斎王と王朝文学
斎王と王朝文学
神に仕える未婚の皇女という特殊な立場にあった斎王は、王朝文学に登場し、そのモデルとされることがしばしばでした。平安時代後期の良子内親王、やす(「女」偏に「是」)子内親王などの時には、都の歌人が参加する歌合わせが斎宮で催されるなど、文芸が盛んであったことが古典文学からわかります。
『伊勢物語』の恬子内親王のほか、『大和物語』には、柔子内親王に藤原兼輔が贈った歌や、藤原敦忠との恋で知られる雅子内親王がみえています。『栄華物語』には当子内親王が左京太夫道雅との関係を裂かれた話が載っています。『増鏡』『とはずがたり』に登場する愷子内親王など、いずれも斎王ゆえに生まれた悲恋物語です。
光源氏を慕う六条御息所は、琴の名手で歌才に秀で、歌集『斎宮女御集』を残した実在の斎王、徽子女王がモデルになったといわれています。紫式部は歴史上の事実を巧みに物語に折り込みながらも、単なる事実の羅列とは一味違った斎宮ゆかりの物語として結晶させました。
伊勢物語の斎王
「昔男ありけり」であまりにも有名な『伊勢物語』は、在原業平と思われる「男」を主人公としています。
その中でも第六十九段「狩の使(かりのつかい)」は、斎宮を舞台に、斎王恬子内親王と「男」のはかない恋を描いています。それが事実か否かは不詳ですが、恬子がこの後も斎王の任をまっとうしたことは事実です。
斎宮女御
醍醐天皇の皇子・重明親王の娘である徽子女王は、朱雀天皇の代に、斎王に卜定されました。帰京後、村上天皇の女御となったことから、「斎宮女御」と呼ばれます。徽子女王は、三十六歌仙のひとりに数えられ、歌集『斎宮女御集』を残しています。