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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 1985 > 作品解説:『ルーベンス展』より 荒屋鋪透 友の会だより 10号、1985・11・15

作品解説:『ルーベンス展』より

 

《城の庭》(部分)


ルーベンス「城の庭」(部分)

「城の庭」(部分)ルーベンス
1635年頃 油彩・板 73×104㎝
アントヴェルペン・市立美術館「ルーベンスハイス」(個人寄託)
 

1629年、スペイン国王フェリーペ四世よりネーデルラント枢密院書記官に任命され、外交使節としてイギリスに派遣されていたルーベンスは、翌年スペインとイギリスとの間の和平交渉に成立し、イギリスではチャールズ一世から騎士に叙せられ、フェリーペ四世よりも騎士の称号を授けられた。

この時期のルーベンスはまさに人生の絶頂にあり、私生活の面でも富裕な組織物商人ダニエル・フールマンの娘エレーヌと再婚するなど、幸福な日々を送っていた。{城の庭」が制作されたと思われる1635年、ルーベンスはエレヴェイトのステーンの城と荘園を別荘として購入し、妻エレーヌと過ごした。作品の背景に見える城館をステーン城とするならば、左手に立つ男女こそルーベンスとエレーヌであろうか。

いずれにせよ、矢張り1635年頃に制作された『愛の園』(プラド美術館所蔵)に代表される、城館を背景にした庭園での優雅な男女の戯れの図は、アントワーヌ・ヴァトヘ(1684-1721)に始まる18世紀フランスの「雅びな宴」fete galante という風俗画を既に予告していている。ヴァトーはフランドルの古い町フランス領ヴァランシェンヌで生まれており、北方絵画とりわけルーベンスの影響ら強く受けた画家である。

ルーベンスの「城の庭」では、画面中央に四組の男女が戯れ、右手に三人の娘を追う青年、右下に弦楽器を抱えた女性が描かれている。ここに繰り広げられる世界は、全て内緒の出来事であるが、ロココの「雅宴画」に潜む翳りのある懶い悦楽からはまだ距離を保っているといえよう。

 

《ロザリオを持つ貴婦人の肖像》


ルーベンス「ロザリオを持つ貴婦人の肖像」

「ロザリオを持つ貴婦人の肖像」
ルーベンス 1610-12年頃
油彩・板 107×76cm
スイス・ルガーノ・ティッセン=ボルネミスツァ財団

固く糊付けした嬖衿・ラフをつけ、精緻なレースのキャップを被るこの婦人の衣裳が、有名な「忍冬(すいかずら)の木陰のルーベンスとイサベラ」(ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク所蔵)のイザベラの服装に酷似している点、また本作品が1853年にブリュッセルのファン・パレイス家の売り立てに出た際に「イサベラ・ブランドの肖像」とされていたころから、モデルはルーベンスの最初の妻、17年間、画家の良き伴侶であったイサベラ・ブランドとする見方が一般的であった。しかし近年、ルーベンス研究家D、ボダールは、競売をしたパレイス家の祖先フィリップス・ファン・パレイスも母親の肖像ではないかと推定している。モデルの特定はともかく、衣裳の緻密な描写は北方画家としてのルーベンスの技巧の確かさを証明している。

 

(荒屋鋪 透・学芸員) 友の会だより 10号、1985.11.15

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