美術館のコレクション(2016年度常設展示第4期)出品作品リスト
2017年1月4日(水)-3月26日(日)
第1室:―野ゆき山ゆき海辺ゆき―
第1室では、日本の洋画や西洋絵画などから、「山」と「海」を描いた作品を選び展示しました。タイトルの「野ゆき山ゆき海辺ゆき」という言葉は、佐藤春夫の「少年の日」と題する詩に由来します。
野ゆき山ゆき海邊ゆき / 眞ひるの丘べ花を敷き / つぶら瞳の君ゆゑに / うれひは靑し空よりも
―佐藤春夫「少年の日」(『殉情詩集』〈1921年(大正10年)〉所収)
和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身の佐藤は、大学入学までの時期を同市で過ごします。晩年(1958年)に発表した自伝『わんぱく時代』では、深い山と美しい海に囲まれた多感な少年時代を瑞々しい筆致で綴っています。引用した詩の冒頭では、自然の美しさと、少女への淡い恋心が見事に溶け合っています。それは佐藤の追想の中で、新宮の景色が生き生きとよみがえる様であるとも言えるでしょう。
展示室に並んだ作品を見渡した時、同じ海や山を主題にしても、画家によって表し方が異なることに気が付かれることでしょう。山本鼎や鳥海青児が描く海は、波がうねり、荒々しさに溢れています。対して、黒田清輝や小川詮雄が残した海は、穏やかに降り注ぐ光を反射しています。一方、山といえばやはり名峰富士、ということで、和田英作はその見事な姿を謙虚に受け止め、浅井忠や須田國太郎の筆がとらえた地方の山々の素朴な姿には、画家の温かいまなざしを感じることが出来ます。
様々な描き手による様々な山や海。そこには、その景色を見つめた人と景色との距離感が現れているかのようです。私達が描かれた風景を見る時、山や海の姿の美しさを鑑賞するだけでなく、それを描いた人の、その時の内面の動きまでも味わうことになるのです。
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 | 寄贈者 |
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藤島武二 | 1867-1943 | 浜辺 | 1898(明治31)年 | 油彩・板 | 23.5×32.5 | |
小川詮雄 | 1894-1944 | 漁村の夏 | 1914(大正3)年 | 油彩・キャンバス | 41.0×60.3 | |
鈴木金平 | 1896-1978 | 港 | 1917(大正6)年頃 | 油彩・キャンバス | 32.0×41.4 | 鈴木男浪氏寄贈 |
藤島武二 | 1867-1943 | 海(日の出) | 1931(昭和6)年 | 油彩・キャンバス | 33.4×45.8 | |
藤島武二 | 1867-1943 | 大王岬に打ち寄せる怒濤 | 1932(昭和7)年 | 油彩・キャンバス | 73.3×100 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
山本森之助 | 1877-1928 | 朝の海(蒲郡) | 1932年頃 | 油彩・キャンバス | 31.8×41.0 | 寄託品 |
牛島憲之 | 1900-1997 | 貝焼場 | 1935(昭和10)年 | 油彩・キャンバス | 152×182 | |
鳥海青児 | 1902-1972 | 紀南風景 | 1936(昭和11)年 | 油彩・キャンバス | 97.0×146 | |
北川民次 | 1894-1989 | 海への道 | 1942(昭和17)年 | 油彩・キャンバス | 91.3×117 | |
山本鼎 | 1882-1946 | 外房しけのあと | 1942(昭和17)年 | 油彩・キャンバス | 90.9×117 | |
デュフィ、 ラウル |
1877-1953 | 黒い貨物船と虹 | 1949年頃 | 油彩・キャンバス | 38.0×46.1 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
島田章三 | 1933- | 海のみえる風景 | 1956(昭和31)年 | コンテ・紙 | 17.0×25.0 | 作者寄贈 |
林義明 | 1890-1973 | エビス島 | 1965(昭和40)年 | 油彩・キャンバス | 91.0×117 | 林千代氏寄贈 |
島田章三 | 1933- | 岬にて | 1990(平成2)年 | 油彩・キャンバス | 182×227 | |
黒田清輝 | 1866-1924 | 夏の海 | 制作年不詳 | 油彩・板 | 26.2×34.6 | 寺岡富士氏寄贈 |
モネ、クロード | 1840-1926 | ラ・ロシュブロンドの村(夕暮れの印象) | 1889年 | 油彩・キャンバス | 73.9×92.8 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
浅井忠 | 1856-1907 | 小丹波村 | 1893(明治26)年 | 油彩・キャンバス(パネル貼り) | 27.0×39.0 | |
和田英作 | 1874-1959 | 富士 | 1909(明治42)年 | 油彩・キャンバス | 53.3×72.9 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
萬鐵五郎 | 1885-1927 | 山 | 1915(大正4)年 | 油彩・キャンバス | 38.0×45.5 | |
村山槐多 | 1896-1919 | 信州風景(山) | 1917(大正6)年 | 木炭・紙 | 58.7×38.0 | |
萬鐵五郎 | 1885-1927 | 木の間よりの風景 | 1918(大正7)年頃 | 油彩・キャンバス | 54.3×45.5 | |
満谷国四郎 | 1874-1936 | 雪景 | 1923年 | 油彩・キャンバス | 37.8×45.6 | 寄託品 |
藤島武二 | 1867-1943 | 日の出(伊勢朝熊山よりの眺望) | 1930(昭和5)年 | 油彩・キャンバス | 38.0×45.6 | |
海老原喜之助 | 1904-1970 | 森と群鳥 | 1932(昭和7)年 | 油彩・キャンバス | 73.5×100 | |
三宅克己 | 1874-1954 | 箱根双子岳 | 1933(昭和8)年 | 水彩・紙 | 80.3×100 | |
須田國太郎 | 1891-1961 | 信楽 | 1935(昭和10)年 | 油彩・キャンバス | 72.6×116 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
梅原龍三郎 | 1888-1986 | 霧島 | 1936(昭和11)年 | 油彩・キャンバス | 65.0×80.3 | 公益財団法人 岡田文化財団寄贈 |
児島善三郎 | 1893-1962 | 箱根 | 1938(昭和13)年 | 油彩・キャンバス | 131×163 | |
児島善三郎 | 1893-1962 | 松のある風景 | 制作年不詳 | 鉛筆・紙 | 23.7×31.5 | |
児島善三郎 | 1893-1962 | 箱根芦ノ湖 | 制作年不詳 | 鉛筆・紙 | 23.3×31.2 |
第2室:―彫刻家のデッサン―
第2室では、企画展示「再発見! ニッポンの立体」展にちなみ、彫刻家のデッサンを中心にご覧いただきます。彫刻とデッサン、三次元と二次元、それらは、彫刻家にとってどのような存在であったのでしょうか?彫刻家の柳原義達は、ロダンについて語る文章の中で、このような言葉を残しています。
「ロダンのデッサンは両手で握りしめることができる。彼の眼は物の表面を見ていない。裏から盛り上がる量として見ている。すべてを厚みとして見ている。ロダンの彫刻家としての目は、内奥をつかみとることにつきている。」(『孤独なる彫刻』(1985年)筑摩書房、p18。)
柳原はさらに解説を加えます。内奥を見ることとは何か。それは「自然の外観の下に潜む内面的な真実」であり、「物の中にある感情」であると続けます。例えて言うならば、「バラの花弁の形や数の正しさではない。バラのすべての触手の感動であり、香り」なのであると。そこには、彫刻家ならではの、デッサン観が読み取れます。
これらの言葉から分かるように、柳原にとって、デッサンとは、「触知」できるものであったと言い換えてもいいかもしれません。デッサンを描くこと、それは彫刻家にとって、物の見方の訓練でもあったのです。
この部屋には6人の彫刻家の作品が展示されています。デッサンを彫刻制作のための準備作業と位置付けている作家もいれば、デッサンと彫刻とが全く独立した作風を見せる作家も並んでいます。しかし、いずれの場合においても、デッサンを描くという行為が、彼らの作品制作にとって非常に大きな意味を持っていたことは共通しています。見る、描く、見る、作る、この繰り返しによって、作家は外から受けるイメージの刺激と、自分の内側のビジョンを戦わせ、そして空間に屹立する「カタチ」へと調停させていくのです。そのプロセスの一端をご鑑賞ください。
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 | 寄贈者 |
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飯田善國 | 1923-2006 | ストレインジャー | 1961(昭和36)年 | 鉛筆、ペン・紙 | 30.0×42.8 | 作者寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | 何? | 1961(昭和36)年 | 鉛筆、マーカー・紙 | 29.8×38.9 | 作者寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | 向いあう人 | 1962(昭和37)年 | 鉛筆、マーカー・紙 | 49.8×69.8 | 作者寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | 3個のAugen-mensche | 1964(昭和39)年 | 鉛筆、マーカー・紙 | 29.8×39.8 | 作者寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | 生の花 | 1964(昭和39)年 | 鉛筆、マーカー・紙 | 29.6×41.5 | 作者寄贈 |
飯田善國 | 1923-2006 | SONZAI | 1967(昭和42)年 | 真鍮 | H68.5×W58.0×D78.3 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 No.2-68 | 1968(昭和43)年 | 鉄、ステンレス・スティール | 65.0×62.0×72.0 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 No.3-71 | 1971(昭和46)年 | 真鍮、クローム鍍金 | 18.0×7.0×17.5 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 85- 7 | 1985(昭和60)年 | アクリル絵具、和紙・紙 | 75.5×58.5 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 83-4 | 1983(昭和58)年 | 鉛筆、樹脂絵具・紙 | 65.0×50.0 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 83-1 | 1983(昭和58)年 | 鉛筆、樹脂絵具・紙 | 65.0×50.0 | |
湯原和夫 | 1930- | 無題 78-4 | 1978(昭和53)年 | 鉛筆、ステンレス・スティール・紙 | 65.0×50.1 | |
若林奮 | 1936-2003 | 中に犬2 | 1968(昭和43)年 | 鉄 | 35.0×26.2×22.8 | |
若林奮 | 1936-2003 | 大気中の緑色に属するもののためのデッサン 全8点 | 1982(昭和57)年 | 鉛筆・紙 | 55.0×79.0 | |
江口週 | 1932- | あるはじまりのかたち2 | 1984(昭和59)年 | 木 | 100×35.5×32.5 | |
江口週 | 1932- | 神殿に立つ-2 | 1986(昭和61)年 | 水彩、 鉛筆・紙 | 65.9×49.5 | 作者寄贈 |
江口週 | 1932- | ふたたび翔べるか | 1988(昭和63)年 | 鉛筆、水彩・紙 | 66.5×50.2 | 作者寄贈 |
清水九兵衞 | 1922-2006 | 線上のイメージⅡ | 1982-91(昭和57-平成3)年 | 超可塑性金属 | 20.0×40.0 | |
清水九兵衞 | 1922-2006 | 過程II | 1991(平成3)年 | 黒鉛、インク・紙 | 56.0×40.0 | |
清水九兵衞 | 1922-2006 | 過程 Ⅳ | 1992(平成4)年 | 黒鉛、インク・紙 | 43.8×59.9 | 作者寄贈 |
堀内正和 | 1911-2001 | うらおもてのない帯 | 1963(昭和38)年 | ブロンズ | W78.0×D21.0×H43.0 | |
堀内正和 | 1911-2001 | 二つの円 | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 64.0×50.0 | |
堀内正和 | 1911-2001 | しろとくろ まるとしかく | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 64.0×50.0 | |
堀内正和 | 1911-2001 | 上昇矩形 | 1993(平成5)年 | コラージュ・紙 | 64.0×50.0 |
第3室:特集展示「没後20年 浅野弥衛」
三重県鈴鹿市出身の抽象画家 浅野弥衛は、1914年に生まれ、1996年、81年の生涯に幕を下ろしました。第3室では、浅野の没後20年を経た節目として、特集展示を企画しました。
3度にわたる応召のため、日本を離れた時を除けば、浅野は故郷鈴鹿での制作を自らの活動の根幹と位置づけました。本格的に画業に専念したのが、40代半ば以降と遅い出発でありながら、既存の美術教育や画壇とは距離を置いた表現を貫き、その独自の姿勢や作品は生前から多くの支持者を得ていました。
三重県立美術館では、1996年の1月4日から、「浅野弥衛」展を開催しました。地元作家の、それも抽象画家の大規模な回顧展をその生前に開催することは極めて異例のことでした。250点近くの作品が一堂に並べられた展示室は壮観であったと今でも語り継がれるほどです。浅野が亡くなったのは、展覧会が終わった2月18日の4日後、22日のことでした。
その後も三重県立美術館では常設展示において、折に触れて浅野の作品を展示してきました。そして、出身地三重県だけでなく、近隣の名古屋市美術館や豊田市美術館でも展覧会が開催され、京都や東京の画廊でも作品が紹介されています。
2014年には、浅野の生誕100年を記念して、東海地方だけでなく、東京、関西、信越地方でも浅野弥衛展が企画され、大きな反響を呼んだことも記憶に新しいことでしょう。
浅野の作品は、白と黒といった、極限まで色を制限した画面に、直線や曲線が縦横無尽に踊る抽象画であるため、一見すると難解で、見る人を拒絶しているような印象さえ受けます。しかし、子細に一本一本の線を見ていけば、同じものはひとつとして無く、豊かな個性に溢れる線であることに気づくでしょう。そして、そこには画家の手や体の痕跡が今も生き生きと感じ取れるに違いありません。
今回の特集展示では、美術館が所蔵する浅野の作品以外に、生前から浅野と縁の深い方々がお持ちの作品も展示しています。また、生前描きためていたスケッチブックや、浅野の作品が装幀に用いられた書籍もご覧いただきます。そこでは、抽象画家・浅野弥衛とはまた別の顔をした浅野弥衛を見つけて頂けることでしょう。
作者名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 | 寄贈者 |
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浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題(コラージュ) | 1952年 | ミクストメディア | 個人蔵 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 早春 | 1954年 | 油彩・キャンバス | 個人蔵 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題 | 1957年 | 油彩・キャンバス | 衣斐弘行氏 衣斐泰子氏寄贈 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題 | 1950年代 | 油彩・キャンバス | 衣斐弘行氏 衣斐泰子氏寄贈 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | スケッチブック | 1950年代~80年代 | 鉛筆、墨、マジック・紙 | 個人蔵 | |
浅野弥衛作品を用いた装幀本 | 個人蔵 | |||||
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1960(昭和35)年 | 油彩・キャンバス | 90.7×116 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1961(昭和36)年 | 油彩・キャンバス | 45.2×52.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1966(昭和41)年 | 油彩・キャンバス | 72.5×90.4 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1967(昭和42)年 | 油彩・キャンバス | 65.7×90.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1970(昭和45)年 | 油彩・キャンバス | 64.7×90.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1970(昭和45)年代後半 | 鉛筆・紙 | 63.5×53.5 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1972(昭和47)年 | 油彩・キャンバス、ボルト | 65.2×90.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1975(昭和50)年 | 油彩・キャンバス | 72.7×90.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1975(昭和50)年 | 油彩・キャンバス | 90.9×90.9 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1976(昭和51)年 | 油彩・キャンバス | 90.9×117 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1977(昭和52)年 | 油彩・キャンバス | 65.0×91.0 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1981(昭和56)年 | 鉛筆・紙 | 63.0×64.0 | 作者寄贈 |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1981(昭和56)年 | 鉛筆・紙(フロッタージュ) | 62.5×63.5 | 作者寄贈 |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1982(昭和57)年 | 鉛筆・紙 | 79.0×223 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1983(昭和58)年 | 鉛筆・紙 | 111×79.5 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1983(昭和58)年 | 鉛筆・紙 | 111×79.0 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1983(昭和58)年 | 鉛筆・紙 | 111×79.0 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 作品 | 1984(昭和59)年 | 鉛筆・紙 | 110×78.5 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題 | 1985(昭和60)年 | 鉛筆・紙 | 89.0×89.5 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題 | 1985(昭和60)年 | 鉛筆・紙 | 89.0×89.5 | |
浅野弥衛 | 1914-1996 | 無題 | 1987(昭和62)年 | 油彩・キャンバス | 65.2×91.0 |
ロビー展示
建畠覚造 | 1919- 2006 |
STANDING FIGURE(大) |
1994年 | 合板 | 141×62×60 | 建畠嘉氏寄贈 |