第34話  企画展「ファッションとしぐさの今昔−昔のしぐさはちょっと違う−」によせて

 『伊勢物語』の第六十九段「狩の使」の絵は、斎王が在原業平の部屋に深夜訪れてくる場面を描くことが多いのですが、業平が寝間着を着て布団に入って、という絵はまずありません。被っているのは、美しい柄の厚くない布で、どうも着物のように見えます。
 じつはこれ、本当に着物なのです。平安時代の絵を見ると、貴族は寝る時に自分の着ていた上着を掛け布団のようにしていたと考えられます。そして江戸時代の作品でも、『伊勢物語』などの古典を絵にする時は、そうした「お約束」が守られていたのです。
 このような王朝文化のお約束事は、ほかにも江戸時代の王朝物語絵に受け継がれています。たとえば『伊勢物語』『源氏物語』の絵や、歌の名手を描いた歌仙絵でも、正座をしている人はほとんど描かれることはありません。正座は現在の和風の生活様式が定着した室町時代後半以降に一般的になった座り方だからです。そのため、例えば大伴家持であろうが在原業平であろうが光源氏であろうか、みんなあぐらを組んで座っています。
 一方女性はどうかといいますと、十二単の下には必ず緋の袴を履いているのでなかなかわかりにくいのですが、時々明らかに片膝をたてて座っていることがわかる絵が見られます。
 たしかに平安時代の女性は片膝を立てて座るのが普通だったようです。現在残されている平安時代の女神像などにも、そういうポーズが多く見られます。高麗や李氏朝鮮を舞台にした韓流時代劇には、宮廷女性が片膝をたてて座っている場面がよく出てきますが、奈良時代や平安時代には、同じ座り方が、正式な座り方だったのです。

 このように、やっていいしぐさ、よくないしぐさは、時代によってかなり変わってくるもののようです。その中には、かなり切実なものもありました。
 平安時代の貴族はケガレを非常に恐れていました。汚いものだけではなく、例えば焼け跡や廃墟のようなものが眼に触れることも不吉とされました。それどころか、他人の視線でさえ、場合によってはよからぬものと考えていたようです。邪視、という考え方ですね。となると、自分の視線が他人を傷つけることもあるかもしれない、これでは八方ふさがりで、何も見るなと言っているようなものです。
 それでもどうしても見たい、あるいは見なければならない、その時にはどうしたらいいのか、実は一ついい方法がありました。見えているけれど見ていないふりをするのです。それはどうすればいいか。平安時代や鎌倉時代に描かれた絵の中には、蝙蝠扇(かわほりおうぎ)、つまり骨に紙を張った隙間のある扇で顔を隠し、骨の隙間から色々なものを覗いている人たちがいます。
 例えば有名な『伴大納言絵詞』の応天門が燃え落ちる場面には、次々に走ってきて、大騒ぎで火事見物をしている色々な階層の人たちが描かれていますが、その中にも何人か、扇で顔を隠して見上げている人がいるのです。火事の現場など間違いなくケガレの発生する場ですから、心得のある人は、いわば扇をバリヤーにして見物していたわけですね。

 このように、所定の手続きを踏むと、許されないことでも許される、という裏技のようなことがあったのも、扇の使い方ひとつからわかってくるのです。
 そして絵の表現の中には、その人の身分を明らかにする手掛かりも隠されています。例えば大きな傘がそうです。この時代の貴人のお供には傘持ちがいることが多く、逆に言うと、傘を差し掛けられていたり、傘持ちをつれている人は貴人として描かれていることがわかるのです。これは身分の高い人は気安く人前に顔や姿をさらさない、という意識が反映された「しぐさ」だということです。
 そしてさらに高い身分の人、つまり皇族や天皇、上皇といった人になると、垂れ下がった御簾の下から衣装の一部が覗き、上半身は描かれない、という表現が見られます。これはまさに、「絵にも描けない貴い人」という意味が隠されているわけですね。ちなみに斎王として最も多くの絵を遺している、三十六歌仙の一人の斎宮女御徽子女王の場合でも、几帳の影に半身を隠す、あるいは几帳だけで表現する、後ろ姿で顔を見せないなどの表現で、巧みに全貌が描かれない配慮をされています。
 このように、平安時代や鎌倉時代に描かれた絵だけではなく、江戸時代に描かれたものの中にも、平安時代以来のルールが少なからず見られるのです。

 こうした動きやしぐさ、そしてファッションなども意識の変化を遺された色々な資料から考えようという展覧会が斎宮歴史博物館本年度春の企画展『ファッションとしぐさの今昔−昔のしぐさはちょっと違う−』です。この展覧会で筆者が気に入っている展示作品を一つ。
 それは先ほどふれました『伴大納言絵詞』です。原本は出光美術館蔵ですが、今回はその精巧な写し(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)を展示しています。
 平安宮の朱雀門、といえば二条大路に面した平安宮大内裏の正門ですが、そこを走り抜けて町の人々が次々に宮中に飛び込んできます。目指しているのは朝堂院の南門の応天門、今で言えば国会議事堂の南門で、国家の権勢を現す華麗な門が、紅蓮の炎に包まれて燃え落ちようとしている光景を、あれよあれよと大騒ぎしながら、いろいろな身分の人たちが見物しているありさまは、大惨事というより、まるで祭の熱狂のようにも見えます。
 原本の迫力は世界的に有名な『伴大納言絵詞』ですが、この写しの筆勢もその雰囲気をよく伝えています。それもそのはず、この作者は、近代に大和絵の技法を伝え、さらに古筆も研究して、さまざまな平安時代の絵巻の精巧な模写を行ってきた日本画家、田中親美(1875年から1975年まで)の二十五才の時の作品なのです。『源氏物語』や『佐竹本三十六歌仙絵巻』などの模写をして原典以上とさえ言われた田中親美です。その若き日の力作ですから、そのあふれ出るエネルギーはまさに模写の域を越えた作品といえるでしょう。
『ファッションとしぐさの今昔−昔のしぐさはちょっと違う−』は4月21日(土曜)から6月3日(日曜)の「斎王まつり」まで。期間中には、関連イベント「蝙蝠扇(かわほりおうぎ)をつくろう!」が4月28日(土曜)と5月20日(日曜)の午前10時30分からと午後1時30分から行われます。平安時代のバリアを作ってみませんか。

榎村寛之

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