第5話  平安時代の「公定価格」?

 しばらくまとまって書いていませんので、斎宮に直接関係したわけではないのですが、面白みのある話を一つ。
 『西宮記』という本の写本の一つとされているものの中に、10世紀の「獄囚贓物(ごくしゅうのぞうもつ)」、つまり京内で泥棒をして捕まった人とその盗品についての記録があります。正確には『壬生本“非西宮記”検非違使雑事事』にある長徳2年(996)12月17日の「可着だ(「金」へんに「太」)左右獄囚贓事」という史料です。この壬生本“非西宮記”とは、宮内庁書陵部蔵の壬生家文書にある『西宮記』に混入していた『西宮記』以外の史料で、検非違使関係の記録と見られるものです。着だ(「金」へんに「太」)政というのは、角川書店の『新版日本史辞典』によると「ちゃくだのまつりごと 古代、年中行事の一つ。強盗・窃盗や私鋳銭犯を検非違使が毎年5月と12月に東西の市に引き出し、徒刑の判決(着だ勘文)を言い渡し、だ(首かせ刑具)で一つなぎにして、街路清掃などの刑の執行のため獄舎に移送する儀式。鎌倉時代以降、有名無実化する。」とあり、盗犯の見せしめ刑なので、その内容は読み上げられるはず、かなり信用がおけそうです。 
 これがなかなかに面白いのです。
 この史料で見られるのは、検非違使が捕獲した19人の強盗犯の人と、4人の窃盗犯の人の犯罪記録です。つまり都で起こった盗犯事件の調書にもとづいているわけですね。
 そこで主に盗まれているのはどういうものか、とまず見てみますと、
(1)綿、絹、布、綾などの反物
(2)単衣などの着物になった織物
(3)櫛箱、鏡、念珠などの工芸品
(4)弓、矢を入れる胡ろく(「竹」かんむりに禄)、太刀などの武器 
(5)馬、牛などの動物
(6)麦、稲、米、籾などの食品
といったところです。
 そして、これらの盗品の価格が、銭で表示されているのです。つまり、検非違使庁に回収された後で公定の評価額がつけられ、価値がひと目でわかるのです。 10世紀の終わり頃といえば、和同開珎以来の国内産の銭貨が消失するころとして注目される時代ですから、その意味でも興味深いのです。
 ここで記されている中で最も高価なのは、「銀造打出太刀(ぎんづくりうちだしのたち)」というなかなか装飾過多のような飾り太刀で、値は15貫文です。つまり銭にして15,000枚相当、となります。銭15,000枚ではなかなか分からないので、別のデータを見ると、同じ史料では、米1石が1貫文で計算されています。1貫=1石なら1升は10文となります。天平頃の和同開珎の相場が、米1升で5文という記録がありますので、この時代の銭貨は安定していた頃の和同開珎よりかなり低かったことがわかりますね。
 さて、1石は1,000合で、今なら180リットルとなりますが、近世以前の1升は今の0.4升というのが有力な説なので、これを踏まえて考える必要があります。
 ここで無茶な計算を入れます。「お米の値段からご飯の価格を求める」という計算ソフト?がウェブで公開されていたのを利用して、現在の標準的なお米なら 1石いくらか、という計算をしたのです。すると、ある程度標準的な価格として、5キログラム2,000円のお米とすると、1合ざっと60円、つまり1石は 6万円という結果が出ました。これに0.4をかけると、ここでいう1石=1貫は24,000円、1文は24円となるのです。
 古代・中世の枡が実にいい加減で、宣旨枡なんていう公定の枡が必要だったことから考えても、単純に江戸時代の1石との比較はできないのですが、一つの目安として置いてみると、こんな感じになりました。

 弓       1張30文               720円
 麻布      2反で150文 1反で75文    1,800円
 絹       2疋4貫文   1反で1貫文   24,000円
 綾       7疋28貫文  1反で2貫文   48,000円
 褂(単衣のこと)1領50文〜700文        1,200円〜16,800円
 銀造太刀    1腰5貫文           120,000円
 黒作太刀    1腰500文           12,000円
 蒔絵の櫛箱   1合10貫文  1合で5貫文  120,000円
 紫檀念珠    1連3貫文            72,000円
  馬      1疋600文〜1貫500文    14,400円〜36,000円
  牛      1疋500文〜1貫文       12,000円〜24,000円
  麦      5斗250文  一石500文   12,000円
  稲      2束100文   1束50文    1,200円         
   なお、先の銀の飾り太刀の場合、36万円ということになります。    
 ところで、馬、牛が意外に安い!と思いませんか。実際この価格でなくても、1貫もせずに買える、と評価されていたのですね。でも案外そうかも、という感じもするのです。
 平安末期〜鎌倉時代初期の成立といわれる『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に「長谷寺参籠男利生にあづかる事」という、民話「わらしべ長者」の原話と見られる話があります。そこでは、わらしべを大柑子、つまりミカン3個と取り替えた男が、ミカンを布3むらと替えて、そのうちの1むらを死んだ馬と替えた、というものです。布は麻布で、「むら」が当時一般的だった「疋」だとすれば、1疋は2反に換算されるので、麻布2反、つまりこの場合なら150 文=3,600円位で馬の死んだのを買った、ということになります(「むら」が反なら、その半額です)。馬は皮を剥ぐために買ったので、使い道は十分にあったのですね。この価格換算でいくと、まんざら生きた普通の馬が30,000円位、というのも無理ではないようにも思えます。
 それにしてもこの時代の貴族の日記など見ていると、かづけ物、つまり賜り物や贈り物として馬や牛がよく出てくるのですが、半年分程度のごはん代程度で買えるのだとすると、意外に手頃な贈答品だったのかもしれません。もちろん今のお歳暮感覚からいえば相当なものですが、お客様一人に乗用車一台、というほどでもないようです。
 もっとも、馬や牛などは生き物ですから、体格や年齢によって、一番高い時と安くなった時の差はおそらく激しかったでしょうし、一律の相場なんて単純にはいえないのですが、今で言うと、馬や牛のプレゼントは、高級車じゃなくて、中古のバイクか高級自転車程度の感覚なのかなぁ。

 ちなみに斎宮関係の式(法律の細則、『延喜斎宮式』として集成される)では、お金はあまり出てきません。その中で面白い記録としては、斎王の群行に伴う頓宮関係の準備予算として、近江国に15,000束,伊勢国に23,000束が充てられていることです。この記録では稲一束は50文と規定されているので、それぞれ750貫、1,150貫となり、今回の換算では、1,800万円、2,760万円という計算になります。果たして高いと見るか、安いと見るか・・・。

(学芸普及課 課長 榎村寛之)

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