第85話  新発見(苦笑)の『伊勢物語』斎王絵

本日は新発見のニュースです。それに先立って、まず最初にお断りしておかなければならないことがあります。斎宮や斎王を描いた絵は非常に少ないのです。
 斎王を描いた絵として有名なのは三十六歌仙の斎宮女御(朱雀朝の斎王徽子女王が帰京して村上天皇の女御、つまり大人になってからの姿)の画像、そして『伊勢物語』斎宮関係章段の斎王恬子内親王とされる姿や、『源氏物語』絵に見られる元斎王の秋好中宮、あとは『春日権現験記』、『小柴垣草子』に描かれた斎王などです。斎宮を描いたものとしては、『伊勢物語』の斎宮関係章段くらいで、他には野宮図と言われる黒木の鳥居と女性を象徴的に描いたものなどがある程度とご理解下さい。
 その中で今回取り上げるのは、本館蔵『伊勢物語絵巻』の一点です。江戸時代中期、17世紀末期から18世紀初期のものと見られていますが、室町時代に作られた絵巻を元にしていると見られる、挿絵が多く他に類例のない絵巻物です。特に斎宮関係章段については、全部で五画面(69段4画面、71段1画面、通常は69段、71段各1画面)もあり、これが大きな特徴になっています。
 そこにもう一画面、斎宮関係の場面が発見されたのです。
 江戸時代の伊勢物語絵は、慶長十三年を初版とする嵯峨本の構図を下絵のようにして拡散していきます。そして嵯峨本には四十九場面の挿絵がありますが、伊勢物語全125段のうち100段以降はわずかに4段(101、106、119、125段)しかありません。もともとこのあたりの段は歌以外大して内容のない作品が多く、たとえば、百人一首で有名な106段にしても、

  昔、おとこ、親王たちの逍遥し給所にまうでて、竜田河のほとりにて
 ちはやぶる神代もきかず竜田河からくれなゐに水くゝるとは

とあるだけで、何で定家はこの歌を百人一首に採ったのかという内容なのです。

それはともかく、この100段以降には、「斎宮関係章段」の後日談が二つ書かれています。
 
 百二段 
 むかし、おとこ有けり。歌はよまざりけれど、世中を思知りたりけり。あてなる女の、尼になりて、世中を思(おもひ)倦(う)んじて、京にもあらず、はるかなる山里に住みけり。もと親族なりければ、よみてやりける。
 そむくとて雲には乗らぬ物なれど世の憂きことぞよそになるてふ
(世の中を背くといって出家をしたとはいえ、雲に乗って天上したというわけではないけれど、世のいとわしいことがよそごとになってしまったというわけですね)
 となんいひやりける。斎宮の宮也。

 百四段
 むかし、ことなる事なくて、尼になれる有けり。かたちをやつしたれど、物やゆかしかりけむ。賀茂の祭見に出たりけるを、おとこ、歌よみてやる
 世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるゝ哉
(世の中を倦んで尼になった人とお見受けしたので、目配せをしてくださいとお願いしたくなるのです と、
世の中を海の海女としてわたる人とお見受けしたので、芽〔ワカメ〕を食わせてくださいとお願いしたくなります 
を掛けています。なお、海、海女、芽は伊勢の海を連想させる言葉で、暗に斎王を指すのが定番だったようです。この少し後、藤原敦忠と恋仲でありながら斎王に選ばれた雅子内親王や、娘の斎王規子内親王と伊勢斎宮に同行した元斎王の斎宮女御が、我が身を伊勢の海女に例えた歌を遺しています。)
これは斎宮の物見たまひける車に、かく聞えたりければ、見さして帰り給にけりとなん。

   (文章は『新 日本古典文学大系 竹取物語・伊勢物語』 岩波書店 1997年 より)
 これらの章段は、いわば斎宮章段の派生(スピンオフ)で、もともと斎宮物語として企画されていたのかどうかもわからないものです。例えば102段の女性は、雲には乗らぬという表現から、雲上人、つまり天皇の后にならなかった人、とも取れるわけです。
 そのため、これらの章段はあまり注目されることもなく、まして絵に描かれるというのも、室町時代に作られたほとんどの章段に絵がある本(個人蔵)に見られるくらいで、これまでほとんど実例かなかったのです(ちなみにこの本の102段では、尼は髪を剃り上げた姿で描かれています)。

そんなこんなでご紹介したいのは、この場面です。実はこれまで、119段「男の形見」かなあ程度にしか認識していなかったのですが、今回点検調査をした所、男の形見が別にあることがわかり、その前後の章段から見て、102段であることが判明したのです。この写真でも、挿絵右側の詞書が「となんいひやりける。斎宮のミヤなり」とたしかに判読できます。要するに見落としていたのです、すいません。
 さて気を取り直して、この絵が102段だとこれまで気が付かなかったのは、恬子内親王とみられる女性が有髪に小袿姿、つまり普通の貴族女性のように描かれているからです。しかしよく見てみると、この女性には青い表袿の背中の部分に黒髪の表現がありません。さらに気が付いたのは、左の前髪が切りそろえられていることです。つまりこれは、出家した女性が髪を短く切りそろえる「尼そぎ(今でいうおかっぱ、あるいはボブカットのような髪型)」で表現されているのです。『源氏物語』「柏木」帖では、出家した女三宮の髪があまりに惜しいので、少しだけ切った、という件があり、『源氏物語絵巻』には、腰まである長い髪の尼姿の女性が描かれますので、ここまでは許容されます、つまり腰から下の部分に髪の表現がなく、前髪が切りそろえられているのは、まぎれもなく尼姿なのです。そして屋根はわらぶき、棚には香炉、そしてあたりには山が描かれ、この光景はたしかに「はるかなる山里」の尼の篭居の風情なのです。まず102段と断定して問題はないでしょう。それにしても、恬子内親王の尼そぎ姿は他に例がなく、間違いなく新発見の、元斎王、恬子内親王の尼姿なのです。

無題 無題
無題 無題

そして面白いことに、女性の前に置かれている漆箱には、五七桐、それも葉の部分を白抜きにする葉陰五七桐の文様が金絵の具で描かれています。これは当然、男の贈ってきた歌(女が右手に持つ赤の結び紐のような形で表現されている)が入っていた箱のつもりでしょうから、五七桐紋は業平の紋ということになります。もちろん業平の時代には家紋などはありませんから(家紋ができたのは鎌倉時代以降と見られている)、実際には、この絵巻には、この絵巻の製作依頼者ないしその夫など、五七桐を紋所ないし替え紋に持つ人物を業平に見立てるというシークレットがあったと考えられます。この漆箱の家紋もなかなか面白いヒントになりそうな予感がしています。

榎村寛之

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