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美術館 > 展覧会のご案内 > 企画展 > 2021 > 「美術にアクセス!」展 作品解説(長)

「美術にアクセス!」展 長い解説文

このページにはコレクション展「美術にアクセス!――多感覚鑑賞のすすめ」展の一部の出品作品の解説(展示室には掲出していない長い解説文)を掲載しています。随時更新します。


バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《アレクサンドリアの聖カタリナ》
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682年)は17世紀にスペインの商都セビーリャで活躍した画家で、彼の手掛けた優美な聖母像や聖女像は大変な人気を博した。殉教聖女を扱った本作もその一例である。
伝承によれば、カタリナはアレクサンドリア出身の王女で、自身の持つキリスト教への篤い信仰心のため、ローマ皇帝によって処刑された。処刑では車裂きの刑を宣告されたが、カタリナの祈りにより奇跡的に車輪が破壊されたため、最終的に斬首されたという。画面下部に描かれた車輪と剣はこのエピソードに由来する。
画面右上の天使が抱える棕櫚の枝は殉教者の栄誉のしるしである。対抗宗教改革期、命を賭して信仰を貫いた殉教聖人、聖女の英雄的な姿は一般信徒たちの信仰心を高揚させるために用いられた。本作のカタリナも、ひざまずき、手を広げて天を仰ぐ、やや大仰なポーズをとり、殉教に臨む悲劇のヒロインとして描かれている。また、強烈な明暗の対比によってドラマティックに演出された画面は見る者の胸を打ち、敬虔な信仰心を呼び起こすのである。
(坂本龍太)
 
佐伯祐三《サンタンヌ教会》  
曲がりくねった道の左右に、白い壁の建物が立ち並ぶ。画面の奥にそびえるのは大きなドームを冠する教会。教会の周囲には人影も見える。季節は冬だろう。どんよりとした空には雲が垂れ込め、建物の煙突からは煙がたなびいている。白から青みがかった黒への統一感のある諧調のなかで目を引くのは、わずかに用いられたレンガ色。絵画表面には絵具を勢いよく削りとったあとや、投げつけられた絵具の塊等、作者の格闘の痕跡も残る。
描かれた「サンタンヌ教会」はフランス・パリ13区のビュット=オ=カイユ地区に建つ教会。本作は、教会を後陣の方から捉えており、手前から奥に向かう道がミシャル通り、教会の手前でミシャル通りと丁字路を構成するのがマルタン・ベルナール通りである。ドームの傍らに見えるのは、教会正面の扉口左右に建つ2本の塔。現地で撮影された写真と比較すれば、絵画化にあたり、実はまっすぐのミシャル通りがジグザグに歪み、教会の小さなドームが空を覆う大きさにまで膨らんでいることが分かる。
作者の佐伯祐三は、1923年に東京美術学校を卒業した後、ヨーロッパに向けて出港。19241月にフランスの地を踏んだ。1926年にはいったん帰国し、翌年再渡仏を果たしている。本作が描かれた1928年、佐伯は精力的にパリの街並みを描いていたが、悪天候下の戸外制作が引き金となり体調が悪化。同年8月にパリ近郊の病院で30歳の生涯を閉じた。
(鈴村麻里子)
 
中澤弘光《絵葉書「美人と感覚」》1905年
 本作は1905年に発行された6枚組みの絵葉書セット。タトウに葉書6枚、岡田三面子による絵にちなむ川柳を記したカード、「寸美会日本木版美術絵葉書に就て」という説明書1枚を包む。タトウ裏の説明書きによると、葉書6枚の題名は「睡 舞子」、「嗅 女学生」、「聴 巫女」、「触 娘」、「視 芸鼓」、「味 令嬢」で、それぞれ扇を手に眠る舞妓、百合の花を嗅ぐ女学生、鹿の声を聴く巫女、ほおずきを手にする娘、歌舞伎を観る芸鼓、枇杷の実を味わう令嬢が描かれる。女学生の庇髪とよばれる髪型や、令嬢の矢絣の着物など、細やかに当時の女性の風俗をうつしつつ、五感を表す日常の一こまを象徴的に描くことで、目に見えない感覚を巧みに表現している。
 原画を手がけた中澤弘光は東京生まれの洋画家。曾山幸彦、堀江正章、黒田清輝に師事し、黒田が率いる洋画家団体白馬会に早くから参加した。この時期には白馬会の中堅画家と目され、新聞挿画や装丁など、出版の仕事でも高い評価を得ていた。
 この時期の白馬会では、フランスのポスターが展覧会にたびたび参考出品され、長原孝太郎、藤島武二らが雑誌挿画や装丁に積極的に取り組むなど、デザインの仕事への関心が高まりを見せていた。特に影響が大きかったのはフランスで流行のアール・ヌーヴォーやチェコ人画家ミュシャの作品で、太い縁取り線やうねるような曲線、横向きの女性像は、この時期白馬会周辺画家たちの間で一種流行を見せたものである。中澤は自ら西洋雑誌を収集してデザインの研究に励んでおり、本作においても流行の様式を採り入れ、同時代風俗の日本女性を描いている。
 本作は寸美会が日本の優れた木版の技術を保存し、世界へこれを知らしめること、名家の絵画を高い技術で印刷し、美術の雅趣を普及させることを目的に発行していた「日本木版美術絵葉書」シリーズのうちの一つ。同封の案内には藤島武二画の絵葉書セット「美人と音曲」の紹介もあり、本作はこれに続いて制作されたのだろう。本作は金銀を含む鮮やかな色が狂いなく刷られており、「美術絵葉書」の名にふさわしい高い木版技術を見ることができる。
(髙曽由子)

橋本平八《弱法師》 
この木彫作品は、能の演目『弱法師(よろぼし/よろぼうし)』の登場人物・俊徳丸を表したもの。能舞台では黒頭(くろがしら)というかつらと専用の面を着けて演じられる。
河内の国の高安通俊は、四天王寺で施行(せぎょう)を行った時、かつて手放した息子と知らずに俊徳丸と再会する。梅の花の香りに春を感じた俊徳丸に花びらが散りかかると、俊徳丸と通俊は、花びらもまた仏の慈悲による施行であると意気投合。視覚を介さずとも父子の魂は自然と距離を縮めていく。当館所蔵の作品はどの場面を表しているか判然としないが、俊徳丸は右手に細い杖を持ち、左手を高く掲げている。
作者・橋本平八は、現在の伊勢市朝熊町出身の彫刻家。当館では開館当初から平八作品の調査や収集を積極的に進めてきた。仏教や神秘思想に関心を寄せた作家は、数々の作品制作において、像主の持つ深い精神性の可視化に挑んでいる。
(鈴村麻里子)
 
オディロン・ルドン《版画集『ヨハネ黙示録』より「御使、香炉を手に持って、(4)」》
『ヨハネ黙示録』はさまざまな書から構成される新約聖書の最後に位置し、世界の終わりを暗示する預言的性格を持つ。黙示録は全22章の構成だが、本作はそのうちの第8章の記述に基づいて描かれたもの。
第8章では、7人の御使(天使)が現れた後、別の天使が1人、金色の香炉を持って登場する。香料を加熱して香りを拡散する香炉は、古くからさまざまな宗教儀礼等で使用されてきた。天使は信徒の祈りに香りを加えるために、香炉を手にして金色の祭壇の前に立つ。その後、祭壇の火を満たした香炉を天使が投げつけると、雷鳴がとどろいて大地が揺れ、場面は大きく転換する。
この作品に描かれているのは、天使が香炉を手に取り、祭壇の火を満たす直前の場面。天使の穏やかな表情や安定感のある構図、白い背景に黒の線描を基調とした清澄な画面は、嵐の前に訪れた一瞬の静けさを表しているかのようだ。天使は右手に鎖の付いた香炉を持ち、香炉からは画面の左3分の1を覆うほどの煙がもうもうと立ち込めている。ぜひ辺り一面に広がる芳香を想像してみてほしい。
オディロン・ルドンは1840年にフランスのボルドーに生まれ、1890年頃まで専ら木炭や版画による黒の表現の豊かさを希求した画家。1890年前後からパステルや油絵具を積極的に用いるようになり、華やかな色彩世界を開花させた。版画集『ヨハネ黙示録』は、画家の黒の時代が終わりを迎え、色彩の時代へと移行する過渡期に制作された作品。県立美術館では、この連作版画のすべて(全12点、表紙も含めると13点)を収蔵しているが、今回の展覧会では本作と、燃えさかる大きな星「にがよもぎ」が空から落ちる場面を描いたもう1点を「嗅覚と味覚」のセクションに展示する。
(鈴村麻里子)

川村清雄《梅と椿の静物》 
タイトルには梅と椿という二種の花の名が挙げられているが、画中に描かれるのは四種の花。花器に見立てられた釣瓶(つるべ)には、桜、梅、桃の枝が生けられ、釣瓶の右手には椿の枝が添えられている。
描かれた春の花は開花時期が少しずつ異なるため、満開の枝を集めるのは現実性を欠く試みかもしれない。しかし実際それが叶うなら、見栄えだけでなく香りの競演も見事であろうと想像できる。
本作は掛軸と見紛う縦長の判型であるが、実は絹地に描かれた油彩画。日本画を思わせる金地の背景から、油彩ならではの立体的かつ迫真的表現の花々が浮かび上がる。画面左下の小筥は白い台からはみ出し、西洋の静物画にしばしば見られる、トロンプ=ルイユ(だまし絵)さながらの描写になっている点も興味深い。
作者・川村清雄は、幕末の江戸に生まれ、日本における油彩画普及の最初期に渡米、渡欧して絵画を学び、帰国後、和洋を折衷させ独自の画風を確立した画家。本作でも日本の伝統的な素材、モチーフを使い、西洋で習得した油彩画技術を駆使するという川村らしい趣向が凝らされている。
(鈴村麻里子)
 
ウィリアム・ブレイク《『ヨブ記』より「第6図:腫物でヨブを撃つサタン」》
旧約聖書を構成する一書『ヨブ記』において、徳の高い義人ヨブは、彼の信仰の動機を疑うサタン(悪魔)によりさまざまな試練を与えられる。はじめは家畜や使用人を奪われ、ついには家族まで失う。それでもヨブは信仰を捨てず、神を呪う言葉を発しない。困難に屈しないヨブに、サタンは頭のてっぺんから足の裏まで腫物(できもの)で悩ますという新たな試練を与える。イギリスの画家ウィリアム・ブレイクが制作した本作では、サタンが勝ち誇ったように腕を振り上げ、横たわるヨブを踏みつけている。サタンが左手に持つ壺からは、何やら棘のような液体とも固体ともつかぬものが垂れ下がる。ブレイクが同じ主題を描いたテンペラ画もテート・ブリテンに所蔵されているが、同作においてサタンは蝙蝠のような翼を広げ、壺の中身をヨブの顔面に勢いよく浴びせている。
ヨブはこの過酷な仕打ちにも耐え信仰を貫くが、描かれたヨブの身体はこわばって大きくのけぞり、苦しみもだえる様子を隠さず物語っている。エングレーヴィングによる細緻な表現は本作の見どころの一つだが、それによって痛ましさも強調され、思わず目を逸らしたくなるほど。絶望した彼の妻は、ヨブの足元で顔を覆い、深くうなだれている。
ヨブは腫物で覆われた全身を、陶器の破片でかきむしったという。作品の枠外には、引用文とともに欠けた陶器が描かれている。
(鈴村麻里子)

最終更新:2021年7月27日
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