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移動美術館 員弁コミュニティプラザ 建物のある風景


2008年11月12日(水)〜16日(日) 午前9時30分〜午後5時(最終日は午後4時まで)

入場料:一般200円(65歳以上の方・高校生以下と美術館友の会会員は無料)
員弁コミュニティプラザ:〒511-0202 いなべ市員弁町楚原940
               TEL.0594-74-4144

主催:いなべ市芸術文化協会
    いなべ市教育委員会
協賛:三重県立美術館
協力:三重県立美術館友の会

お問い合わせ先:いなべ市芸術文化協会事務局
           TEL/FAX .0594-82-15551

◆ギャラリートーク:11月16日(日)午後2時〜3時 県立美術館学芸員による作品解説

いなべ市での三重県立美術館所蔵品による移動美術館も、今年で4回目を迎えます。2005年12月の『旅するまなざし 未知なるものを探して』、2006年11月の『美の気配(ニュアンス)』、2007年11月の『色彩遊戯』に続いて、今回は『建物のある風景』と題して開催します。

絵の中に描かれた建物は、多くの場合背景でしかないにせよ、とりわけ線遠近法が確立したルネサンス以降、空間を組みたてるためのモティーフとして用いられてきました。また人が暮らす生活の場、あるいは人が作りあげた記念碑、時には自然に対する人為といった意味を担う場合も少なくありません。ここではそうした諸相の一端をうかがっていただければと思います。

過去3年間の移動美術館にご来館いただいた方はもとより、はじめての方も含め、さまざまな方々にご覧いただければさいわいです。

 

◎入場者数 345名

 

移動美術館 員弁コミュニティプラザ 建物のある風景 会場風景1

移動美術館 員弁コミュニティプラザ 建物のある風景 会場風景2

移動美術館 員弁コミュニティプラザ 建物のある風景 会場風景3

移動美術館 員弁コミュニティプラザ 建物のある風景 会場風景4

 

出品目録+ガイド

no. 作者名 生没年 作品名 制作年 素材・技法 寸法(cm)
1 浅井忠 1856-1907 小丹波村 1893(明治26)年 油彩・キャンバス 27.0×39.0
工部美術学校時代フォンタネージに学んだ浅井は、黒田清輝らの外光派とは異なる形で、日本の近代洋画の確立に尽力した画家です。武蔵国小丹波(こたば)村(現在の東京都西多摩郡奥多摩町)を描いた本作品では、薄塗りのきびきびした筆致が、安定感のある画面を作りあげています。人物のいるあたりを明るくした光の配分もバランスのとれたものです。同じく日本の古い家屋を描いた飯田三吾の《茂福風景》や向井潤吉の《遅春》と比較してみてください。
2 萬鐵五郎 1885-1927 建物のある風景 1910(明治43)年 油彩・板 23.5×31.0
ヒュウザン会などを舞台に活動した萬は、フォーヴィスムやキュビスムといったヨーロッパの前衛を摂取する一方で、文人画にも深い関心を寄せました。その意味で日本の近代を体現する画家といえるかもしれません。本作品では、逆光で紫になった建物が緑との対比の内に、激しい筆致で描かれています。粗放さにもかかわらず色の配分は全体を統一するべく配慮されており、光と空気の動きを伝えます。
3 小川詮雄 1894-1944 漁村の夏 1914(大正3)年 油彩・キャンバス 41.0×60.3
松阪出身の小川は京都で日本画を学び、後に洋画に転じた画家ですが、詳細は知られていません。ただその作品には、時代の刻印が深く刻まれています。現在の大王町波切小学校付近から海に向かった眺めを描いた本作品も、大ぶりの点描を青い線で区切ることで、風景も村も同じ比重で処理した色の織物として組みたてられています。そこにゴーギャンや新印象主義の影響を見てとることができるでしょう。
4 鹿子木孟郎 1874-1941 教会 1917(大正6)年 油彩・キャンバス 63.5×48.5
津で教師を勤めたこともある鹿子木は、1901(明治34)年からパリでジャン=ポール・ローランスに師事することで、黒田清輝らの外光派系の洋画とは異なる、より古典主義的な西洋画法を日本に根づかせようとした画家です。ただ全体に調子を明るくし、軽快な筆致で描かれた本作品では、手前の青みがかったグレーの陰などに印象主義との関連がうかがわれます。そのため石造りの建物もあまり堅そうには見えません。
5 飯田三吾 1900-1965 茂福風景 1917(大正6)年 油彩・板 21.2×33.1
四日市に生まれた飯田は、1922(大正11)年大正期の新興美術運動を担うグループの一つ「アクション」の創立に参加した画家です。10代の頃に制作された本作品は四日市の茂福(もちふく)を描いたもので、さりげないスケッチではありますが、浅井忠の《小丹波村》に比べると、たとえば左下の陰や右の軒などのグレーがかった青などに、印象派を経由した色彩構成に対する意識をうかがうことができます。
6 新井謹也 1884-1966 蘇州・滄浪亭 1920(大正9)年頃 油彩・板 23.3×32.8
志摩郡鳥羽町に生まれた新井は、1903(明治36)年から京都で洋画を学びますが、1920(大正9)年の中国・朝鮮半島旅行を機に陶芸に専心するようになりました。その際描かれた本作品もさりげないスケッチですが、建物を画面と平行に配し、水面の反映ととぎれなくつないだ構図からは、明暗のリズムと相まって、画面構成に対する関心を読みとることもできます。
7 清水登之 1887-1945 風景 1921(大正10)年 油彩・キャンバス 48.6×58.9
1907(明治40)年渡米し、24(大正13)年の渡仏を経て27(昭和2)年に帰国するまで海外生活を送った清水は、素朴派的な作風で民衆を描き続けました。ニューヨークにいた時期に描かれた本作品は、地平線を高く上げ、暗い色調で統一した織物をなしています。あざやかな色を用いた小川詮雄の《漁村の夏》と比べてみてください。また下端で下すぼまりになる構図は、荻須高徳の《街角(グルネル)》や高畠達四郎の《オーヴェル古寺》と共通しています。
8 小出楢重 1887-1931 パリ・ソンムラールの宿 1922(大正11)年 油彩・板 51.5×44.5
大阪生まれの小出は、大正から昭和初頭にかけての阪神間のモダンな文化を体現した画家です。この作品では、左端の窓枠から奥の建物へとジグザグに進む構図が、色数を抑えた中、素早い筆致で描かれ、安定してしかるべき建物の連なりにきびきびした動きをもたらしています。
9 前田寛治 1896-1930 風景 1924(大正13)年頃 油彩・キャンバス 50.0×72.8
鳥取出身の前田は、キュビスムなどの成果を踏まえた上で、写実を追及した画家です。彼は1923(大正12)年から25(大正14)年までパリに留学しましたが、本作品もその間に制作されました。パリの街並みを描いたのだとして、しかしそこでの位置関係は明瞭ではありません。錯綜したモティーフと形や面、また右下の小さな人物などの関係は、画面に不思議な感触をもたらしています。
10 荻須高徳 1901-1986 街角(グルネル) 1929-30(昭和4-5)年 油彩・キャンバス 73.2×59.9
愛知県出身の荻須は、佐伯祐三との交友もあって、1927(大正2)年の渡仏以降、生涯パリの街並みを描き続けた画家です。佐伯譲りのくすんだ色調を用いつつ、ここでは白と黄、褐色の対比が建物の形態を明快に押しだしています。
11 松本竣介 1912-1948 建物 1945(昭和20)年頃 油彩・板 37.9×45.5
東京生まれの松本は、何度か画風の変遷を経つつ、また太平洋戦争の時期をはさんで、都市の風景を描き続けました。この作品は一見抽象的な画面とも見えますが、地の上にいささかとぼけた調子で引かれた線は、それをなぞる内に、頭の中で思い描かれた建物の見取り図のように見えはしないでしょうか。
12 岡鹿之助 1898-1978 廃墟 1962(昭和37)年 油彩・キャンバス 45.5×37.9
東京生まれの岡は1924(大正13)年から39(昭和14)年まで渡仏しましたが、その際自分の絵に比べてフランス人の油絵の絵肌が堅牢なことに愕然とし、以後画材の研究を意識するようになったといいます。本作品は性急さを感じさせない安定したリズムで描かれています。他方周辺の眺めは排され、廃墟のみが正面からとらえられているため、あたかも城跡の肖像画が描かれているかのようです。
13 向井潤吉 1901-1995 遅春(長野県塩尻市広丘郷) 1962(昭和37)年 油彩・キャンバス 50.0×60.0
向井は、失われていく日本の古い民家を写実的に描いた画家です。この作品でも民家を、感情を交えずきびきびした平明さで描き写そうとしています。ただ手前の家の螻羽(けらば)はあざやかな茶色でアクセントとなっています。また右端には葉の落ちた木と開花した梅が見え、冬から春への移行を物語っています。
14 鈴木金平 1896-1978 荒川風景 1963(昭和38)年 油彩・キャンバス 45.7×60.8
四日市に生まれた鈴木は、第1回ヒュウザン会展(1912)に参加するなどしていましたが、とりわけ1915(大正4)年に出会った中村彝に深い影響を受けました。本作品は固有の作風が確立した時期のもので、中谷泰の《雪どけ》同様工場を描いていますが、川をはさんだ隔たり、画面と平行の配置、明るい色などのためのんびりした雰囲気をただよわせています。
15 高畠達四郎 1895-1976 オーヴェル古寺 1967(昭和42)年 油彩・キャンバス 91.2×73.0
東京生まれで1921(大正10)年から25(昭和3)年まで渡仏した高畠は、景色から強い印象を受けた重点のみを抜きだして画面作りをしようとした画家です。同じく下すぼまりの構図を用いながら、建物の量感を押しだした荻須高徳の《街角(グルネル)》とは対照的に、教会はいたって平面的です。他方空の左と右で青の明るさや塗り方が違っています。下端の塀が左右で色違いなのに呼応させることで、平板になるのを避けようとしたのでしょう。オーヴェール=シュル=オワーズはパリ近郊の小さな町で、同じ教会をゴッホが描いています(これも対照的で、とても同じ建物には見えません)。
16 中谷泰 1909-1993 雪どけ 1976(昭和51)年 油彩・キャンバス 91.0×100
松阪に生まれた中谷は、モダニズムの洗礼を受けながらもそれを咀嚼した温厚な写実によって、静物や風景、また炭坑とそこでの労働者などを描きました。本作品も堅実な筆致によって工場が描かれています。他方工場は、単に興味を引く景色というにとどまらず、労働の場として意識されていたのかもしれません。また全体が赤みを帯びた調子で統一されているのは、朝か夕べであることをしめすとともに、残雪の白さを映えさせるため選ばれたのでしょう。
17 坂本一道 1934- バベル 1976(昭和51)年 油彩、テンペラ・ハードボードにジェッソ地 91.0×72.7
坂本は制作のかたわら、1975(昭和50)年から2001(平成13)年まで東京藝術大学油画技法材料研究室に勤め、技法や画材の研究に携わってきました。タイトルの〈バベル〉は旧約聖書創世記の一挿話に由来しますが、具体的な塔が描かれているわけではありません。ほぼ左右相称に見える中で随所に破調が混じり、くすんだ赤、緑、青の球の配列、その凹凸の反転などが迷宮のようなさまを呈し、見る者に謎を問いかけているのです。
18 小林研三 1924-2001 野原の家 1979(昭和54)年 油彩・キャンバス 71.5×89.5
四日市に生まれ、後に桑名で生涯を過ごした小林は、身近な生きものや田園を童話的な幻想として描いた画家です。本作品では、単純化された空と大地のひろがりの中に、ぽつぽつと小さな家が散在し、静謐さをただよわせています。これらには誰が住んでいるのでしょうか?
19 伊藤利彦 1928-2006 ペディメントのあるレリーフ 1989(昭和64/平成1)年 木・ラッカー・紐・コラージュ 153×110×4.5
四日市に生まれ生涯を四日市で暮らした伊藤は、さまざまな試行を経て、箱の中の白い模型という作風に達しました。この作品では、上端のペディメント(古典主義建築における一種の破風)から家屋がイメージされていることはわかりますが、取っ手のある棚や階段など、内と外の区別も判然としません。そんな不安定さを、一切を浸す白が支えています。松本竣介の《建物》とは別の形での、脳内見取り図といえるでしょうか。
20 染谷亜里可 1961- 鳥瞰−40,000ドルの家 2004(平成16)年 油彩・ポリ合板 138.6×90.0
いなべを拠点とする染谷は、見る者の視点を揺らがせるような作品を制作してきました。一見幾何学的な抽象と見える本作品は、実は「人生ゲーム」中の模型の家を真上から見たところなのです。他方、素早い筆致で半透明に描かれた形態は、平坦な白地と相まって、光の感覚を呼びさましています。 
21 湯原和夫 1930- 開かれた形 1975(昭和50)年 真鍮、鏡面研磨、塗装 60.0×60.0×40.0
湯原は、形態を厳格なまでに単純化することで、形態と空間のあり方を探求している彫刻家です。本作品では外側のぶっきらぼうな黒塗りに対し、内側は分節されています。しかし三方に大きく開いているため、外と内は融通無碍に往来することができます。囲い、区切り、開き、通すものとしての建築的な空間のあり方が単純化した形でしめされているのです。
22 ラモーン・デ・ソト 1942- 沈黙の建築 IV 1997年 鋼(3点組) 各20.5×39.9×4.0
スペインのバレンシア出身のソトは、建築を連想させる小さなユニットによって空間のあり方を探求している彫刻家です。1993年には京都の法然院で個展を開き、日本の伝統的な空間と対話を交わしました。本作品でも、アーチ状の同じ形を三つ等間隔に並べることで、何もなかった空間が分節され、組織化されていくさまを感じとることができないでしょうか。
 

主な記事等

「三重県立美術館 移動美術館」、『いなべ市芸術文化協会会報』、vol.2、2009.3.31

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