「エルミタージュ美術館展 イタリア ルネサンス・バロック絵画」への手引き
-ミニ用語解説風に-
〈絵画的malerisch/painterly〉 という形容詞があります(『英国風景画展』でおなじみの〈絵のようなpicturesque〉 とは違うので注意)。ヴェルフリンが『美術史の基礎概念』の中で、バロック様式の特性の一つとしてあげたものです。ヴェルフリンに関してはミニ用語解説を見ていただくとして、たとえば絵画を形容するのに絵画的といっても、ぴんとこないかもしれません。これは、〈絵画的〉の対である〈線的〉 と比べれば、つかみやすいでしょう。線的なものの見方は、対象を独立した存在ととらえ、周囲との境界、すなわち輪郭をはっきり区切ろうとする(その点、〈彫塑性〉 とも結びつく)。これに対し絵画的な視覚では、対象と周囲との境界は連続し、いっさいは色の染みないし斑点として溶けあってしまう。距離をおいてはじめて、ものともの、ものと環境を区別することができるわけです。具体的には、〈線的〉 は文字どおり線をひくことzeichen/drawで、〈絵画的〉 は色を面として塗ることmalen/paintでえられます。けだし〈絵画的〉 との概念は、油彩技法の特性から導きだされたのでしょうが、水墨画などにも適用はできます。また線的・彫塑的/絵画の対は、触覚的/視覚的という対概念とも重なりあうでしょう。
さて、ヴェルフリンは〈絵画的〉 との形容を、バロック様式の特性を表わすため用いましたが、ヨーロッパの近世絵画史をふりかえれば、絵画的様式は、ジョルジオーネ、ティツィアーノなど盛期ルネサンスのヴェネツィア派において確立されたと見なすことができます。今回のエルミタージュ美術館展は、そうしたヴェネツィア派の作品が核になっています。もちろん、概念を具体的な作品にあてはめるには注意が必要です。同じティツィアーノの作品もでも、『若い女の肖像』と『全能者キリスト』では、時期の下る後者の方が筆致も粗く、はるかに絵画性が強くなっています。絵画性は元来、現実の視覚に即するとで、描写のリアリティをえようとしたものですが、時に精神性にも達することが、晩年のティツィアーノを見るとわかるでしょう。また素描でも、動勢に富むティントレットの作品は、,きわめて絵画的です。
ティツィアーノ|若い女の肖像![]() |
ティツィアーノ|全能者キリスト ![]()
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ころで、〈絵画的〉様式は19世紀の印象派まで続きますが、印象派に対ししばしばスケッチにすぎないとの非難が寄せられました。〈絵画性〉 はスケッチとも深い関連があるのですが、スケッチや、今回の展覧会の半数を占める素描をヴェルフリンの弟子ガントナーは、完成作の領域〈フィグラツィオン〉に村し、〈プレフィグラツィオン〉 としてまとめました。絵画性とスケッチ性とのつながりでいえば、未完の段階特有の粗描き的性格が思い浮かびます。しかしここには、きわめて錯綜した問題がひそんでいるのです。素描はイタリア語ではデイゼーニョdisegnoですが、このことばには、今日素描をさすデッサンのみならず、デザイン、さらに構想、計画といった意味がふくまれていました。視覚に即した絵画的様式とはむしろ対極をなす、抽象的な理念の領域に属するわけです。ここでこれらの関係を解きほぐす余裕はありませんし、また概念と個々の作品の関係は、さらに複雑でしょう。ただ、概念を決して絶対視しないだけの注意を怠らなければ、作品に接する際の・閧ェかりとして利用することはできるはずです。
(石崎勝基・学芸員)
友の会だより 34号より、199.11.25