斎王データ一覧表
凡例
- 本表は、全国巡回展図録『幻の宮 伊勢斎宮』(1999年)に収録した「斎王一覧表」を再編集し、掲載したものである。
- この表は、歴代斎王の出自、卜定から初斎院・野宮入り、群行、帰京にいたるまでのそれぞれの年月日、没年などについて、文献史料等により確認できるものを示したものである。
- 作成にあたっては、『斎王宮跡資料』(1978年)に収録されている斎王表と『平安時代史事典』(1994年)収録の伊勢斎宮表を参考にしている。
- 奈良時代の[ ]の斎王は実在の確認できない斎王を示している。
■伝承時代の斎王
■飛鳥時代
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
天武 | 皇女 | 天武 2年 (673) 4・14 |
天武2年 4・14 (泊瀬斎宮) |
天武 3年 (674) 10・9 |
朱鳥 元年 (686) 9・9 |
朱鳥 元年 11・16 |
大宝
元年 (701) 12・27 薨
[41歳]
|
|
大来 | 大田皇女 | 父帝 崩御 |
||||||
文武 | 天武皇女 | 文武 2年 (698) 9・10 |
大宝 元年 (701) 2月以前 |
天平勝宝
3年 (751) 正・25 薨
|
||||
当耆 | 宍人穀媛娘 | |||||||
文武 | 天智皇女 | 大宝 元年 (701) 2・16 |
慶雲 3年 (706) 閏1・28 |
慶雲 3年8月 以前 |
天平 6年 (734) 2・8 薨 |
|||
泉 | 忍海造色夫古娘 | |||||||
文武~元明 | 天武皇女 |
慶雲
3年
(706)
8・29
|
神亀
5年
(728)
3・5
薨
|
|||||
田形 | 蘇我大娘 | |||||||
元明 | ||||||||
[多紀] |
■奈良時代
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
元明 | ||||||||
[智努] | ||||||||
元明 | 長屋王の娘 |
宝亀
5年
(774)
12・23
卒
|
||||||
[円方] | ||||||||
元正 |
霊亀
元年
(715)か
|
養老
元年
(717) 4・6
|
養老
5年
(721)
9月以前
|
|||||
久勢 | ||||||||
元正~聖武 | 聖武皇女 |
養老
5年
(721)
9・11
|
養老
5年
9・11
(北池辺新造)
|
神亀
4年
(727)
9・3
|
天平
16年
(744)
閏正・13か
|
宝亀
6年
(775)
4・27
崩
[59歳]
|
||
井上 | 県犬養宿禰広刀自 | 弟・安積親王の喪か | ||||||
聖武 | 高丘王の娘か |
天平
16年
(744)か
|
天平
18年
(746)
9・3
|
天平感宝
元年
(749)
閏5・11
|
||||
県 |
二親
喪か
|
|||||||
孝謙 | 三原王の娘 |
天平勝宝
元年 (749)
9・6
|
天平宝字
2年
(758)
8・1か
|
|||||
小宅 |
当帝
譲位か
|
|||||||
淳仁 |
天平宝字
2年 (758)
8・19
以前
|
天平宝字
5年
(761)
9月か
|
天平宝字
8年
(764)
10・9か
|
|||||
山於 |
父帝
廃位か
|
|||||||
光仁 | 皇女 |
宝亀
3年
(772)
11・13
|
宝亀
3年
11・13
(春日斎宮)
|
宝亀
5年
(774)
9・3
|
宝亀
6年
(775)
4・27か
|
天長
6年
(829)
8・20
薨
|
||
酒人 | 井上内親王 | 母后の喪か | ||||||
光仁 | 神王の娘 |
宝亀
6年
(775)
4・29
|
天応
元年
(781)
4・3
|
|||||
浄庭 | 禰努麻内親王 |
当帝
譲位か
|
■平安時代(桓武天皇~醍醐天皇)
平安時代(桓武天皇~醍醐天皇) | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
桓武 | 皇女 |
延暦
元年
(782)
8・1
|
延暦
4年
(785)
9・7
|
延暦
15年
(796)
2・15
以前か
|
延暦
15年
3・?
|
弘仁
8年
(817)
4・25
薨
|
||
朝原 | 酒人内親王 | |||||||
桓武 | 皇女 |
延暦
16年
(797)
4・18
|
延暦
16年
8・21
|
延暦
18年
(799)
9・3
|
延暦
25年
(806)
3・17
|
延暦
25年
(806)
4・?
|
弘仁
3年
(812)
8・6
薨
|
|
布勢 | 中臣丸豊子 |
父帝
崩御
|
||||||
平城 | 皇女 |
大同
元年
(806)
11・13
|
大同
2年
(807)
8・24
|
大同
3年
(808)
9・4
|
大同
4年
(809)
4・1
|
大同
4年
6・?
|
貞観
5年
(863)
正・19
薨
|
|
大原 | 伊勢継子 |
父帝
譲位
|
||||||
嵯峨 | 皇女 |
大同
4年
(809)
8・11
|
弘仁
2年
(811)
9・4
|
弘仁
14年
(823)
4・16
|
弘仁
14年
6・?
|
寛平
元年
(889)
正月
薨
|
||
仁子 | 大原淨子 |
父帝
譲位
|
||||||
淳和 | 皇女 |
弘仁
14年
(823)
6・3
|
天長
元年
(824)
8・14
|
天長
2年
(825)
9月
|
天長
4年
(827)
3月か
|
天長
4年
・?
|
仁和
元年
(885)
4・2
薨
|
|
氏子 | 高志内親王 | 疾病 | ||||||
淳和 | 仲野親王の娘 (桓武皇孫) |
天長
5年
(828)
2・12
|
天長
7年
(830)
9・6
|
天長
10年
(833)
2・28
|
天長
10年
4・?
|
|||
宜子 | 菅野氏 |
当帝
譲位
|
||||||
仁明 | 皇女 |
天長
10年
(833)
3・26
|
承和
元年
(834)
9・10
|
承和
2年
(835)
9・5
|
嘉祥
3年
(850) 3・21
|
嘉祥
3年
5・?
|
貞観
18年
(876)
6・18
薨
|
|
久子 | 高宗女王 |
父帝
崩御
|
||||||
文徳 | 皇女 |
嘉祥
3年
(850)
7・9
|
仁寿
元年
(851)
8・26
|
仁寿
2年
(852)
9・7
|
天安
2年
(858)
8・27
|
天安
2年
10月?
|
昌泰
3年
(900)
7・20
薨
|
|
晏子 | 藤原列子 |
父帝
崩御
|
||||||
清和 | 文徳皇女 |
貞観
元年
(859)
10・5
|
貞観
元年
12・25
|
貞観
2年
(860)
8・25
|
貞観
3年
(861)
9・1
|
貞観
18年
(876)
11・29
|
元慶
元年
(877)
・? |
延喜
13年
(913)
6・18
薨
|
恬子 | 紀静子 |
当帝
譲位
|
||||||
陽成 | 清和皇女 |
元慶
元年
(877)
2・17
|
元慶
2年
(878)
8・28
|
元慶
3年
(879)
9・9
|
元慶
4年
(880)
12・4
|
元慶
5年
(881)
2・?
|
延喜
6年
(906)
12・28
薨
|
|
識子 | 藤原良近の娘 | 雅楽寮 | 父・上皇の喪 | |||||
陽成 | 文徳皇女 |
元慶
6年
(882)
4・7
|
元慶
7年
(883)
8・24
|
不遂群行 |
元慶
8年
(884)
2・4
|
(野宮より) |
延喜
14年
(914)
2・23
薨
|
|
掲子 | 藤原今子 |
当帝
譲位
|
||||||
光孝 | 皇女 |
元慶
8年
(884)
3・22
|
元慶
8年
8・13
|
仁和
元年
(885)
9・18
|
仁和
2年
(886)
9・25
|
仁和
3年
(887)
8・26
|
仁和
3年
10・?
|
延喜
16年
(916)
5・26
薨
|
繁子 | 滋野直子か | 雅楽寮 |
父帝
崩御
|
|||||
宇多 | 本康親王の娘 (仁明皇孫) |
寛平
元年
(889)
2・16
|
寛平
2年
(890)
9・5
|
寛平
3年
(891)
9・4
|
寛平
9年
(897)
3月
|
|||
元子 | ||||||||
醍醐 | 宇多皇女 |
寛平
9年
(897)
8月か
|
昌泰
元年
(898)
4・25
|
昌泰
元年
8・22
|
昌泰
2年
(899)
9・8
|
延長
8年
(930)
9・22
|
延長
8年
12・?
|
天徳
3年
(959)
正・2
薨
|
柔子 | 藤原胤子 |
当帝
譲位
|
■平安時代(朱雀天皇~後冷泉天皇)
平安時代(朱雀天皇~後冷泉天皇) | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
朱雀 | 醍醐皇女 |
承平
元年
(931)
12・25
|
承平
2年
(932)
6・10
|
承平
2年
9・10
|
承平
3年
(933)
9・26
|
承平
5年
(935)
12・21
以前
|
承平
6年
(936)
5・?
|
天暦
8年
(954)
8・29
薨
[45歳]
|
雅子 | 源周子 | 宮内省 | 母・更衣の喪 | |||||
朱雀 | 醍醐皇女 |
承平
6年
(936)
春か
|
不遂群行 |
承平
6年
5・1
卒
|
||||
斉子 | 源和子 | 薨去 | ||||||
朱雀 | 重明親王の娘(醍醐皇孫) |
承平
6年
(936)
9・12
|
承平
7年
(937)
7・13
|
承平
7年
9・27
|
天慶
元年
(938)
9・15
|
天慶
8年
(945)
正・23
|
天慶
8年
8・?
|
寛和
元年
(985)
卒
[57歳]
|
徽子 | 藤原寛子 | 雅楽寮 | 母の喪 | |||||
村上 | 醍醐皇女 |
天慶
9年
(946)
5・27
|
不遂群行 |
天慶
9年
(946)
9・16
|
(初斎院より) |
天慶
9年
(946)
9・16
薨
[26歳]
|
||
英子 | 藤原淑姫 | 薨去 | ||||||
村上 | 重明親王の娘(醍醐皇孫) |
天暦
元年
(947)
2・26
|
天暦
元年
9・25
|
天暦
2年
(948)
9・26
|
天暦
3年
(949)
9・23
|
天暦
8年
(954)
9・14?
|
天暦
8年
8・?
|
|
悦子 | 藤原寛子 | 主殿寮 | 父・親王の喪 | |||||
村上 | 皇女 |
天暦
9年
(955)
7・17
|
天徳
元年
(957)
9・5
|
康保
4年
(967)
5・25?
|
康保
4年
11・?
|
長徳
4年
(998)
9・16
薨
[47歳]
|
||
楽子 | 荘子女王 |
父帝
崩御
|
||||||
冷泉 | 村上皇女 |
安和
元年
(968)
7・1
|
安和
元年
12・25
|
不遂群行 |
安和
2年
(969)
11・4
|
(初斎院より) |
正暦
3年
(992)
3・3
薨
[40歳]
|
|
輔子 | 藤原安子 | 右近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
円融 | 章明親王の娘 (醍醐皇孫) |
安和
2年
(969)
11・16
|
天禄
元年
(970)
9・8
|
天禄
元年
9・30
|
天禄
2年
(971)
9・23
|
天延
2年
(974)
閏10・17
|
天延
2年
閏10・17
卒
|
|
隆子 | 藤原敦敏の娘 | 主水司 | 薨去 | |||||
円融 | 村上皇女 |
天延
3年
(975)
2・27
|
貞元
元年
(976)
2・26
|
貞元
元年
9・21
|
貞元
2年
(977)
9・16
|
永観
2年
(984)
8・27
|
永観
3年
(985)
4・3
|
寛和
2年
(986)
5・15
薨
[38歳]
|
規子 | 徽子女王 | 侍従厨家 |
当帝
譲位
|
|||||
花山 | 章明親王の娘 (醍醐皇孫) |
永観
2年
(984)
11・4
|
寛和
元年
(985)
9・2
|
寛和
元年
9・26
|
不遂群行 |
寛和
2年
(986)
6・22
|
(野宮より) | |
済子 | 藤原敦敏の娘 | 左近衛府 | 密通 | |||||
一条 | 為平親王の娘 (村上皇孫) |
寛和
2年
(986)
8・8
|
永延
元年
(987)
9・13
|
永延
2年
(988)
9・20
|
寛弘
7年
(1010)
11・7
|
寛弘
8年
(1011)
5・25
|
||
恭子 | 源高明の娘 | 宮内省 | 父・親王の喪 | |||||
三条 | 皇女 |
長和
元年
(1012)
12・4
|
長和
2年
(1013)
8・21
|
長和
2年
9・27
|
長和
3年
(1014)
9・20
|
長和
5年
(1016)
正・29
|
長和
5年
9・3
|
治安
3年
(1023)
9・12
薨
[23歳]
|
当子 | 藤原娍子 | 宮内省 |
父帝
譲位
|
|||||
後一条 | 具平親王の娘 (村上皇孫) |
長和
5年
(1016)
2・19
|
長和
5年
9・15
|
寛仁
元年
(1017)
9・21 |
寛仁
2年
(1018)
9・8
|
長元
9年
(1036)
4・17
|
長元
9年
8・?
|
永保
元年
(1081)
6・16
薨
[77歳か]
|
嫥子 | 為平親王の娘 | 宮内省 |
当帝
崩御
|
|||||
後朱雀 | 皇女 |
長元
9年
(1036)
11・28
|
長暦
元年
(1037)
4・3
|
長暦
元年
9・17
|
長暦
2年
(1038)
9・11
|
寛徳
2年
(1045)
正・16
|
寛徳
2年
・?
|
承暦
元年
(1077)
8・26
薨
[49歳]
|
良子 | 禎子内親王 | 大膳職 |
父帝
譲位
|
|||||
後冷泉 | 敦明親王の娘 (三条皇孫) |
永承
元年
(1046)
3・10
|
永承
2年
(1047)
9・14
|
永承
3年
(1048)
9・8
|
永承
6年
(1051)
正・8
|
永承
6年
・?
|
||
嘉子 | 藤原寛子(道長娘) | 父・親王の喪 | ||||||
後冷泉 | 敦平親王の娘 (三条皇孫) |
永承
6年
(1051)
10・7
|
永承
7年
(1052)
4・25
|
永承
7年
9・28
|
天喜
元年
(1053)
9・14
|
治暦
4年
(1068)
4・19
|
治暦
4年
8・24
退下
|
|
敬子 | 源則理の娘 | 大膳職 |
当帝
崩御
|
■平安時代(後三条天皇~高倉天皇)
■鎌倉時代
鎌倉時代 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
後鳥羽 | 高倉皇女 |
文治
元年
(1185)
11・15
|
文治
2年
(1186)
5・23
|
文治
2年
9・28
|
文治
3年
(1187)
9・18
|
建久
9年
(1198)
正・11
|
建久
9年
8・23?
|
|
潔子 | 藤原頼定の娘 | 左近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
土御門 | 後鳥羽皇女 |
正治元年
(1199)
12・24
|
正治
2年
(1200)
5・26
|
正治
2年
9・27
|
建仁
元年
(1201)
9・9
|
承元
4年
(1210)
11・25
|
建暦
元年
(1211)
4・?
|
|
粛子 | 源信康の娘 | 左近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
順徳 | 後鳥羽皇女 |
建保
3年
(1215)
3・14
|
建保
3年
9・21
|
建保
4年
(1216)
9・20
|
建保
5年
(1217)
9・14
|
承久
3年
(1221)
4・20
|
承久
3年
8・20
|
|
凞子 | 丹波局 | 左近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
後堀河 | 守貞親王の娘 (高倉皇孫) |
嘉禄
2年
(1226)
11・26
|
安貞
元年
(1227)
4・29
|
安貞
元年
9・24
|
安貞
2年
(1228)
9・19
|
貞永
元年
(1232)
10・4
|
貞永
2年
(1233)
2・5
|
建長
3年
(1251)
正・2
崩
[55歳]
|
利子 | 藤原陳子 | 左近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
四条 | 後堀河皇女 |
嘉禎
3年
(1237)
11・24
|
暦仁
元年
(1238)
9・8
|
暦仁
元年
9・22
|
延応
元年
(1239)
9・16
|
仁治
3年
(1242)
正・9
|
仁治
3年
2・20
|
寛元
4年
(1246)
8・15
薨
[16歳]
|
昱子 | 藤原兼良の娘 | 左近衛府 |
当帝
崩御
|
|||||
後嵯峨 | 土御門皇女 |
寛元
2年
(1244)
12・16
|
寛元
3年
(1245)
8・13
|
寛元
3年
9・17
|
不遂群行 |
寛元
4年
(1246)
正・29
|
(野宮より) |
弘長
2年
(1262)
8・21
崩
[39歳]
|
曦子 | 源有雅の娘 | 左近衛府 |
当帝
譲位
|
|||||
亀山 | 後嵯峨皇女 |
弘長
2年
(1262)
12・4
|
弘長
3年
(1263)
9・26 |
文永
元年
(1264)
9・17
|
文永
9年
(1272)
2・17 |
文永
9年
8・13
出立
|
弘安
7年
(1284)
2・15
薨
[36歳]
|
|
愷子 | 二条局 (藤原親秀の娘) |
父・上皇 崩御 |
||||||
後二条 | 後宇多皇女 |
徳治
元年
(1306)
12・22
|
徳治
2年
(1307)
9・13
|
徳治
2年
9・27
|
不遂群行 |
延慶
元年
(1308)
8・25
|
(野宮より) |
正平
3年
(貞和4年)
(1348) 11・2
崩
[62歳]
|
弉子 | 藤原忠子 (談天門院) |
諸司 |
当帝
崩御
|
|||||
後醍醐 | 後醍醐皇女 |
元徳
2年
(1330)
12・19
|
元弘
元年
(1331)
8・20
|
不遂群行 |
元弘
元年
冬
|
(野宮より) |
正平
17年
(貞治元年)
(1362) 5・7
崩
[48歳]
|
|
懽子 | 藤原禧子 (後京極院) |
■南北朝時代
南北朝時代 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天皇 | 出自 | 卜定 | 初斎院 入り |
野宮 入り |
群行 | 退下 | 帰京 | 崩・薨・ 卒の日 [没年齢] |
斎王 | (母) | 初斎院 の位置 |
理由 | |||||
後醍醐 | 後醍醐皇女 |
元弘
3年
(1333)
12・28
|
不遂群行 | |||||
祥子 | 藤原廉子 (新待賢門院) |
兵乱廃絶 |