第28話  わになって踊るか??話(2)

 で、もしも、もしもです。マチカネワニが15世紀頃まで中国南部に生き残っていたのなら、7世紀頃までなら隼人の世界、九州南部から屋久、奄美などの南島あたりにもわずかに残っていた可能性はないのでしょうか。
 ちなみに青木氏によると、マチカネワニが生きていた頃の環境は今より少し涼しい位で、「現在でも心斎橋の下で棲息できるような生理的に特異なワニ」だといいます。ならば古代の日本でもまだ住めたはずです。ただ、これには基本的に誤りがあります。心斎橋が架っていた長堀は今は埋めたてられて長堀通、橋は今は歩道橋なので、その下に住むなら車に轢かれても平気か、地下でも生きて餌が取れる本当に特異なワニになります。青木氏がイメージしているのは、おそらく戎橋で、その下の道頓堀川でも住めるということでしょう。
 というわけで、ひょっとしたら、九州南部から屋久島とか奄美とかにわずかに生き残っていたマチカネワニをトーテムにする種族が、「海幸山幸」の神話の原型を戴いていたのではないでしょうか。山陰地方には沖縄の海に住むエラブウミヘビが今でもしばしば流れ着くことがあるそうです。そのへんにワニがいたなら、山陰にまで流れ着くことももっと容易だったはずです。また、南島のゴボウラ貝製の腕輪は、九州西部から山陰にかけて持ちこまれています。人が動いているなら、伝承も動いているはず。
 まぁ、そこまで考えなくても、中国中南部に温帯性のマチカネワニがいたなら、対馬海流に乗って沖縄、奄美、南九州や山陰に流れ着くことは、イリエワニよりはずっと可能性が高いはずです。
 うーん、ワニだったら面白いっ!
 で、斎宮との関係…?
 『日本書紀』の場合、一書に見られる「鰐」が、本文では「龍」になっています。これは、もともとの伝承で「鰐」だったものが「龍」と書きかえられた可能性があります。なぜ「龍」なのか、龍は中国で皇帝のシンボルとされており、このトヨタマビメの産んだ赤ん坊、ウガヤフキアヘズノミコトが、神武天皇の父親になるからです。つまり、神武天皇の父方の祖母は龍だった、ということになるわけです。とすれば、天皇には「龍」の血が流れているわけで、天皇家の姫である斎王にも、「龍」の血が流れていることになります。でもそれがもともと「鰐」だったとすれば、斎王にはワニの子孫、ということになるのです。
 斎王は、伊勢神宮の大祭である九月神嘗祭の前、八月の晦日に海で禊を行います。そして斎王の位を下りて帰京の途中、難波津で大阪湾で禊をしてから帰京します。このように斎王と海とは意外に関係が深いのです。
 斎王は遠い祖先の龍神を意識して禊を行っていたのかも知れません。ならば、斎王とワニも、まんざら関係がない…って、やっぱり苦しいか??

(主査兼学芸員 榎村寛之)

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