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斎宮関係略年表

凡例

  • 本年表は、歴代の天皇と斎王および、斎宮に関わる主な出来事をまとめたものです。
  • ※印のある斎王は女王(天皇の娘<内親王>以外の皇族女性)を示します。
  • 斎王欄の「−」はその時の天皇に斎王が選ばれず不設置であったことを示します。
  • 斎王欄の[  ]付きの人名は、斎王であったかどうか明確でない人を示します。
時代 天皇 斎王 年号 斎宮関係の出来事 主な出来事
伝承
時代
崇神 豊鋤入姫 崇神6 宮中の天照大神を豊鍬入姫命に託し、倭笠縫邑に移す(『日本書紀』)  
垂仁 倭姫 垂仁25 倭姫命、天照大神を奉じ伊勢の五十鈴川上に祠を立てる〔伊勢神宮起源伝承〕(『日本書紀』)  
景行      
五百野      
成努      
仲哀 伊和志真      
応神〜安康 −       
雄略 稚足姫 雄略3 稚足姫皇女、密通の疑いを受けて自殺する(『日本書紀』)  
清寧〜武烈      
継体 荳角      
安閑・宣化      
欽明 磐隈      
敏達 菟道      
用明〜推古 酢香手姫 用明前紀 酢香手姫皇女、天皇三代にわたり日神に奉仕し自主退下する(『日本書紀』) 聖徳太子、摂政になる(593)
舒明〜弘文      
飛鳥
時代
天武 大来 天武3(674) 大来皇女、泊瀬斎宮より伊勢神宮に向う〔制度上最初の斎王〕(『日本書紀』) 壬申の乱(672)
持統     藤原宮遷都(694)
文武 当耆      
大宝元(701) 斎宮司を寮に准じ、その属官を長上に准じさせる(『続日本紀』) 大宝律令制定(701)
田形      
[多紀]      
奈良
時代
元明   元明天皇の時、田方・多紀内親王、智努・円方女王が各一度参入するとみえるが、 詳しくは不明(『一代要記』) 平城京遷都(710)
  [智努]      
  [円方]      
元正 久勢※ 養老2(718) 斎宮寮の公文に初めて印を用いる(『続日本紀』)  
井上   養老5(721) 井上内親王を斎王とし北池辺の新造宮に移す
(『政事要略』所引「官曹事類」)
 
聖武 神亀4(727) 斎宮寮の官人121人を補任する〔斎宮官人制整備〕(『続日本紀』)  
神亀5(728) 斎宮寮官人の定員・官位相当の規定を定める
〔斎宮寮の官制整備〕(『類聚三代格』)
 
天平2(730) 斎宮の年料は、以後神戸の庸調を用いず官物を充てる
〔斎宮の財政、神宮から自立〕 (『続日本紀』 )
 
県 ※      
孝謙 小宅※     大仏開眼(752)
淳仁 山於※      
称徳     道鏡、法王となる(766)
光仁  酒人 宝亀2(771) 気太王を斎宮造営のために伊勢に遣わす(『続日本紀』)  
浄庭※ 天応元(781) 斎宮に美雲が現れたことにより改元する(『続日本紀』)  
平安
時代
桓武 朝原 延暦4(785) 紀作良を造斎宮長官となす(『続日本紀』) 長岡京の着工(784)
〃   朝原内親王群行に際し、桓武天皇が平城京に行幸する(『続日本紀』) 平安京遷都(794)
布勢 延暦16(797) 布勢内親王、葛野川で禊をして野宮に入る〔野宮の用語の初見記事〕
(『類聚国史』)
 
延暦19(800) 斎宮主神司を神祇官の管轄とする(『類聚三代格』)  
平城 大原 大同3(808) 炊部司に主典を置き、長官主典の官位相当を舎人・蔵部等司に准じる
(『日本後紀』)
 
嵯峨 仁子 弘仁3(812) 布勢内親王の墾田を伊勢国大国庄等として東寺に施入 (『平安遺文』35号「民部省符案」) この頃、賀茂斎院が成立
淳和 氏子 天長元(824) 斎宮を度会郡の離宮院に移転する(『類聚国史』)  
宜子※      
仁明 久子 承和6(839) 斎宮の官舎百余宇が焼けたため、多気郡にもどる(『続日本後紀』)  
承和12(845) 斎宮寮頭・助に、大神宮と多気・度会両神郡の雑務を検校させる(『続日本後紀』)  
文徳 晏子      
清和 恬子 貞観元(859) 恬子内親王、初斎院に入る〔初斎院の用語の初見記事〕(『日本三代実録』)  
貞観6(864) 斎王が離宮院に向う途中、鉗田橋から女官一人が落下する(『太神宮諸雑事記』)  
九世紀後半 この頃、在原業平が斎宮を訪れる?(『伊勢物語』)  
陽成 識子     応天門の変(866)
掲子      
光孝 繁子 仁和2(886) 繁子内親王、新道の「阿須波道」を用いて群行。鈴鹿頓宮で火災が発生、同行した母更衣滋野直子の車で避難する〔鈴鹿峠越えの道開通〕(『日本三代実録』)  
宇多 元子※     この頃、『伊勢物語』成立
醍醐 柔子 10世紀前期頃 この頃斎宮、竹の都と呼ばれる(『大和物語』) 『延喜式』完成(927)
朱雀 雅子      
斉子     承平・天慶の乱(935〜941)
徽子※ 天慶8(945) 徽子女王、近長谷寺に白玉一丸を施入する(『近長谷寺資財帳』)  
村上 英子      
悦子※ 天暦3(949) 前斎王徽子女王、村上天皇の女御となり、斎宮女御と呼ばれる(『日本紀略』)  
楽子 応和2(962) 斎宮南門の御階下に髑髏が投げ込まれる(『太神宮諸雑事記』)  
冷泉 輔子      
円融 隆子※ 天禄3(972) 規子内親王家前栽歌合が行なわれる(『類聚歌合』)  
天延2(974) 隆子女王、斎宮にて死去する(『日本紀略』)  
規子 貞元2(977) 斎宮女御徽子、娘の規子内親王とともに再び斎宮に向かう(『日本紀略』)  
花山 済子※ 寛和2(986) 済子女王、密通の疑いを受け、野宮で解任される(『日本紀略』) この頃、『斎宮女御集』成立
一条 恭子※     この頃、『源氏物語』成立
三条 当子 長和3(1014) 三条天皇、斎王発遣儀式でしきたりに反し娘当子斎王に振り返らせた(『大鏡』)  
後一条 長元4(1031) 斎王託宣事件により斎宮寮頭藤原相通夫妻が流罪となる
(『小右記』『太神宮諸雑事記』)
藤原道長摂政になる(1016)
後朱雀 良子 長暦2(1038) 良子内親王、伊勢斎宮に群行、鈴鹿峠越えに苦労する(『春記』)  
長暦3(1039) 斎宮内侍の託宣事件おこる(『太神宮諸雑事記』)  
長暦4(1040) 斎宮良子内親王貝合が行われる(『類聚歌合』)  
後冷泉 嘉子 永承4(1049) 斎宮寮頭平雅康、志摩国の神宮御厨と争う(『太神宮諸雑事記』) 前九年の役(1051〜1062)
敬子※ 天喜2(1054) 斎宮寮、弊亡の馬一疋の替を請う
(『壬生家文書』〈『平安遺文』714号 「斎宮寮解」〉)
 
後三条 俊子      
白河 淳子※ 承保元(1074) 河内国醍醐寺領への造野宮作料米賦課が免除される(『醍醐雑事記』)  
永保3(1083) 斎王内親王家歌合が行なわれる(『類聚歌合』) 後三年の役(1083〜1087)
堀河 善子 永長元(1096) 前斎王郁芳門院、田楽踊りに熱中(『中右記』) 白河上皇院政開始(1086)
鳥羽 天永2(1111) 伊勢国河後郷目代藤原重宗、民有年の畠一段に
斎宮寮納米二斗を賦課する(『平安遺文』一七四九 号「民有年解案」)
この頃、『栄華物語』成立
崇徳 守子※ 天治2(1125) 守子女王、伊勢斎宮に群行する(『法性寺殿御記』・『中右記部類』)  
近衛 妍子 天養元(1144) 醍醐寺領伊勢国曽禰荘への斎宮群行雑事が官宣旨により免除される(『醍醐雑事記』)  
喜子      
後白河 亮子 (保元頃) この頃、斎宮は、内院、中院、外院に分かれていた(『新任弁官抄』) 保元の乱(1156)
二条 好子 長寛3(1165) 斎宮を退下した好子内親王、帰京の旅の不備ぶりに涙を流す(『顕広王記』) 平治の乱(1159)
六条 休子      
高倉 惇子 承安2(1172) 斎王惇子内親王、斎宮にて死去する(『玉葉』)  
功子      
安徳     源頼朝・義仲挙兵(1180)
鎌倉
時代
後鳥羽   (文治頃) この頃、西行が斎宮を訪れる。斎宮は木立が目立ち築垣も無いようになる(『山家集』) 平氏滅亡(1185)
潔子 文治3(1187) 宇治蔵人三郎義定の代官が伊勢国櫛田郷内の斎宮寮田を押領する(『吾妻鏡』)  
土御門 粛子 建暦元(1211) 斎宮寮保曽汲の貢御人、伊勢国平生御厨と境の争いをおこす(『玉蘂』)  
順徳      
仲恭 承久3(1221) 前斎王熙子内親王、承久の乱後の混乱の中を帰京(『類聚大補任』) 承久の乱(1221)
後堀河 利子      
四条      
後嵯峨 曦子 寛元3(1245) 曦子内親王の初斎院入・野宮入の用途確保に苦慮する(『壬生家文書』)  
後深草      
亀山 ト子 文永元(1264) ト子内親王、伊勢斎宮に群行〔最後の斎王群行〕(『類聚大補任』)  
後宇多     蒙古襲来(1274・1281)
伏見      
後伏見      
後二条 弉子      
花園      
後醍醐 懽子      
光厳      
南北朝時代 後醍醐 祥子 元弘3(1333) 祥子内親王、斎王に卜定される(『皇代暦』) 鎌倉幕府滅亡(1333)
建武の新政(1334)
建武3(1336) 建武の新政崩壊〔斎王制度の廃絶〕 足利尊氏、幕府を開く(1336)
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