沿革・経緯
西暦 |
和暦 |
事柄 |
1860年 | 万延元年 | 御巫清直(みかんなぎ きよなお)、津藩主 藤堂高猷(たかゆき)の依頼により「斎宮寮考証」などを著す |
1883年 | 明治16年 | 隆子女王の墓の調査が行われ、現指定地に決定される |
1884年 | 明治17年 | 永島雪江・乾覚郎・北野信彦ら斎宮村有志が斎宮復興運動を始める |
1903年 | 明治36年 | 斎宮村長の櫛谷定次郎を会長に「斎宮旧跡表彰会」が作られ、史跡内各地に記念碑を建てる |
1916年 | 大正5年 | 三重県が「斎宮跡」を名勝旧跡天然記念物として指定 |
1933年 | 昭和8年 | 富山県出身の中村寅次郎が「斎王宮復趾会」を作り、斎王の森に住む |
1969年10月 | 昭和44年 | 多気郡明和町古里地区周辺に団地造成計画が持ち上がる 県による現地調査の結果、遺跡であることがわかり、古里遺跡と命名される |
1970年 6月 | 昭和45年 | 明和町教育委員会が主体となり、試掘調査が行われる(7月まで) 斎宮の第一次調査となった発掘 |
1971年 9月~ | 昭和46年 | 古里遺跡の発掘調査で、朱彩土馬、蹄脚硯(ていきゃくけん 第二次調査)、緑釉陶器、陰刻花文稜椀(いんこくかもんりょうわん)などが出土し、一般集落ではない遺跡と推定される |
1972年 2月 | 昭和47年 | 「古里遺跡を守る連絡協議会」「明和町郷土文化を守る会」が発足 |
1972年 4月 | 昭和47年 | 「三重の文化財を守る会」、明和町教育委員会共催の最初の講演会(講師・服部貞蔵氏) 以後、定期的に講演会が開かれる |
1973年 3月 | 昭和48年 | 県議会が「古里遺跡を守るためについて(請願)」を採択 |
1974年12月~ | 昭和49年 | 斎宮跡範囲確認トレンチ調査はじまる(斎王宮跡第二次調査) |
1975年 | 昭和50年 | 県議会が「斎宮跡保存」を採択 |
1977年 6月 | 昭和52年 | 衆参両院で「斎王宮址、保存・整備の請願書」が採択される |
1977年 8月 | 昭和52年 | 斎宮小学校内の調査で四脚門検出(第15次調査) |
1978年10月 | 昭和53年 | 文化財保護審議会、保存指定を文部大臣に答申 |
1979年 3月 | 昭和54年 | 「斎宮跡」が、「国史跡」となる |
1979年 6月 | 昭和54年 | 三重県斎宮跡発掘調査事務所開設 |
1980年 | 昭和55年 | 第34次調査(西加座地区)で「寮□」と記した墨書土器が出土 斎宮寮の存在が明らかになる |
1981年 | 昭和56年 | 第37-4次調査で「水司鴨□」と記した墨書土器が出土 斎宮の司の存在が確認される |
1982年 | 昭和57年 | 第44次調査で区画道路や柵列が発見され、大型柱穴や土器溜まりが確認される(内院推定値最初の計画調査) |
1983年 3月 | 昭和58年 | 斎王の森の東側で史跡公園「斎宮跡」開園式 斎宮婦人会主催で第1回斎王まつりが行われる(於・史跡公園) |
1985年 5月 | 昭和60年 | 三重県における博物館構想の答申が出され、斎宮跡には県立博物館を設置すべきと明記される |
1985年 6月 | 昭和60年 | 斎王まつりで群行が始まる |
1986年 4月 | 昭和61年 | 教育委員会文化課に博物館建設担当が設置される |
1986年 9月 | 昭和61年 | 博物館予定地の発掘調査が始まる |
1988年 1月 | 昭和63年 | 博物館の建築起工 |
1989年 4月 | 平成元年 | 斎宮歴史博物館発足 |
1989年10月 | 平成元年 |
この頃、東西五列、南北四列の方格地割の存在が確認される 第83次調査で「少允殿」と記した墨書土器が出土 |
1990年 3月 | 平成2年 | 三重県・中国河南省友好提携三周年記念「河南省文物展」を開催(5月まで) |
1990年 7月 | 平成2年 | 来館者10万人を達成 |
1992年 | 平成4年 | 第91次調査で羊形硯の頭部が出土 |
1993年 | 平成5年 | 第98次調査で鍛冶山西地区の内院の柵列や大型建物を確認、この地区の区画が東西に長かった時期があることが判明する 第96-5次調査で八脚門が発見され、方格地割が東西七列だったことが明らかになる |
1994年 | 平成6年 | 第103次調査で牛葉東地区も柵列で囲われていたことが確認され、内院が二区画もあったという見方が強くなる |
1995年 | 平成7年 | 第105次調査で鍛冶山西地区の柵列が二重であることが判明する |
1996年 3月 | 平成8年 | 広大な史跡全体の整備の基本的な考え方をまとめた『史跡斎宮跡整備基本構想』を策定 |
1997年 | 平成9年 | 第119次調査(鍛冶山西地区)で、斎宮跡最大の建物が発見される |
1999年 3月 | 平成11年 | リニューアル工事による博物館休館(9月まで) 巡回展「幻の宮 伊勢斎宮-王朝の祈りと皇女たち-」を横浜市、高松市、福岡市、大阪市で開催する |
1999年10月 | 平成11年 | 斎宮歴史博物館リニューアルオープン 斎宮跡体験学習施設「いつきのみや歴史体験館」開館 |
2001年 | 平成13年 | 発掘調査の正報告書『斎宮跡発掘調査報告1』を刊行 |
2002年 3月 | 平成14年 | 斎宮歴史ロマン広場開園 |
2003年 4月 | 平成15年 | 博物館映像展示室をリニューアル |
2003年 | 平成15年 | 史跡案内ボランティアが活動を開始 |
2004年 | 平成16年 | この頃、飛鳥・奈良時代の初期斎宮跡の中心は、史跡南西部であると特定されてくる |
2004年11月 | 平成16年 | 来館者100万人を達成 |
2007年 | 平成19年 | 第152・153次調査で、柳原区画にて、多数の庇付建物や斎宮官衙域の最大級の建物が見つかり、区画の重要性が高まる |
2009年 7月 | 平成21年 | 斎宮跡出土品2,661点が国の重要文化財に指定される |
2009年12月 | 平成21年 | 耐震補強工事のため臨時休館(平成22年3月まで) |
2010年 3月 | 平成22年 |
『史跡斎宮跡東部整備基本計画書』を策定 |
2011年 4月 | 平成23年 | 三重県庁1階県民ホールにて情報発信のための「展示」を始める |
2011年 5月 | 平成23年 | 第157次調査で唐三彩の陶枕が、第158次調査で緑釉の羊形硯が出土していたことが判明 |
2012年 1月 | 平成24年 | 第171次調査で「いろは歌」の一部が書かれた土師器・皿(ひらがなで書かれた「いろは歌」としては日本最古)が出土していたことが判明 |
2013年 3月 | 平成25年 | 島根県立古代出雲歴史博物館、奈良県立万葉文化館と文化交流に関する協定を締結 |
2013年 8月 | 平成25年 | 来館者150万人を達成 |
2014年 3月 | 平成26年 | 上皇上皇后両陛下、当館をご視察 発掘調査の正報告書『斎宮跡発掘調査報告2』を刊行 |
2014年 8月 | 平成26年 | 復元建物建築(工事)見学会を始める(平成27年6月まで全11回) |
2014年10月 | 平成26年 | 開館25周年記念式典を挙行 |
2015年 2月 | 平成27年 | 三重テラスと連携し「三重の“宝”魅力発信講座vol.3“祈りの宝”」(全3回)を開催 |
2015年 6月 | 平成27年 | エントランス無料企画展示「逸品」始まる |
2015年 7月 | 平成27年 | 「さいくうイブニング講座」始まる |
2015年10月 | 平成27年 | 史跡公園「さいくう平安の杜」開園 |
2015年12月 | 平成27年 | 「古代伊勢道」復元工事完成 |
2016年 6月 | 平成28年 | 「さいくう発掘体感ミュージアム」を開催(11月まで) |
2016年10月 | 平成28年 | 三館文化交流に関する協定に基づき、特別展「古代の出雲-その限りない魅力-」を開催 |
2017年 5月 | 平成29年 | 多言語音声ガイドアプリ「斎宮案内」の運用を開始 |
2017年12月 | 平成29年 | Twitterの運用を開始 |