清水登之 しみずとし
生没年
1887-1945
出身国
日本
記事
中谷伸生 清水登之|チャプスイ店にて+蹄鉄 友の会だよりno.16 1987.11.20
移動美術館 員弁コミュニティプラザ
『建物のある風景』 出品目録+ガイド(2008.11.12)
略歴
1887年 栃木県下都賀郡に生まれる。
1901年 県立栃木中学校入学、1905年成城学校に転校。
1906年 成城学校卒業。
1907年 渡米。シアトル、ベーリングハムなどで働く。
1912年 シアトルでオランダ人画家タダマ・フォッコの画塾に入る。
1917年 ニューヨークに移り、ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ついでアート・ステューデント・リーグに入り、ジョン・スローンなどに師事する。ここで国吉康雄、石垣学太郎と知り合う。
1919年 アカデミー・アートショップで個展。
第3回インデペンデント展出品。
年末日本に帰国。
1920年 2月、古沢澄子と結婚。
4月、渡米。ニューヨークに住む。
1921年 長男・育夫誕生。第5回インデペンデント展に「社頭」「横浜夜景」出品。
第34回アメリカ絵画彫刻展に「横浜夜景」が招待出品される。
審査会で受賞が決められたが後、外国人であるという理由で取り消しとなる。
1922年 第1回サロンズ・オブ・アメリカに「テニスプレーヤー」出品。
国吉康雄らとニューヨーク画彫会を組織する。
1923年 第7回インデペンデント展に「支那街」出品。
ブルマー・ギャラリーで個展。
1924年 パリに移る。三宅克己夫妻と交友。パリの藤田グループと交友。
サロン・ドートンヌに「チャイルド洋食店」など3点が入選。
1925年 2月下旬から3ヶ月ほどスペインに旅行。
サロン・ドートンヌに出品。
1926年 アンデバンダン展に「トレド郊外」他を出品。
上海に立ち寄った後、翌年1月帰国。
1927年 丸ビル内丸菱呉服店で個展。
第14回二科展に一連の渡欧作を出品。
1929年 第16回二科展で樗牛賞受賞。
1930年 第17回二科展で二科賞受賞。
11月、独立美術家協会の結成に参加。
1937年 海軍従軍画家として上海に渡る。
1942年 生産美術協会が発足、理事となる。
1944年 戦時特別文展に「工兵隊架橋作業」を出品。
1945年 長男・育夫戦死の報を受ける。
12月7日、疎開先の栃木県の生家で歿。
館蔵作品
作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 |
---|---|---|---|
風景 | 1921(大正10)年 | 油彩・キャンバス | 48.6×58.9 |
チャプスイ店にて | 1921(大正10)年 | 油彩・キャンバス | 71.3×56.3 |
蹄鉄 | 1925(大正14)年 | 油彩・キャンバス | 81.0×65.0 |
ロシアダンス | 1926(大正15/昭和元)年 | 油彩・キャンバス | 91.0×73.0 |
人物 ダイヤン人 | 制作年不詳 | 水彩・紙 | 27.6×37.9 |
グロナン兄 | 制作年不詳 | 水彩・紙 | 37.9×28.2 |
人物 | 制作年不詳 | 水彩・紙 | 23.9×33.9 |
ケダ州山遠望 | 制作年不詳 | 水彩・紙 | 26.3×36.6 |