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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 2017 > 表紙の作品解説 石元泰博《桂離宮 新御殿外観南面部分》 友の会だより105号 2017.12

 

表紙の作品解説 石元泰博《桂離宮 新御殿外観南面部分》

 速水 豊(三重県立美術館館長)

 石元泰博(1921-2012)は日系移民の子としてサンフランシスコに生まれました。幼少時から高校卒業まで父の故郷である高知で過ごしますが、再びアメリカに戻り、先鋭的な美術学校、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称、ニュー・バウハウス)で写真を学びます。
 第2次大戦後、 1953年に日本に帰った石元は、ニュー・バウハウス仕込みのシャープな造形感覚を持つ写真家として若い前衛的な芸術家たちの注目を集めます。同じ頃に来日したニューヨーク近代美術館の学芸員アーサー・ドレクスラーの視察に同行し、石元は初めて京都の桂離宮を訪れます。
 その後、京都に滞在して本格的な撮影を行い、 1960年、写真集『桂―日本建築における伝統と創造』を、建築家の丹下健三、バウハウスの校長を務めた建築の巨匠グロピウスとの共著として出版します。桂離宮という古建築と庭園を、近代的な鋭い感覚で捉えた石元の写真は高く評価され、桂離宮のシリーズは彼の代表作となりました。
 時代の先端をゆくモダニストあるいは前衛的な芸術家が、日本の伝統的な芸術に注目するということ――この一見奇妙な現象は、実は戦前からありました。そして、石元の「桂」は、この興味深い系譜のひとつの到達点と考えられます。 「モダニストの日本美―石元泰博「桂」の系譜」という展覧会では、三岸好太郎、ブルーノ・タウト、長谷川三郎らの関連作品や資料によってこの系譜をたどるとともに、石元の桂離宮シリーズ50点を公開します。


(友の会だより105号、2017年12月15日発行)

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