第28話  わになって踊るか??話(1)

 今回は、斎宮と直接関係はないけれど、ちょっと面白い話を。
 ここに、琵琶湖博物館研究調査報告『安心院動物化石群』(滋賀県立歴史博物館2001)という本があります。大分県での新生代の哺乳類や爬虫類の化石の発掘報告です。これを流し読みしていると、青木良輔「大分県津房川層のワニ化石」という論文が目に留まりました。化石の骨がどの部位で、どういう特徴があるかなど、解剖学的な詳しい内容はさっぱりわからないのですが、面白かったのは、次のような部分でした。
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 いわゆるワニには、大きく分けてクロコダイル・ガビアル・アリゲーターの3科があります(後述する平凡社新書で青木氏はクロコダイル・アリゲーターの2科の分類を提唱されていますが)。クロコダイルは口吻が広くて長いタイプで、ナイルワニとか、大型で危険なものの多いグループ、アリゲーターは丸いタイプで、ミシシッピーアリゲーターなどペットになるほどで、比較的大人しいグループ、ガビアルは細長いタイプで、魚を食べるように進化したグループです。現在の中国には、ヨウスコウアリゲーターというワニがいます。このワニは「鰐」ではなく、「ダ」と読む大変難しい字であらわされています(そういえば、今から20年ほど前はじめて中国に行った時、向こうの人と、揚子江には「鰐」がいるでしょうと筆談して、怪訝な顔をされたことがあったのを思い出しました)。
 ところが「鰐」は別にいるのです。青木氏によると、これとは別に「蛟」という漢字(後世には、この字はミズチという竜の一種、つまり空想上の動物を指すようになります)で表わされるワニがおり、このワニが後漢以後に「鰐」という字で表わされるようになったというのです。後漢代に成立した『広州異物志』という本には、鰐は人畜のみならず、河を渡る虎をも倒して食う、と記されていますが、ヨウスコウアリゲーターはそんな狂暴なワニではないのです。そのため、この動物については、従来は、東南アジアからオーストラリアにかけて広く分布し、沿岸に住むこともあり、海ワニとも言われ、中国南部でも漂着記録があるというイリエワニというクロコダイル科の大型のワニのことと考えられていました。
 ところが中国南部では、宋代、つまり十世紀〜十二世紀頃のワニの遺骸が時々見つかるのだそうで、その骨を分析してみると、長吻、つまり口先の長いワニだけど、イリエワニと違う特色が多い、というのです。ではこのワニは何かというと、大阪府吹田市・豊中市にわたる待兼層群で化石が発見されたことからその名がある、マチカネワニというやはりクロコダイル系の化石ワニに近いのです。あるいは広東周辺の中国では、「鰐」の記述の見られる15世紀頃までは、マチカネワニが生きていたのかもしれません。
 著者の青木氏は、このような考察を経て、以下の仮説を立てられています。
 「龍」の字は甲骨文字の時代にはマチカネワニを指していた。このワニは比較的寒冷地に対応できる種類だったが、ヨウスコウアリゲーターのように穴を掘って冬眠することができなかったので、西周の寒冷期頃に中国中部では姿を消してしまった。しかし前漢の温かい時期に再び生息範囲を北に広げ、「蛟」の名で呼ばれた。そして後漢の寒冷期に再び姿を消すと、こんどは漢民族が南下したことで、「鰐」の名で知られるようになった。このワニは15世紀頃までは生きていたらしい。ちなみに化石を見ると、日本ではヨウスコウアリゲーターよりマチカネワニの方が優勢だったらしい。
 なお、青木氏にはこれとは別に『ワニと龍 恐竜になれなかった動物の話』(平凡社新書091 2002年)という本を出しておられ、ほぼ同じことを書いておられます。

                ふーん…。
 後漢のころまでは中国中部に虎でも襲うワニがいたんだ…。50万年前の動物と思っていた化石ワニは、その後も意外に近い所に生き残っていたんだ…。

 で、日本の古典『古事記』には皆様ご存じ「因幡の白兎」の「和邇」がいます。それと『出雲国風土記』意宇郡条には、天武天皇二年(674)に、語臣猪麻呂の娘を襲った「和爾」がいます。一般には、この「わに」はサメの方言と考えられています。だけどね…だけどね… 語臣猪麻呂の娘は岬で「逍遥」していた所を襲われたんだそうで、襲ったワニの腹から脛がでてきたというのです。つまり、かわいそうに、脚をかじられて出血多量で死んじゃったわけですね。でも、岬を散歩していて、サメに脚を食われるかしらん?泳いでいたのなら、映画「JAWS」のオープニングみたいになるけど。
 じつはこの「わに」については、漂着したワニ説が昔からあるのですが、イリエワニの漂着圏の北限が香港あたりで、また、ヨウスコウアリゲーターは人を襲わないため、あまり注目もされなかったのです。しかし、広東あたりにクロコダイル系統のワニがいたのなら、話は少し別です。もしもこのワニがイリエワニのような海ワニだったとしたら、対馬海流に乗って日本海側に流れ着くこともありうる、いやそれ以上に、もしも日本列島にマチカネワニが生き残っていたら…、と考えると、結構わくわくするのです。だって、マチカネワニが見つかったのは大阪大学の構内、海進の進んでいた時期なら、そのへんまで大阪湾が入っていてもおかしくない所、もしかしたら海ワニだったかもしれないのです。
 もうひとつワニの出てくる、古事記にも日本書紀にもある有名な伝承、ホオリノミコト(ヤマサチビコ)の奥さんで、海神の娘のトヨタマビメが出産する時に、仮屋の中で八尋のワニになり、這ってうねりくねっていたのを夫に見られて、海に帰ってしまったという話。これはもともと南九州の海洋に暮す人々の神話に起源がある物語と考えられています。しかし、この話がサメの話だとすると、その生態と合わない点がいくつもあるのです。まず、サメは陸上では子を産めない、サメは陸上で這うことはできない、サメは海岸に寄れないという問題もあります。つまり、サメの生態をよく知っている海洋民の神話としてはいささか御粗末な気がするのです。
 さらに、たとえば『今昔物語』まで行くと、どうもサメらしい「鰐」が出てきますが、『延喜式』などの公的な文献は「鰐」と書いてサメのことを指す事例が見つからないのです。少なくともサメは「鮫」かその異体字の「魚へんに台」の字でしか出てきません。さらに平安時代の『和名類聚抄』の「鰐」の字の説明はワニのことと考えられます。
 このように、少なくとも奈良時代には、日本でも「鰐」という漢字は、ワニを指していた可能性が高いのです。とすれば、『古事記』でも「海幸山幸」神話で同じ動物を「和爾」としているのですから、「和爾」もまた、イメージとしてはやはり、クロコダイルだった可能性が高いのです。

(主査兼学芸員 榎村寛之)

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