美術館のコレクション(2017年度常設展示第2期)作品リスト
2017年6月27日(火)-9月24日(日)
常設展示室へようこそ
これから続く3 つの部屋では、当館の所蔵作品(=コレクション)をご紹介しています。「常設展示室」という名前ではありますが、ここには常に同じ作品が同じ配列で展示されているわけではありません。当館の場合は3 か月に1 度、常設展示室の展示替を行っています。作品保護の観点から設けられる展示期間の制限も理由のひとつですが、それ以上に、6,000 点以上の所蔵作品を、多角的な視点から幅広く紹介したいから、という動機が大きく作用しています。
1982(昭和57)年に開館し、今年で35 周年を迎える当館のコレクション収集方針は以下の4 つです。
1)江戸時代以降の作品で三重県出身ないし三重にゆかりの深い作家の作品
2)明治時代以降の近代洋画の流れをたどれる作品、また日本の近代美術に深い影響を与えた外国の作品
3)作家の創作活動の背景を知ることのできる素描、下絵、水彩画等
4)スペイン美術 *三重県とスペイン・バレンシア州の友好提携締結を機に1992(平成4)年に追加
開館前から35 年以上かけて集められたコレクションは、ただ収蔵庫の奥深くに溜め置かれるのではなく、適切な環境で管理され、常設展示室に展示され、館外の展覧会に出品されてあらゆる人の目に触れています。コレクションが研究者の調査対象となることもあれば、作品画像が書籍や映像のなかで利用されることもあります。状態に不安を抱える作品には適切な処置が施されます。
コレクション形成とともに美術館の性格も形作られてきました。そして、コレクションに作品や人が呼び寄せられ、その結果コレクションはさらに充実し、美術館活動の実績も着実に積み重ねられてきました。2-3 か月に1 本のサイクルで開催している企画展示とコレクションにも密接な関わりがあります。コレクションに想を得て企画展が計画されることもあれば、展覧会開催を機に、出品作品がコレクションに新たな仲間入りを
果たすこともあります。
もちろん、場所や予算の不足等、作品収集が直面する問題も少なくありませんが、コレクションや、それに基づく美術館活動のさらなる充実を目指し、よりよい未来に向けて、当館も少しずつ歩を進めています。
2017 年6 月27 日-9 月24 日の3 か月間、常設展示室最初の部屋(第1 室)では、日本・西洋(スペイン、フランス)美術の名品を、つづく第2 室では「テオ・ヤンセン展」開催にちなみ、複数の肩書を持つ多芸多才な美術家らの作品をご紹介しています。最後の第3 室では、京都の近代美術(洋画、工芸、日本画)を展観します。作品との印象的な「出会い」が、ここ常設展示室内で生まれますように。
第1室:コレクション名品選
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 | 寄贈 |
---|---|---|---|---|---|---|
作者不詳 | 聖ロクス | 17C | 油彩・キャンバス | 175.0×107.0 | 有川一三氏寄贈 | |
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ | 1617-1682 | アレクサンドリアの聖カタリナ | c. 1645-50 | 油彩・キャンバス | 165.0×110.0 | |
鹿子木孟郎 | 1874-1941 | 狐のショールをまとえる婦人 | 1902 | 油彩・キャンバス | 72.2×53.0 | |
満谷国四郎 | 1874-1936 | 裸婦 | 1900 | 油彩・キャンバス | 80.3×65.2 | |
安井曾太郎 | 1888-1955 | 裸婦 | 1910 | 油彩・キャンバス | 60.6×50.0 | |
クロード・モネ | 1840-1926 | 橋からみたアルジャントゥイユの泊地 | 1874 | 油彩・キャンバス | 62.0×81.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
ピエール・ボナール | 1867-1947 | ヴェルノンのセーヌ川 | 1912 | 油彩・キャンバス | 34.3×55.8 | 三井貞三氏寄贈 |
ラウル・デュフィ | 1877-1953 | 黒い貨物船と虹 | c. 1949 | 油彩・キャンバス | 38.0×46.1 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
木村忠太 | 1917-1987 | 六月 | 1983 | 油彩・キャンバス | 130.0×162.0 | 木村幸子氏寄贈 |
ラウル・デュフィ | 1877-1953 | 裸婦立像 | 1928 | 油彩・キャンバス | 個人蔵 | |
ジョルジュ・ブラック | 1882-1963 | 葉・色彩・光 | 1953 | リトグラフ・紙 | 97.5×60.0 | |
パブロ・ピカソ | 1881-1973 | ふたつの裸体 | 1909 | ドライポイント・紙 | 13.0×11.0 | |
オシップ・ザッキン | 1890-1967 | 雲への挨拶 | 1956 | 水彩、油彩・紙 | 58.5×43.0 | 第三銀行寄贈 |
マルク・シャガール | 1887-1985 | 『サーカス』より | 1967 | リトグラフ・紙 | 42.0×32.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
小出楢重 | 1887-1931 | パリ・ソンムラールの宿 | 1922 | 油彩・板 | 51.5×44.5 | |
荻須高徳 | 1901-1986 | 街角(グルネル) | 1929-30 | 油彩・キャンバス | 73.2×59.9 | 東畑建築事務所寄贈 |
佐伯祐三 | 1898-1928 | サンタンヌ教会 | 1928 | 油彩・キャンバス | 72.5×59.7 | |
前田寛治 | 1896-1930 | 風景 | 1924 | 油彩・キャンバス | 50.0×72.8 | |
古賀春江 | 1895-1933 | 煙火 | 1927 | 油彩・キャンバス | 90.9×60.6 | |
オディロン・ルドン | 1840-1916 | アレゴリー―太陽によって染められたのではない赤い木 | 1905 | 油彩・キャンバス | 46.0×35.5 | |
サルバドール・ダリ | 1904-1989 | パッラーディオのタリア柱廊 | 1938-38 | 油彩・キャンバス | 116.0×88.5 | |
ジョアン・ミロ | 1893-1983 | 女と鳥 | 1968 | 油彩・キャンバス | 99.8×64.7 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
ホセ・マリア・シシリア | 1954- | 衝立 小さな花々 Ⅴ | 1998 | 板に油彩、蝋、紙 | 212.0×122.0 | |
ホセ・マリア・シシリア | 1954- | 衝立 小さな花々 Ⅳ | 1998 | 板に油彩、蝋、紙 | 212.0×124.0 | |
オーギュスト・ロダン | 1840-1917 | 化粧するヴィーナス | ブロンズ | 47.0×21.0×21.0 | 個人蔵 | |
アリスティド・マイヨール | 1861-1944 | 歩むマリー | ブロンズ | 個人蔵 |
第2室:美術家にして○○――多芸多才な美術家たち
7 月15 日(土)から1F 企画展示室にて開催される「テオ・ヤンセン展」にあわせて、美術館のコレクション(常設展)第2 室では、「美術家にして〇〇」をテーマに展示を行います。オランダに生まれたテオ・ヤンセンは、はじめデルフト工科大学で物理学を学び、後にアーティストに転向しました。ヤンセンが生み出した「ストランドビースト」の特異なうごめきから受ける衝撃も、作家がかつて物理学を学んだというバックグラウンドを知ることで、「なるほど」という納得に変わり、腑に落ちる方が多いのではないでしょうか。
当館の所蔵作品の作り手を見渡してみれば、画家や彫刻家等、いわゆる造形芸術の領域における「美術家」にはあてはまらない肩書をあわせ持つ作家や、同時並行の「兼業」ではないにせよ、興味深い経歴を持つ作家を見出すことができます。今回の展示では、美術以外の分野においても、余技や趣味の範疇を超える活躍を見せた作家の作品を中心にご紹介します。
複数の肩書の関係性は複雑です。例えば、音楽家でもあった作家の美術作品からは「音楽家らしさ」や「音楽性」が視覚的に感じられるでしょうか?ジョルジュ・ルオーの作品に特徴的な黒く太い輪郭の由来を、ステンドグラス職人の徒弟という経歴に帰してしまうことが、本当にできるのでしょうか?時には作家が自ら影響関係を語る場合もありますが、肩書や経歴が与える美術作品への造形的影響を明確にするのは容易なことではありません。
それでも、個人差こそあれ、さまざまな肩書を持つ一人の人間から生み出された作品は、その作家の人となりや個性が否応なく発現しているという考え方もできるでしょう。また、「二足のわらじ」が思わぬ相乗効果をもたらす場合もあれば、作家自身は表現媒体の差異を自覚していなかったのではないか、と思わせるケースもあります。ウィリアム・ブレイクのように、文字と絵画の分かちがたく一体化した独自世界を追求した作家もいました。
画家や彫刻家といった肩書は、端的に人を表す際に不可欠な用語ではありますが、人間を型にはめ、便宜的に分類するために作られたラベルに過ぎません。画家であり、詩人である前に、作品の作り手が、時代や社会、さまざまな個人的経験を背景に持つ一人の人間であったことにも思いを馳せながら、改めて彼らから生み出された表現に目を向けていただければ幸いです。
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 | 寄贈 |
---|---|---|---|---|---|---|
ウィリアム・ブレイク | 1758-1827 | 第3図: サタンによるヨブの息子たちと娘達の破滅 『ヨブ記』1:18-19 | 1825年 | エッチング・紙 | 21.5×16.8 | |
ウィリアム・ブレイク | 1758-1827 | 第6図: 腫物でヨブを撃つサタン 『ヨブ記』2:9-12 | 1825年 | エッチング・紙 | 21.5×16.8 | |
ウィリアム・ブレイク | 1758-1827 | 第12図:エリフの弁論 『ヨブ記』32ー37 | 1825年 | エッチング・紙 | 21.5×16.8 | |
ウィリアム・ブレイク | 1758-1827 | 第16図: サタンの墜落 『ヨブ記』36:17, 42:1-7 | 1825年 | エッチング・紙 | 21.5×16.8 | |
ジョルジュ・ルオー | 1871-1958 | キリスト磔刑 | 1939年頃 | 油彩・紙(キャンバスに貼付) | 62.7×47.1 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
モーリス・ド・ヴラマンク | 1876-1958 | 風景 | 1930年頃 | 油彩・キャンバス | 54.0×52.0 | 個人蔵 |
E・L・キルヒナー | 1880-1938 | 三婦人 | 1907年 | 木版・紙 | 36.5×33.8 | |
E・L・キルヒナー | 1880-1938 | フェルトマインの灯台 | 1912年 | 鉛筆・紙 | 33.7×43.4 | |
E・L・キルヒナー | 1880-1938 | ダヴォス近郊の小屋 | 不詳 | クレヨン・紙 | 25.7×34.3 | |
村山槐多 | 1896-1919 | 自画像 | 1916(大正5)年 | 油彩・キャンバス | 60.5×50.0 | |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩『どうぞ裸になってください』 | 1917(大正6)年 | インク・紙 | 16.7×20.9 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩(桜の花が咲いた…) | 1918(大正7)年 | インク・紙 | 17.0×20.9 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩(自ら私は腕を見、…) | 1918(大正7)年 | 鉛筆・紙 | 16.6×21.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩『わが命に』 | 1918(大正7)年 | 鉛筆・紙 | 17.0×20.9 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩(ほんとの事はただ一つ…) | 1918(大正7)年 | インク・紙 | 16.7×20.9 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
村山槐多 | 1896-1919 | 詩『死の遊び』 | 1919(大正8)年 | インク・紙 | 16.8×21.2 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
石井鶴三 | 1887-1973 | 村山槐多デスマスク | 1919(大正8)年 | ブロンズ | 27.0×20.0×12.0 | |
中村不折 | 1866-1943 | 裸婦立像 | 1903(明治36)年 | 油彩・キャンバス | 78.0×44.5 | |
長谷川利行 | 1891-1940 | 裸婦 | 不詳 | 水彩・紙 | 33.4×24.8 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
中川一政 | 1893-1991 | 目黒風景 | 1923(大正12)年 | 油彩・キャンバス | 45.5×53.0 | |
木村荘八 | 1893-1958 | 戯画ダンスホール | 1930(昭和5)年 | 油彩・キャンバス | 73.0×91.0 | 中谷泰氏寄贈 |
木村荘八 | 1893-1958 | 日没 | 1949(昭和24)年 | 油彩・キャンバス | 33.2×45.0 | 中谷泰氏寄贈 |
須田國太郎 | 1891-1961 | 信楽 | 1935(昭和10)年 | 油彩・キャンバス | 72.6×119.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | 『クロマトポイエマ』より | 1972(昭和47)年 | シルクスクリーン・紙 | 75.0×55.0 |
■展示資料
編著者名等 | 書名 | 刊行年 | 出版社 | その他 |
---|---|---|---|---|
村山槐多著、山崎省三編、山本鼎序 | 槐多の歌へる | 1920(大正9)年 | アルス | |
村山槐多著、山崎省三編、山本鼎序 | 槐多の歌へる | 1927(昭和2)年 | アルス | 装幀:恩地孝四郎 |
長谷川利行著、矢野文夫編 | 夜の詩 長谷川利行とその芸術 | 1941(昭和16)年 | 邦画荘 | |
木村荘八著 | 宗教改革期之画家 デューラー | 1920(大正9)年 | 洛陽堂 | |
木村荘八著 | 現代風俗帖 | 1952(昭和27)年 | 東峰書房 | 陰里鉄郎氏寄贈 |
木村荘八著 | 近代挿絵考 | 1943(昭和18)年 | 双雅房 | 陰里鉄郎氏寄贈 |
中川一政著 | 現代叢書27 美術の眺め | 1942(昭和17)年 | 三笠書房 | カバー絵:鈴木信太郎 |
ウィリアム・ブレイク著、柳宗悦訳 | ブレークの言葉 | 1921(大正10)年 | 叢文閣 |
第3室:京都の近代美術
関西美術院に関わりの深い洋画家や、京都画壇の日本画家など、近代京都のアートシーンで活躍した作家の作品をご紹介します。
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 技法・素材 | 寸法 | 寄贈 |
---|---|---|---|---|---|---|
浅井忠 | 1856-1907 | 小丹波村 | 1893(明治26)年 | 油彩・キャンバス | 27.0×39.0 | |
鹿子木孟郎 | 1874-1941 | 京洛落葉 | 1904(明治37)年 | 油彩・キャンバス | 60.4×75.5 | |
榊原一廣 | 1883-1941 | 香良洲浜 | 1906(明治39)年 | 水彩・紙 | 32.1×49.1 | 榊原一彦氏寄贈 |
榊原一廣 | 1883-1941 | 大台原山 | 1911(明治44)年 | 水彩・紙 | 34.7×25.8 | 榊原一彦氏寄贈 |
安井曾太郎 | 1888-1955 | 人物 | 1905(明治38)年 | 木炭・紙 | 61.5×47.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
浅井忠 | 1856-1907 | 大原女 | 不詳 | 絹本着色(軸装) | 111.0×41.5 | 寺岡富士氏寄贈 |
新井謹也 | 1884-1966 | 白釉草花模様燭台 | 大正期 | 陶器 | H5.0×W14.5×D14.5 | |
新井謹也 | 1884-1966 | 呉須染付燭台 | 大正期 | 陶器 | H5.0×W14.5×D14.5 | |
新井謹也 | 1884-1966 | 緑耀釉燭立 | 大正期 | 陶器 | H5.0×W14.5×D14.5 | |
新井謹也 | 1884-1966 | 呉須絵草花文花瓶 | 1935(昭和10)年 | 磁器 | H18.4, T.D10.0, M.D18.3 | 奥村東治氏寄贈 |
楠部彌弌 | 1897-1984 | 染付珈琲揃 6客 | 不詳 | 磁器 | カップ:H6.0, T.D7.2 皿:H2.9, T.D11.5 砂糖入:H9.5, M.D11.0 |
服部友氏寄贈 |
菊地芳文 | 1862-1918 | 慈鳥(鴉) | 不詳 | 紙本墨画(軸装) | 133.0×62.5 | 寺岡富士氏寄贈 |
菊地芳文 | 1862-1918 | 稚竹図 | 不詳 | 絹本着色(軸装) | 129.0×50.5 | 寺岡富士氏寄贈 |
竹内栖鳳 | 1864-1942 | 山村之春 | 不詳 | 絹本着色(軸装) | 96.8×35.7 | 寺岡富士氏寄贈 |
竹内栖鳳 | 1864-1942 | 雨霽図 | 不詳 | 絹本着色(軸装) | 129.0×50.5 | 寺岡富士氏寄贈 |
山元春挙 | 1871-1933 | 山村暮雪 | 不詳 | 紙本墨画淡彩(軸装) | 79.0×35.8 | 寺岡富士氏寄贈 |
木島櫻谷 | 1877-1939 | 暮雨 | 不詳 | 紙本墨画(軸装) | 132.0×31.0 | 寺岡富士氏寄贈 |
木島櫻谷 | 1877-1939 | 幽篁老狸図 | 不詳 | 絹本墨画(軸装) | 117.8×41.9 | 東倉紀子氏寄贈 |
入江波光 | 1887-1948 | 五月の海 | 1935(昭和10)年 | 紙本淡彩(軸装) | 42.0×60.0 | |
堂本印象 | 1891-1975 | 薫風晴そう | 不詳 | 絹本着色(軸装) | 140.0×42.5 | 寺岡富士氏寄贈 |
宇田荻邨 | 1896-1980 | 祇園新橋 | 1919(大正8)年 | 絹本着色(額装) | 119.0×86.5 | 川合東皐氏寄贈 |
宇田荻邨 | 1896-1980 | 木陰 | 1922(大正11)年 | 絹本着色(二曲一隻屏風) | 138.0×140.0 | |
宇田荻邨 | 1896-1980 | 巨椋の池 | 1924(大正13)年 | 絹本着色(二曲一隻屏風) | 194.0×165.0 | (公財)岡田文化財団寄贈 |
宇田荻邨 | 1896-1980 | 山村 | 1925(大正14)年 | 絹本着色(二曲一隻屏風) | 196.0×173.0 | |
宇田荻邨 | 1896-1980 | 竹生島 | 1932(昭和7)年 | 絹本着色(二曲一隻屏風) | 165.0×180.2 | (公財)岡田文化財団寄贈 |