところだが、後者の画面における具体的な輪郭線のありようが、前者に具体的な形で引き継がれたわけではあるまい。せいぜい、色面のひろがりに対する線の動的な関係といったところだろう。シムズもその論文の末尾で、切り紙絵におけるデッサンと色彩の綜合にふれるに留まる(209)。 セザンヌとモローに関しては、もとよりそこに何ら相互作用はなかったとして、それぞれの作家が線/色の問題にとり組むにあたって重要な役割をはたしたと指摘されているのが、水彩という媒体である。セザンヌの制作における水彩の重要性、油彩に及ぼした影響についてはしばしば述べられるところだ(210)。すでにふれたようにシムズは、さらに具体的に問題を絞り、セザンヌが線と色の不連続性を採用するにあたって、当時の水彩の技法上の特性を踏まえた、自身の水彩の展開が小さからぬ機縁となったと議論している(211)。他方モローの<入墨>に関し喜多崎親はすでに引いたように、「モローのこの傾向は実際には水彩という、線と色彩が乖離した技法によって培われたものであろう」等と記していた。 こうした役割を水彩がはたすにあたっては、まず、その技法上の特質、透明性と流動性が与ったものと考えるのが自然だろう。透明性は、画面の多層性をたやすく顕わにするし、流動性は、輪郭線による色の囲いこみが、少なくとも、つねに侵犯される可能性を感じさせずにいない。これはたとえば、ロダンの水彩などでもよく見てとれる事態だ。 水彩の技法上の特質は、また、油彩に比べれば低位に位置づけられるという、技法間での位階によって裏打ちされることになる。位階の低さはさらに、水彩のあり方を、油彩の完成作以上にそのプレフィグラツィオーンの領域へと、より近づけることだろう。セザンヌの断続し重複する輪郭線は、仕上げられていない画面であればその存在を許される、ペンティメント(経年によって透明化した油彩において下描きが透けて見えるという意味ではなく、素描や下絵における線の引き直しという意味での)としては、何ら不思議なものではあるまい。 もっとも一口に水彩といっても、モローの場合、仕上げの度合いはいろいろだ(212)。グアッシュを多用し、油彩の完成作同様、非常に微細な描きこみをしめすものを一方に(図9)、やはり油彩の<エボーシュ>(図18)同様、少なくとも事後的な目からすれば、きわめて自由なと形容されうるようなものもある。また完成作に属するものでも、ブリヂストン美術館の《化粧》(PLM.385/PLM'98.423)のように、褐色の調子から離脱し、部分的であれ流動的な滲みを活かした作品も見出すことができる。本稿で水彩をあまりとりあげなかったのは、油彩-水彩という序列が記述を無意識のうちに支配していたであろうことをおくなら、一つに<入墨>が、油彩においてより不自然さをもって現われるからだが、これは油彩がより、完成を目指すべきだとの約定に浸されていること、ひいては位階の意識に縛られていることを物語るのだろう。 ところでフリードリッヒ・テヤ・バッハは、「セザンヌの絵は遅い。彼の画面は徐々にのみ、観者に己を顕わしていく。見る者は絵筆をとる手のリズムを、精確に追わなければならない」と述べる(213)。これをボワの、「マティスの画面はとても速く、同時にとても遅い;それは私たちの目のもとで爆薬のように破裂し、その後私たちは、費やせる時間をすべて費やして、画面の散乱の内に迷いこむことになる」という記述と並べてみよう(214)。先に引いた、線と色彩では速度が異なるというデュフィの指摘を思いだすこともできるだろうし、そもそもアール・ローランによれば、デュフィのこうした技法はセザンヌに由来する(215)。また、ドローネーの同時性の理論に対し「カンディンスキーは、明暗のコントラストを軸に据え、同時性ではなく継起性を重視する」という長屋光枝の指摘を引きあいに出すこともできるかもしれない(216)。 いささか惹句めいた画面の<遅さ>という形容は、未来派に結びつけられもする<速さ>の要請とともに(217)、ミニマル・アートにおける時間性なり持続性に対し、モダニズムの絵画や彫刻の瞬時性なり現在性を擁護した、フリードの議論と対置することもできる(218)。フリードのいう瞬時性なり現在性が、時間ないし歴史の中でのそれではなく、超時間的な、あるいは永遠の現在であるとすれば、モダニズム正系と見なされてきたセザンヌなりマティスの画面に<遅さ>という形容をあてるのは、モダニズム以後の視点から、セザンヌなりマティスの豊かさ/亀裂を見出そうとする姿勢に由来するのだろう。それは他方、日常的な時間の流れと一致するのでもあるまい。 ではその上で、モローの<入墨>に対しては、どのような形容を与えることができるだろうか。セザンヌの断続し重複する輪郭線は、その断片性ゆえに、線と色の関係が反発として働くにせよ牽引として働くにせよ、両者のずれを複数回干渉しあうものとする。それらを振動と呼ぶなら、振動はやがて画面全体に波及していき、複数性を擁するかぎりでの画面の統合を完遂することになる。それゆえにセザンヌの輪郭線は積極的な評価の対象になりうるわけだが、モローにおいて線と賦彩は、不干渉のまま、別々の時間に属そうとする傾向が強い。そして二つの隔たり、二つの時間のはざまに、何かへと連動していくことのない、否定的な形での宙吊りの時間が残される。セザンヌにおける細部間のたえざる相互干渉が、線なり色なりが定位しうるさまざまな可能性を宿す点で豊饒さを感じとらせるのに対し、モローの場合、不毛といわないまでも、不活性というべきだろうか。 |
198. P.M.ドラン編、『セザンヌ回想』、高橋幸次・村上博哉訳、淡交社、1995、pp.76-77. |